エルガー:交響曲第1番&第2番

エルガー 交響曲第1番 変イ長調 作品55


表題音楽の多いエルガーだが、この交響曲はそうではない。
芸術の一種の極みとも言うべき絶対音楽である。
ブラームスと同じように、彼がいかに「交響曲」というものを重く捉えていたかがわかる。
エルガーというと「威風堂々」や「愛の挨拶」など、抜群に心に響く旋律が印象的だが、やはりこの曲でも「旋律」の美しさは他の追随を許さない。
冒頭の主題の高貴さ、神々しさ、そして優しさは、エルガー自身をも感動させるものであった。
実際この主題を思いついたとき、彼は「これだ!」というコメントと楽譜をアッピア街道の絵はがきに記し、友人に送っている。
この主題が全楽章に現れるのだが、くどいどころか逆にうっとりしてしまう。まあそれは僕がエルガー大好きだからかもしれないが。
しかしこの主題の虜になってしまうと、どんな技法で再現されようとそれはもうどうでもよく、ただただ身を委ねたくなるような、そんな旋律である。


1楽章の冒頭の旋律があらゆるベースとなって構成されている曲だが、ミクロな解釈は置いておくことにする。
もちろん、彼の豊富なアイディアは素晴らしいのだが(特に2楽章)、技法ではなく旋律について考えてみたい。
この絶対音楽において、旋律というのはどれほど大事なものか。
良い旋律・美しい旋律が良い芸術を為すかといえば、それは疑問である。
モーツァルトのように天才的な旋律がポンポン出るような人はいない。(故に民族音楽や教会旋律がモチーフになるのだ)
むしろ絶対音楽に求められるのは、構成上の究極なバランスではないか。
万人の心をつかむような旋律は簡単に生まれないし、そうだからこそ作曲家としての技量・芸術家としての技術が問われる訳である。
それでもエルガーは旋律にとことんこだわっている。
エルガーが、自分の心を満たすような、自分の中に流れる伝統ある英国人の血を感じるような旋律を見つけるまで。
表題音楽にしろ絶対音楽にしろ、彼の音楽を決定づけるものは、彼の意にぴったりと当てはまる旋律なのではないか。
どうもエルガーらしさというのはそこにあるように思えてならない。

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