若き日のコーガン(4)

イザイ 詩曲「糸車に向かいて」 作品13-2


気取った副題を付けてしまったが、別にカタい話をしようというつもりはない。
そもそもこのブログは高度に専門的なことは扱わないようにしようというのがモットーである。
さて、イザイという作曲家をご存じだろうか。ベルギーの著名なヴァイオリニストであり、指揮者、作曲家でもあった。
ドビュッシーやリヒャルト・シュトラウスと同時代に活躍した近代の音楽家である。
イザイ自身は技巧的に優れたヴァイオリニストであり、ヴァイオリンのための楽曲を多く残しているし、ヴァイオリン編曲も数多くこなしている。
彼の作品はやはり、ヴァイオリンの技巧的部分が鍵となっているものが多いように思われる。


リストやパガニーニなど、非常に高度な技術を必要とする曲を作る作曲家の作品は、演奏者の「ヴィルトゥオーソ」が求められている。
「ヴィルトゥオーソ」というと、つい超絶技巧のようなものを思い描きがちだが、そういうのとは少し違った技巧的な上手さが期待されているように思うのが、特にこのイザイの楽曲なのだ。
ピアノとヴァイオリンで奏でられる「糸車に向かいて」は、直接何かを描写している訳ではないが、ピアノの回転的な反復を用いて心情の動きを表現するという手法は、シューベルトの歌曲「糸を紡ぐグレートヒェン」をイメージしたものだと思われる。
シューベルトの歌曲はゲーテの詩が元になっているが、イザイのこの詩曲は、ヴァイオリンの旋律そのものが「詩」である。
糸車に向かって歌を紡ぐヴァイオリンに求められているのは、単に高度な技術ではなく、曲全体を通した、あらゆる技巧的部分を綿密に隙なく表現すること、それはまさしく一篇の詩を紡ぐことに他ならない。
艶やかさや煌めきを持って魅せる音色、リズム感とルバートのタイミングやバランス、それらが一分の隙もなく完全に調和を示すことが、真のヴィルトゥオーソなのではないか、と感じる。
おそらくイザイの曲、特にこのような詩的な小品を、最も芸術的に演奏するというのは、以上のようなヴィルトゥオーソが不可欠なのだろう。

若き日のコーガン(4) 若き日のコーガン(4)
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