内なる遠さ
高野喜久雄


飛翔――白鷺


白鷺が 高く舞い飛び
冬空の彼方にきえる
するとそのあたりから
不思議にちらちらと
雪が降りだす


空に在る掌は
いつもやさしく
白鷺を雪の花にして還す


ひらひらと風に舞わせ
山の上 葦原の上
樹木の上 水田の上に帰らせる


幾度でも雪に還され
幾度でも雪から生まれる
高く舞い 高く舞い飛べ
くりかえし雪となり
舞い降りて また白鷺となれ
幾度でも より清らかに甦れ
今も人々の
心の中に飛んでいる
白鷺


崖の上――かもしか


その昔 漁る人は海へ行く前
先ずかもしかを捜しに
山へ出かけた
その角の鉤針は無類だったから


その昔 旅立つ人は遠くへ行く前
先ずかもしかを捜しに
山へ出かけた
その毛皮の旅衣は無類だったから


しかし今 深く自分に出会いたい時
先ずかもしかを求めて
山に分けいる


ただひとり登り続ける険しい山の道
ただひとり日が暮れてゆく淋しいけもの道
やがてその道さえとぎれ
朝がきて なおよじ登る
めくるめく崖の上


まだ出会えないかもしかよ
だが この崖の上でなら
このままおまえの来るのを待とう


決して崖をおそれず
孤独をおそれないかもしかよ
いつもきり立つ岩の上
自分ひとりと向きあって
己れのなかの声を聴き
不思議な虹を見つめている


そんなおまえに会いたくて
身をよじりたどりついた
この崖の上
おまえを呼ぶもののために
出てきてくれ かもしかよ


合掌――さる


逃げまどい 逃げおくれ
逃げ場をなくした子連れのさるは
銃口に向かって 手を合わせ
必死に手をすり合わせ
泣きながら拝むとか
見逃してくれ と拝む様
そっくり人間のものだとか


さすが さるうちの名人も
この時だけは引金ひけず
はよ逃げろと眼を閉じて
思わず泣いてしまうとか


里もいやだが
もう山もいやだ
さるうちは因果な仕事だ と
語ってくれた老人の名は忘れたが
その合掌ばかりは
今も鮮やかに思い出す


燃えるもの――蜘蛛


枝と幹の間
そよ風に自分の重さを賢く委ね
おまえが張った蜘蛛の巣に
けさは朝露がまぶしく光る


だがおまえがその糸で求めていたものは
おまえのなかにだけあったまぶしさだ


はき出して はき出して
いのちの限り
おまえはおまえの内部をたぐる


だれが垂らした釣糸か
果てしないこがれのように
たぐってもたぐっても終らない
こんな不思議な釣糸を
たしかに深くおまえの底へ
ひそかに垂らしたものがいる
ひそかに托したものがいたのだ


しかし今
たぐる糸にたしかな手応えだ
もしかしたら星かもしれぬ
星かもと思えるほどの
遙かなものの手応えだ
その糸の最後の端に
炎のように燃えるもの
それをおまえは星と呼び
念いつづけて ただ一途にたぐる


己れを光に――深海魚


なぜおまえだけが太陽に背を向けて
かたくなに行ってしまうのか
真暗な海の底へ
今にも潰れそうになり
しかし厳しくそれに耐え
なお深く降りて行く深海魚


深さだけがおまえの食べ物なのか
その姿態さえ変り果てるほどに
何をおまえは探していたか
深い無音の闇の中
あくまでもおまえが求め続けていたものは……


より深く なお深く
こんなにもおまえを底へと向わせる
それは恐れか それはこがれか
それは祈り それは狂気
それは怒り それとも
まだ名付けようもない
大きな問に答えるためなのか


今はもう眼も耳もいらなくなって
小さな「しかし」も
小さな「なぜ」もいらなくなって
ひたすらおまえは降りて行く
水の深さに釣り合ういのち
千億の水圧を辛くもこらえ
はげしく己れを光に変えて
おお 光に