ボロディン:交響曲第2番

ボロディン 交響曲第2番 ロ短調


かの名指揮者ワインガルトナーいわく、「チャイコフスキーの悲愴とボロディンの2番を聴けば、ロシアの国民性がわかる」と。
ボロディンの2番は、1楽章の主題の勇壮さから「勇士」と呼ばれ、非常にロシアらしさにあふれる交響曲である。
医者であり化学者であり「日曜作曲家」であったボロディンがこの曲の作曲に着手したのは、『だったん人の踊り』で有名なオペラ「イーゴリ公」を手掛けたのと同じ1869年。
実際に「イーゴリ公」のためのモチーフもこの交響曲に転用された。
彼の創作意欲が最も豊かであった頃と言って良いだろうが、彼の音楽家としての才能と評価の高まりは、同時に彼に多忙を強いることであった。
学者として、教育者として、多忙を極める生活の中、なんとか途中までスコアを書き終えたボロディンに、次々と悲劇が襲って来ようとは、誰も知る由がなかった。


イーゴリ公、弦楽四重奏曲と同時進行で、少しずつ筆を進めていた交響曲第2番は、着手から7年を経てほぼ完成に近付き、順調に初演の予定も組まれていた。
ここで悲劇が。どういう訳か、完成したスコアが見当たらない。簡単に言えば「紛失」してしまったのだ。
現代のように楽譜作成ソフトのファイルがバックアップで取ってある、とそんな便利なものは無いのであって、さらに言えばコピーだって出来ない時代である。
書き直す暇も無いほど多忙なボロディンにさらなる悲劇が襲う。なんと多忙さゆえに病気で入院してしまうのだ。
高熱にうなされながらも、病床で筆をとるボロディン。その音楽への情熱には脱帽である。
そして何とかかんとか再びスコアを完成させ、1877年、ようやく初演を迎えたボロディンに、またしても悲劇が。
そう、初演は酷評の大失敗に終わるのである。あまりに報われないボロディン…
初演の結果に意欲を失いかけたボロディンであったが、心優しい友人の慰めや、同僚リムスキー=コルサコフの助言を受け、交響曲の手直しに取り掛かるボロディン。
そして、オーケストレーションを改訂した交響曲第2番がリムスキー=コルサコフの指揮で演奏され、成功を収めたのが1879年。目頭が熱くなります。
勇壮な1楽章、絶妙なオーケストレーションが味わえる2楽章、そしてボロディンらしさが最も現れている、ロシア音楽らしい美しさに満ちた3楽章。
4楽章の民謡調の旋律とリズムは、苦労に苦労を重ねた音楽が、鮮やかに彩られ、活き活きと動き出す。暗い地下から太陽の光の中へと飛び出てきたかのような快活さと、艶のあるメロディー。
ボロディンの尽きることない音楽への情熱が生んだ、苦労の結晶である。素晴らしい音楽であることは言うまでもない。

ボロディン:交響曲第2番 ボロディン:交響曲第2番
ヤルヴィ(ネーメ),ボロディン,リムスキー=コルサコフ,チェレプニン,エーテボリ交響楽団

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