Great Recordings Of The Century - Schubert: Symphonies nos. 3, 5, & 6 / Beecham, Royal Philharmonic Orchestra

シューベルト 交響曲第5番 変ロ長調 D.485


シューベルトの交響曲と言うと、グレートと未完成が名高いが、それ以外の交響曲も非常に魅力的な作品である。
というのは、1番から6番までの、シューベルトが青年期に作曲した作品群は、それ以降のものより編成も小さく、演奏時間も短めで、非常に聴きやすいからだ。そして美しい。
何もグレートが長すぎると文句を言っているのではない。僕だってグレートは大好きである。しかし、こと凡庸な演奏では全く退屈に感じる曲だ。全てが全て飽きの来ない名演ばかりではないのは仕方のないことであり、そういう意味でも初期交響曲の聴きやすさは特筆すべきことであろう。
彼の初期交響曲が小編成で時間も短いのは、これらの作品が私的な演奏会のために作られたものだからという理由がある。
この第5番も、室内楽を中心としたシューベルト家の家庭音楽会から発展したと言われる、ハトヴィヒ家の演奏会のためのものだ。
「トランペットとドラムなしの交響曲」と呼ばれるように、クラリネット、トランペット、トロンボーン、ティンパニは含まれず、フルートも1本のみである。
1816年、シューベルト19歳の作品である。
シューベルトの尊敬するベートーヴェンの交響曲への意識はもちろんあるが、モーツァルトやハイドン、当時流行していたロッシーニや、ケルビーニ、師であるサリエリなどの影響も見られる。


旋律が抜群に美しい。何度聴いても飽きない。派手過ぎず、かといって地味過ぎず、確実に心地好い線を外れない。
そして、この音楽がどこまでもシャイなことが、僕をしてこの曲への愛を無限に湧かしむる。この愛は決して僕の心の外へ逃げることがないのだ。
僕がこの曲に初めて出会ったときは、交響曲そのものではなくて、ピアノによる演奏だった。グレン・グールドのドキュメンタリー作品『グレン・グールド 27歳の記憶』で、ウェーベルンから学んだという評論家と、グールドが対話するシーン。
ウェーベルン自身はシャイだった、彼の音楽もシャイだと言う評論家に対し、本当にシャイなのはこういうのだと、グールドはこの交響曲をピアノで弾いてみせる。
その音楽は確かにシャイだった。グールドは歌いながら、激しい身振りで弾いていたが、音楽はとことんシャイだった。評論家は苦笑するしかなかった。
短い序奏からすぐに第1楽章の第1主題に入る。この主題、胸の内にある思いが外に出ようとするのだけれど、決して出ることは無い思いのように感じる。第2主題もそうだ。
どちらも美しく、いかにもシューベルトらしいデリケートな調性感覚が生かされている。
1楽章の美を堪能して第2楽章を聴くと、驚くことにさらに美しい旋律が流れてくる。緩徐楽章は歌曲のごとく静かに歌う楽章だ。
第3楽章では明暗の対照に気が付く。それ故に飽きることはない。第4楽章は情緒豊かに、やや古典的な、またウィーン的な音楽。モーツァルトの影が見える。
シャイだからと言ってこじんまりしているかというと、そうでもない。しかし、華美や絢爛とはほど遠いのは確かだ。
胸の内にある思いはとどまらず湧き上がるのだろう。それは胸の内だからこそ、ここまで美しく響くのだ。

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