プロコフィエフ&ラヴェル:ピアノ協奏曲

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 作品26


5曲ある(未完を入れると6曲ある)プロコフィエフのピアノ協奏曲のうちで、最も人気のあるものがこの第3番である。
曲が始まってすぐ、まず雲の切れ間から光が差し込んでくるかのような前奏で一気に心惹かれてしまった。
この曲を得意とするピアニストのアルゲリッチも「まるで麻薬のよう」と語っているが、この曲は本当に、聴く者の脳内に怪しげな麻薬物質を分泌させ、そしてその中毒性の強さは並みの音楽ではありえない。それだけにプロコフィエフの音楽の中でも名曲と呼ぶに相応しい作品だ。
1921年にプロコフィエフ自身のピアノで初演した際はあまり良い評判ではなかったようだが、名指揮者クーセヴィツキーの指揮で翌年に演奏されたときは、大喝采を受け、それから今日まで人気を博し続けている。


上記のごとく印象的な1楽章の前奏が終わると、ヴァイオリンが快活なリズムを刻み、聴く者の体をどんどん運んでいく。
ピアノの登場は、ただの波だった映像に突如イカしたサーファーが現れたかのような感じがする、唐突でありかつ違和感のない登場の仕方で、実に巧みだ。
雰囲気を変えるように始まる第2主題は、打楽器も加わり、また違ったリズミカルさと、ふと顔を出す抒情性が憎い演出である。
2楽章は変奏曲形式で、様々なピアノとオーケストラの様々な表情が一度に味わえる、いわゆる緩徐楽章ではない、ちょっとお得な楽章だ。
この楽章だけを見ても、そして曲全体を見ても、拍動・律動がはっきり感じられる部分が多いのだが(それがこの曲の麻薬的な魅力の1つなのだが)、そういった中で2楽章の第4変奏はひと際異彩を放つ、精神的・瞑想的でありまたスロー・ジャズのインプロヴィゼーションによるジャムセッションのような空気感がある。これ単独ではあまり面白いものではないかもしれないが、この作品の中にあっては、非常に面白く意義深い場面だ。
絶えずシニカルで、どこか人を小馬鹿にしたような雰囲気が消えないのは、プロコフィエフの音楽の多くで見られる特徴だが、そういった雰囲気が感じられる3楽章のゆったり流れる弦楽と、その上を小走りで駆けるピアノの掛け合いも、聴いていて飽きない。最後にはオケとピアノは上手く手を取り合うのだが、そこがまた良いところだ。
この作品で幾度となく登場する、和音を強打するピアノが生み出すリズムに乗ると、まるでロックバンドのライブで、手を掲げ体をリズムに合わせて揺らしているような興奮がいつまでも続くのである。
麻薬的な音楽、というのは近現代に特に多いような気がするが、1度聴いてハマる人はハマるし、体が抵抗する人もいるかもしれない。
ハマってしまって2度、3度と聴けばもう話は早い。あとは廃人になるまでイケば良いのだ。
ハチャトゥリアン、ショスタコーヴィチ、そしてプロコフィエフの音楽は、そういった面が特に強いように思う。いわゆる「タコヲタ」なんて人たちの、ショスタコーヴィチに対する情熱は麻薬中毒と相似している。
ただ個人的には、プロコフィエフの方がいろんな意味で薬物のような臭いがすると思うのだが、どうだろう。もっと言えば、ショスタコーヴィチの音楽を薬物というのは、ちょっと憚られるし、ハチャトゥリアンの音楽よりプロコフィエフの音楽方が、人間をあざ笑うかのようなものが多いと思う。「いろんな意味」とはそういうことだ。
ピアノ協奏曲第3番に関して言えば、“良い意味”で麻薬的である。進んで中毒になってしかるべき、とでも言おうか。

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