Orchestral Works 2


20世紀の初め頃、ロンドンでリヒャルト・シュトラウスやドビュッシー、シベリウスらが認知されてきた頃に、イギリスの作曲家サー・アーノルド・バックスは若くして円熟期を迎えていた。
自身のルーツであるアイルランドの音楽と、ヨーロッパのビッグネームたちが作っていた印象派やロマン派の音楽の影響と、彼の中にコンフリクトがあったことは窺えるものの、バックスは彼らからの得たものを、自身の音楽言語の中にすっかりと吸収しきって、さらに高度な音楽への発展させていた。
第二次世界大戦が始まると、戦争のムードからバックスの創作意欲は途端に衰えてしまうのだが、二次大戦前にはもう彼はいくつかの管弦楽作品で大きな名声を得ていた。英国音楽史に、この色彩豊かで心躍らせる音楽をもたらしたバックスの功績は大きい。
彼は1942年から10年間、英国王室楽長(Master of the Queen’s Music)を務めた。英国音楽史に類を見ない彼の音楽の「色彩感」は、英国王室楽長の後任サー・アーサー・ブリスにも引き継がれているように思われる。
しかし彼は不遇な作曲家でもあると言える。多くの管弦楽作品はバックス自身も耳にすることなくこの世を去ってしまっているし、没後長らく忘れ去られていた作曲家の一人だ。彼の音楽を蘇らせたのはChandosレーベルの大きな手柄だ。
バックスが早熟を窮めている時代に、彼に最も刺激を与えたものが、一つはディアギレフのバレエ・リュスとその周辺の作曲家たち全体に行き渡っているペイガニズム的なムードである。そしてももう一つは、そうしたムードの中でバックスが傾倒したイギリスの詩人アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーンの作品である。
スウィンバーンの詩は、サディズムやマゾヒズム、デストルドー、同性愛や無宗教などのテーマが度々登場する。「春の火」の他にも、自然交響詩「ニンフォレプト」なども、スウィンバーンの詩からインスピレーションを得た作品だ。
今回取り上げる交響詩「春の火」は、ギリシア悲劇の形式に則って作らたスウィンバーンの代表作『カリドンのアタランタ』に刺激され、1913年に作曲されたものである。
おそらくこれはバックスの作品の中で最も不運な運命を辿った楽曲であり、1914年のノリッチ音楽祭での初演は第一次大戦の勃発によって中止、1916年のトーマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィルのコンサートで演奏すると予告されるも、土壇場で難易度が高いという理由でキャンセル。1919年にはバックスの友人バルフォア・ガーディナーが演奏しようとするもこれも中止。とうとうバックスは生前この曲を聴くことはなかった。


ここでは交響詩としたが、バックスは「春の火」を自由な形式の交響曲としてみなしていた。もとのスコアには1楽章から5楽章までの番号が振られていたが、1964年に出た版では初めの2つの楽章はまとめられている。
1楽章は‘In the Forest before Dawn’と題され、ふわふわと漂うような、どこか物憂いような雰囲気が充満している。フルートとハープの音からは雨が降っているのがわかる。木の葉に滴る雨水は枝をつたい、繊細な雨の森の香りを漂わせる。リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」を思わせるような、卓越した描写力に注目したい。
そんな音が止むと、静けさとともに2楽章の‘Daybreak and Sunrise’が始まる。木管楽器による短いフレーズは、冬の長い眠りに就いていた森の住民たちを目覚めさせるようだ。夜明けはすなわち、冬の終わりと春の訪れでもある。にわかに光が射し、森は目覚める。妖精たちも腕を伸ばし、手を取り合って踊り出す。
3楽章‘Full Day’、ここでバックスは初めて、スコアにスウィンバーンの『カリドンのアタランタ』からの一節を引用する。ちなみに、『カリドンのアタランタ』の冒頭は「春の猟犬が冬の足跡を辿る頃 月の女神が牧場で草原で 暗がりを、風吹く場所を 葉音、雨音で満たす」と始まり、A・リード作曲の吹奏楽曲「春の猟犬」はこれに霊感を受けた作品である。「春の火」で引用されるのは、これの次の章である。


Come with bows bent and emptying of quivers,
Maiden Most Perfect, lady of light,
With a noise of wind and many rivers,
With a clamour of waters, and with might.


来たれ、会釈と震駭と
完璧な乙女、光の淑女とともに
風の音、河川の音とともに
水の喧騒、そして力とともに
(拙訳)


4楽章は‘Woodland Love (Romance)’と題され、ロマンチックで情熱的な旋律から始まる。クラリネットやオーボエが、ハープやピアノの伴奏でソロを吹く様は、静かな森の中のロマンスのワンシーン。木管、そしてトランペット、ホルンが、弦楽器の低音とハープのアルペジオに折り重なり、オーケストラによる一枚の優しい優しいタペストリーが織られていく。少し奇妙な響きもあるが、これこそディアギレフやスウィンバーンから影響そのものだ。恍惚とした夢の世界へと堕ちていく森の恋人たちが描かれる。
5楽章の‘Maenads’とは、酒神ディオニュソスの巫女たちのことである。森の恋人たちだけの内緒の時間が終わりを迎え、巫女たちや妖精たち、そして神々が、森の中で踊り戯れるのである。金管楽器も華やかさを増し、この楽章と3楽章はオーケストラがフルスペックで活躍する。リヒャルト・シュトラウス顔負けである。あるいはラヴェルの「ダフニスとクロエ」に似た雰囲気を感じることもできるかもしれない。古代ギリシアには「ダフネフォリア」という祭典がある。テバイで9年に1度開催されたアポロンに捧げる行進で、旗を持って練り歩くというものだ。フレデリック・レイトンの絵画を見てもらいたい。「春の火」はクライマックスに向けて、徐々に序盤の音楽の要素なども混ざりはじめ、まさに音楽の「ダフネフォリア」となる。自然の全てがこれに加わり、若さと陽の光を讃えた終わりなき祭りを謳歌するのだ。
バックスの色彩感と詩的情感、そしてダイナミズムとロマンティシズムにあふれる音楽を堪能していただきたい。

フレデリック・レイトン『ダフネフォリア』(1874年)

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