ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲&サン=サーンス:ハバネラ他(期間生産限定盤)


ハチャトゥリアン ヴァイオリン協奏曲 ニ短調


ハチャトゥリアンをはじめとした多くのソ連時代の作曲家たちのキャリアというのは、スターリンの「社会主義リアリズム」との間の暫定協定を勝ち取ることができる音楽スタイルを模索することだったと言っても過言ではあるまい。
賞賛されたと思えば批判され、ソ連が崩壊するまでそれを繰り返す芸術人生だったと言える。ハチャトゥリアンのように強烈に土俗的な作風の作曲家でも、1948年のジダーノフ批判の対象になり、前衛的だ退廃的だとケチをつけられた。
今回取り上げるヴァイオリン協奏曲は、ジダーノフ批判より前の1940年の作品。このブログで前回ハチャトゥリアンについて書いたのは「ヴァレンシアの寡婦」だが、それと同じ年に作られた曲だ。
ヴァイオリン協奏曲は、作曲された翌年の1941年にスターリン賞で2等に選ばれ、いわばスターリンからお褒めにあずかった作品ということになる。スターリンが好みそうなのもわかる。ヒトラーはヒンデミットを退廃音楽扱いしたし、実際にヒンデミットの音楽を聞いてみれば、誰にでもわかるくらい前衛的な響きがする作品が多いと思うのだが、このハチャトゥリアンの協奏曲に関しては、前衛的だ退廃的だと文句を言える部分が全く見当たらない。
むしろ、伝統の線上から一歩もはみ出ず、さらに言えば過去の名曲・名作曲家たちから色んな美味しい要素を借りて出来上がっている作品なのだ。これはスターリンも大絶賛間違いなし。独裁者は伝統が大好きなのだ。しかも、この曲は「社会主義リアリズム」とは一線を画した、もっともっと「人間的」な音楽だと僕は思う。
ソビエトを代表する名ヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフに献呈されており、時間は35分ほど。ハチャトゥリアン自身の指揮とオイストラフの独奏による決定盤や、僕の敬愛するレオニード・コーガンの録音もあるが、僕がこの曲で(久しぶりに)ブログを更新しようと思ったきっかけとなったのは、ヴァレリー・クリモフ独奏スヴェトラーノフ指揮ソビエト国立響による1980年の録音を聴いて心躍ったからであることも記しておこう。
フルート編曲版もあり、ランパルやパユ、ゴールウェイといった名手たちが録音している。こっちの方が息づかいが聞こえて好きだなーなんて風にも思っていたが、クリモフ盤を聴いて感動している今の僕にはフルートの話はできません。


それにしてもわかりやすい導入で、アピールポイント全開でスタートする曲である。ハチャトゥリアンといいアルチュニアンといい、ド頭のインパクトは他の追随を許さない。アルメニア音楽のイントネーションが強烈に現れている。ここから確固たる伝統的な3楽章構成の協奏曲が始まる。冒頭からあふれるリリシズムに、色彩豊かなオーケストレーションと燦々たるヴィルトゥオージ。これにはスターリンでなくても、クラシック音楽の伝統そのものに触れているという感覚を得るはずだ。
1楽章、ヴァイオリンが提示する第1主題のエネルギッシュで舞踏的な要素と、ボロディン風の夢見るような第2主題の対比が良い。グリーグのピアノ協奏曲風と捉える人もいるようだ。カデンツァの入り方の音型なども、これはメンデルスゾーンの協奏曲を意識したのだろうか。
2楽章はアンダンテ、伝統的協奏曲では当然のごとく緩徐楽章、ファゴットのオリエンタルな旋律から始まる。全体としてはワルツ・ヴァリエーションといったところ。リムスキー=コルサコフ顔負けの、艶やかなアラビア風ノクターンはひたすらに美しい。
2楽章の終わりから終楽章の始まりにかけては、詳しい人ならおそらくベートーヴェンやチャイコフスキーの協奏曲を思い出す。弾けたように飛び出すロンド形式の舞曲は、チャイコフスキーのエフゲニー・オネーギンのポロネーズのようだ。さっきから他の作曲家の名前ばかり出しているが、本当にそうなのだから仕方がない。活気あるロンドに踊り狂うソロ・ヴァイオリンは聴いていてこちらの心も躍る。1楽章のボロディン風の主題も再現され、クライマックスは執拗なD音の連打。この異常な連打こそハチャトゥリアンである。


僕は4年近く前に「ヴァレンシアの寡婦」の記事で、ハチャトゥリアンの音楽には「多くの人間が共通に持つ、精神のどこかに「根付いている」何かと共鳴するようなもの」があると書いたが、ヴァイオリン協奏曲について調べているうちに、似たような言説に出会った。
ハチャトゥリアン自身がこの曲の終楽章について、これはつまるところ「人生を肯定することの極致」(lebensbejahende Apotheose)だと主張していたそうだ。人生を肯定するという表現、彼らの生きていた時代を思うと、どれほど重みのある言葉だろう。芸術人生でスターリンと闘うことを余儀なくされ、ローゼンメイデンの名言ではないが「闘うことって、生きることでしょう?」をそのまま当てはめられるような人生を送っていたであろう彼らは、音楽で自分の、あるいは同胞たちの人生を肯定していたのだ。我々がハチャトゥリアンの音楽を聞いて、どうしてこうも揺さぶられるのか、少し理解できた気がした。
ショスタコーヴィチは、ハチャトゥリアンの音楽を総括するときに、次のようなことを念頭に置いていたという。
「ハチャトゥリアンの個性は、彼の作品のあらゆる小節ごとに刻印されているあの特徴的な音楽語法だけではない。そう、この個性というものは、はるかに遠大で、作曲技術なんてもの以上のものを意味している。根本的には、我々の現実を楽観的に・ポジティブに見るんだと提示するハチャトゥリアンの作曲家としての視座、そういうものも含んでいるのだ」
悲観主義者の僕も、この曲を前にしては沈黙するほかない。魂を燃やし、人生をドライブさせるのだ。


【参考】
Wazola, O., “Aram Khatchaturian: Konzerte für Violine und Violoncello(CD Liner Notes),” Orfeo, 2004.

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レオニード・コーガン、ダヴィッド・オイストラフ

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