美しい訣れの朝
阪田寛夫


「あなたはいつも」


あなたはいつも背をまげて 街を歩く
左肩をさげて 夕日のなかを


あなたはいつも靴をひきずり 
坂をのぼって帰ってくる
幾百千の足音から あなたがわかる


あなたはいつも顔じゅうの汗を げんこでふく
若かった頃も 歳をとったいまも


あなたはいつも病の私に おせじを使う  
つやがいいから もうなおるという


あなたはいつも背をまげて 街を歩く
左肩をさげて ふとたちどまる
ーー私の思いのなかで


「くちなし」


爪ばかりのびる指 黄色い指
むしばまれた枝の くちなし


こんなに萎えても まだべっとり
甘い匂いの
ふしだらな くちなし


わたしは冷えてしまいたい
わたくしの根をたやしたい
みにくく老いて
死の床に なお
爪ばかりのびる指


もだえ くるしみ
匂いつつ腐る
くちなし


「お母さん」


恥ずかしいけど…… その箪笥です
下から二つめ 気をつけて下さい だいじな ひきだし
恥ずかしいけど…… 古い銘仙 あるでしょ
肩あげを下ろしたままの 青い矢がすり
恥ずかしいけど…… 見せて下さい
着てみなくてもいいんです 匂いだけ嗅がせて
これ 母の匂い


何十年もむかし こんな風に臥ていた日
亡くなった母が 箪笥にしまってくれた着物
あの頃の母は 私よりまだ若い
恥ずかしいけど……呼んでもいいでしょ
お母さん お母さん お母さん


わたし苦しい わたし痛い わたし死ぬの
さすってよ
つめたいお茶がほしい
窓をあけて 夜はいや 朝にして
私をかえして 早くかえして あの頃の私に


お母さん お母さん
どこへも行っちゃいや!


恥ずかしいけど…… この銘仙
やっぱり わたしに 着せて


「おやすみぼくチン-生まれなかった子供への子守唄ー」


おやすみ ぼくチン 海鳴りがやんで
ほら おさかなが ぱぷぱぷ ないてる
おやすみ ぼくチン 名なしの ぼくチン
いつまでたっても 赤ちゃんのぼくチン
かあさんはね あなたを見たかった かけっこしたかった お風呂にいれてあげたかった
おやすみぼくチン 月がまっかよ また鳴りだすわ まっくらくらの海が 
おやすみぼくチン かあさんといっしょに こわいものがみえないように
ほら おさかなが あんなに ぱぷぱぷ
おやすみ ぼくチン


「赤い風船」


さよなら あなた  
ありがとう あなた


風船を空にあげましょう 赤い風船がいい
今朝の空によく似合うでしょう
その風船につかまって 私は もう行かなくっちゃ


うちが見えるわ 洗濯物がひるがえる 青い屋根 あのえのき 
駅前通りがまっすぐのびて
私はくるくる輪をえがく 私はもう空へのぼる 
のぼって ひかって みじんになって
いくせんまんの雨になって あの屋根に振るの
えのきの葉っぱと あなたの肩にも ひたひたひたひた
それからこのすばらしい世界に 小さな草の芽をそだてるの


ああ
とんびが舞ってる あの輪をぬけて 私はもう空にいる


さよなら あなた ありがとう あなた


どうかいつも…………
空を見上げて
おねがい