バーンスタイン:交響曲第2番「不安の時代」、ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 Op.47 (Shostakovich : Sym No. 5, Bernstein : Sym No. 2 / Lipkin, Bernstein, New York Philharmonic (1959 Live))


バーンスタイン 交響曲第2番「不安の時代」


3曲あるバーンスタインの交響曲のうち、1番と3番は宗教曲寄りの音楽で、ミュージカルのイメージで聴くとちょっと面食らうだろう。第2番は、バーンスタインお得意のジャズ風も登場する、やや親しみやすい交響曲で、初めてバーンスタインの交響曲を聴く人にはオススメの曲だ。
「不安の時代」というのは、英国の詩人W・H・オーデンの同名の詩から来ている。この詩は、ニューヨーク公共図書館の選ぶ、20世紀に最も影響を与えた本ベスト100に選ばれ、近代文学の象徴的作品とされている。
タイトルには「バロック風田園詩」と付されており(バーンスタインの曲はバロック風でも田園詩でもないが)、オーデンはこの詩で1940年代の世界の全てを描こうとしたと言われている。4人の人物が、世界大戦によって信仰が揺らぎ、高度に産業化し変化している世界において、新しい本質やアイデンティティを模索するという内容である。
その時代は、人間も、何もかもが「不安」(Anxiety)な時代だったと、オーデンは捉えていたのだろう。
バーンスタインもこの詩を読んで感動し、この詩に基づく音楽を作ろうと、1947年に作曲に着手。交響曲ではあるが、ピアノ独奏が活躍し、ほとんどピアノ協奏曲のようなスタイルになっている。
2部構成で、第1部が「プロローグ」、「7つの時代」、「7つの段階」、第2部が「挽歌」、「仮面劇」、「エピローグ」と、原作が6つにわかれているものを、3つずつまとめている。
この曲を演奏すること・聴くことの意義は大きい。オーデンの、そしてバーンスタインの表現する「不安の時代」は、直線的にはもちろん1940年代のことだが、この作品には、もっと普遍的な「不安の時代」を表現する可能性が秘められている。そういう意味で、僕はこの曲が名曲だと思うのだ。


バーンスタイン自身が、「わたしの知るなかで、もっともさびしい音楽」と語った、クラリネットのさびしい二重奏から始まる。第1部は非常に緊張感がある音楽だ。常に張り詰めている。ピアノやハープの、減衰する音は、都市的で冷たい緊張感を生み出す。それは音楽に動きが現れても同じだ。ピアノと打楽器が、変拍子の中でリズムを際立て、息も詰まる緊張感。
D♭、C、D♭、F、G♭、A♭の音列が印象深い。このオスティナートが暗鬱な雰囲気を作る。その中から弾け出す音の塊。現れる一瞬のヴァイオリン・ソロに込められた想いを感じたい。ピアノと管楽器、ピアノと打楽器の掛け合いにも圧倒されるだろう。
第2部は、序盤の挽歌が緩徐楽章の役割を果たしている。この後に続く「仮面劇」の場面は、この交響曲の白眉と言える。ピアノと打楽器、チェレスタによるスケルツォだ。技巧的で、ジャズ風で、楽しげな音楽だが、主人公たちが少女のアパートで夜を徹して楽しみながらも、本音では皆帰りたいと思っている、というこれもまた複雑な不安な状態を表現しているらしい。そうすると、やや崩壊気味なアンサンブルの方が正解なのかもしれない。活躍する鍵盤打楽器の様子と音色の調和(ないし不調和)、そのスリリングさを味わいたい。
そしてエピローグで表される、おそらくは何かしらの解決と思われる「信仰」や「本質」などの感動的な表現に酔いしれてもいいのだろう。弦楽群は憂鬱そうな、しかしそれでいて実は無自覚に前向きとも取れるような和音を奏で、音楽は高まり、ラッパが希望を告げるように聞こえる。「不安の時代」における、この輝かしいフィナーレに、希望を見出すべきなのだろうか。


バーンスタインは、ニューヨーク・フィルと自身の指揮で、1959年のザルツブルグでこの曲を演奏したが、そこではショスタコーヴィチの交響曲第5番と同時に演奏された。このライブは、米ソを代表する作曲家による、まさしく「不安の時代」を表現した芸術的瞬間だったと言える。
この交響曲はいつでも、その時代の抱える「不安」を表現しうる。「不安」の内容は時と共に移り変わるだろう。しかし、僕がつい最近のN響のライブでこの曲を聴いたとき、彼らの音楽が表現した「不安の時代」に触れたとき、語りえぬ「不安」が訪れ、僕は思わず唸ってしまった。