ヴァイオリン作品集 第2集~イタリア組曲、ヴァイオリン協奏曲、他 イリヤ・グリンゴルツ、ペーター・ラウル、ディーマ・スロボデニュク&ガリシア交響楽団


ストラヴィンスキー イタリア組曲


この曲はストラヴィンスキーのバレエ音楽「プルチネルラ」(1925年作)から抜粋して、1933年に室内楽用に編曲されたものだ。編曲された組曲を「イタリア組曲」と呼ぶ。
元は40分ほどあるバレエのためのオーケストラ音楽だが、15分ほどの長さにまとめ、チェロとピアノ、ヴァイオリンとピアノなどなど、様々な編成で演奏される人気作である。
実は、僕は最初にこの曲に触れたのは、元のバレエ音楽「プルチネルラ」ではなく、チェロとピアノ版だった。確かフルニエのチェロによる演奏だったと思う。それから原曲を聴いた。さすがに原曲は録音も多いが、個人的には故デ・ブルゴス氏が好んでこの曲を取り上げていたのが印象深い。好きなんだろうなあ。
程なくしてヴァイオリンとピアノ版をCDで聴く機会を得た。基本的に中身は同じなのだが、僕の心の琴線に最もよく触れたのが、ヴァイオリンとピアノの組み合わせだった。ぐっとこの曲のことを好きになった。


「プルチネルラ」は、ペルゴレージやガロなどのイタリアの古典派音楽をストラヴィンスキーが編曲したものなので、「春の祭典」とか「火の鳥」とか、そういう過激なやつを想像すると面食らう。実際、当時の聴衆も、ストラヴィンスキーが新古典主義の音楽を発表したときは面食らったようだ。
ご多分に漏れずバレエ・リュスのディアギレフによる依頼で、ペルゴレージらの楽譜を元に「これをアレンジしてバレエ用に作ってくれ」と言われたストラヴィンスキーが鋭意アレンジに努めた結果できあがったのが「プルチネルラ」であり、こちらについても、また別の機会に詳しく語りたいと思っている。新古典主義の代表作のように扱われるが、どちらかというと、ストラヴィンスキーが新古典主義に傾倒するようになる“きっかけ”となった曲だ。
今回は、それをさらにアレンジした、つまりアレンジのアレンジである「イタリア組曲」を紹介したい。なので、プルチネルラほど新古典主義的創作について熱く語る必要はない、ということにしておこう。
それにしても、チェロとピアノ版はピアティゴルスキーの協力を得て、またヴァイオリンとピアノ版はドゥシュキンの協力を得て編曲したものだ。もうここまで説明するのにいったい人名が何人出てきたか……とにかく、天才ディアギレフの発案により、イタリア古典派の音楽の良さに、ストラヴィンスキーの卓越した編曲の才と、名演奏家の助言も加わった、スーパーハイブリッドな名曲だということは指摘しておこう。


第1曲イントロドゥツィオーネ(Introduzione)、素直な旋律の美しさに、ほんのひとつまみのスパイスのような不協和が味わい深い。
第2曲セレナータ(Serenata)、熱い愛の歌にはやはりヴァイオリンが似合うと思うのは贔屓かしら。
第3曲タランテラ(Tarantella)、めまぐるしく動く旋律はやはりヴァイオリンとピアノの組み合わせが非常によく活きる。南欧の異国情緒と共に、ストラヴィンスキーらしいリズムの妙も感じられるだろう。
第4曲2つの変奏付きガヴォット(Gavotte con due variazioni)、原曲では木管のみで演奏されるこの曲は、ヘンデルのヴァイオリン・ソナタを彷彿とさせる。
第5曲スケルツィーノ(Scherzino)は軽快に走り抜ける8分音符の連続、これもヴァイオリンがよく似合う。
第6曲ミヌエット・エ・フィナーレ(Minuetto – Finale)、貴族的で優雅なメヌエットに漂う不穏さも丸ごと楽しむのがよろしい。フィナーレの美しさはヴァイオリンでこそ、と思わせる説得力がある。


べた褒めしているが、ヴァイオリンのための室内楽作品として考えると、ねっとり歌う歌もなければ、技巧的に聞かせるところもない。しかしシンプルにサラリと弾き上げてくれるだけでシビレてしまう、不思議な魅力のある曲のだ。
ミュンヘンの音楽学教授デームリング先生は、ストラヴィンスキーの評伝で、プルチネルラの作曲から以降の新古典主義にまつわる彼の作曲概念の本質について、次のように書いている。


作曲とは、追創作、修正であり、すでに存在する一つのモデルの改変だということである。(中略)言うなれば、ストラヴィンスキーにとって、作曲とは「音楽に基づいて音楽を作る」ことであった。


これはまだ序の口で、彼の作曲へのアプローチや古典への考え方はもっと深いものに根ざしているが、まさしくこの「イタリア組曲」は、追創作の極みに他ならない。それでいて、プルチネルラよりも気軽に聴けるのもまた良いところだ。ヴァイオリンとピアノの編成は、その機動力と音域・音色で、極彩色の古きイタリアの幻想を描き出す。我々凡人は、こういう奇跡のようにして世に送り出されることになった珠玉の名曲に感謝して、十二分に鑑賞を楽しみたいものだ。