Chausson: Symphony, Concert, Poemes, Piano Quartet


ショーソン 交響曲 変ロ長調


随分冬の寒さも和らいできて、陽射しが暖かな今日このごろ、そんな時期にぴったりな音楽として、ショーソンの交響曲を紹介したい。
ショーソンの音楽は、このブログでも何度か取り上げているが、その独特な重さ・テクスチャ・重なりで季節的には秋冬のような空気を醸し出すものが多いが、交響曲はというと、これから天候も良くなっていく春の初め頃に相応しい、柔らかで微睡むような空気を運んでくれる。
よくこの作品(だけでなく、ショーソンの音楽全体)を評する際に耳にするのが「洗練された」音楽性というものだが、この「洗練された」がどういう意味で言われているのかは、各人よくよくご注意願いたい。
そして、例えばラヴェルの管弦楽曲のような卓越した管弦楽法を「洗練された」音楽として想起するなら、ショーソンの場合はちょっと違うと言わざるを得ない。
そういうテクニカルな意味では洗練されていないし、気取ったエスプリ感やアカデミックな印象もないが、まことに「上品」な音楽であるのは間違いない。こういう音楽は本当にいいものだ。
ショーソンの交響曲は1889年9月に作曲を始め、1890年12月に完成した。1880年代後半という時期は、サン=サーンスのオルガン付きや、ラロの交響曲、ダンディのフランス山人の歌による交響曲、フランクの交響曲と、フランスの交響曲のベストヒットが揃って作曲された時期である。ショーソンも、自分の交響曲をそのラインナップに加えたいと願ったに違いない。
彼は文化人として名は通っていたが、音楽だけでなく文学や絵画にも才能を見せていたので、これは彼が音楽愛好家ではなくいわゆる作曲家として箔が付くチャンスだったのだ。
初演は1891年にショーソン自身の指揮で行われた。その後、1897年にニキシュの指揮とベルリン・フィルによるパリ公演が大成功。当時の批評は賛否両論で、箸にも棒にもかからないとする者もいれば、ショーソンの音楽の中で最高の出来とする者もいた。
現代では、ショーソンは作品の数からしても「歌の人」というイメージだが、オケ曲も聴き逃してはならない大事な作品だと思うし、交響曲というのは特に、作曲者そのものを表すと言ってもいいくらい重大な作品だろう。


「交響曲は人そのもの」なんて物言いをすると語弊を生じうるが、特に無題の純音楽の交響曲はそう言い切っても良いのではないだろうか。逆に言えば、そういう視点から考えなければ、交響曲は理解できないとも言える。
何はともあれ、ショーソンの交響曲を聴いてみれば、その事実はすぐにわかる。相変わらず、少し不器用なテクスチャが、彼の表現したいものを、ともすると有耶無耶にしてしまうくらいに装飾している。単純に、旋律の抒情性の美しさならすぐに伝わるかもしれないが、ベートーヴェンやドヴォルザークの交響曲と同じように、聴衆にわかりやすい語法ではきはきと自身の表現したいものを語ってはくれないのだ。
1楽章のメロディーが基礎となって、循環形式を用いて展開していく構成はフランク譲り。3楽章構成の交響曲であるという点もフランクに倣っている。そして、ワグネリアンであるというショーソンのもう一つのパーソナリティは、例えばワーグナーの「パルジファル」の前奏曲と比較してみれば、その影響は明らかだ。まあ当時、ワーグナーに影響されなかった音楽家はそういないだろうが。
ここで、さらにあと1人、彼の交響曲に影響を与えているのが、1889年の夏にバイロイトで出会い、その後友人となって交流のあったドビュッシーである。彼との交流が、ショーソンのワーグナーからの脱却を促したのはおそらく間違いないだろう。
息の長いため息のような旋律が、暗い暗い時代を物語り、差し込む光が現れると、この交響曲を印象付ける旋律が。この辺りが、今の季節に相応しいと言う根拠でもある。
2楽章で、再び音楽は息の長い悲痛の声となるが、3楽章ではいかにも勇ましいメロディーが登場し、1楽章の回想と共に全体の均整と調和を図る。3楽章のメロディーは「ぞうさん」のメロディーに似ている。まあ和声が大変なことになっているので、そんなに童謡のイメージにとらわれることはないが。
そういう和声的な部分だったり、フランクほどに厳密に用いられていない循環形式の使用だったり、交響曲の全体の美しさとシンフォニックな響きの探求の仕方に、ショーソンならではの美学がある。


もう少し、彼の人物像からこの曲を見てみたい。つまり、音楽家からの影響だけでなく、絵画からの影響という点にも触れておきたいのだ。ショーソン自身も、画家の道に進もうか悩んだほど、絵画への才能があったのだ。
例えば、ショーソンと親交のあった画家と言えば、オディロン・ルドン。彼はシューマンの信奉者でもあり、そういうテーマの絵も書いている。ショーソンとデュオを演奏したこともあるらしい。また、19世紀末にパリで活躍したナビ派の画家たちもそうだ。サン・ジェルマン・アン・レーにあるモーリス・ドニの美術館(元ドニの邸宅)に所蔵されている作品のうち、ショーソンの家から持ってきた作品もいくつかあるほどだ。
ルドンなり、ドニなり、絵を見たことのある人なら、「ああ、こういう雰囲気か」と、なんとなくその色調の持つ雰囲気をわかっていただけるだろう。そして、それがショーソンの交響曲の雰囲気とリンクするのも、ごく自然なことだ。


全体を通したこの「音楽の色調と全体の広がり方」こそ、様々な芸術家から影響を受けたショーソンという人物のオリジナリティだろう。彼が何を思ってこの曲を書いたのか、そういうことの明確な記録はない(いや、あるのかもしれないが)。しかし、こうしてショーソンという人物を形作ったもの、人、芸術に目をやれば、この交響曲が表現したいものを、少しはっきりと見ることができる。結局のところ、交響曲を突き詰めて、行き着く先はショーソンという音楽家彼自身なのであり、例えば彼の不器用でも上品なところ、口下手でも心温かなところ、そういう一個人を見ることができるのが、芸術に触れる至高の瞬間である。

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