ペンデレツキ ピッツバーグ序曲:ヒューマニティに物申す

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New Brass Symphony


ペンデレツキ ピッツバーグ序曲


クシシュトフ・ペンデレツキ(1933-)はポーランドの作曲家・指揮者である。ごく大雑把に彼の音楽について説明すると、トーン・クラスターや微分音や特殊奏法などを取り入れた前衛的な作風から、1970年頃に新ロマン主義的な標題音楽へと転向、カトリック教徒であり宗教音楽も多く書き、客演で自作他作含め指揮もする、というちょっと面白い音楽家だ。今日取り上げる曲は、一応吹奏楽の名曲という風に語られる。吹奏楽というよりは管楽による合奏である。
ペンデレツキは、日本では1961年の作品「広島の犠牲者に捧げる哀歌」で有名になった。52本の弦楽器群による音響主義的な作品で、この当時に僕は生まれてもいなかったから正直どの程度評判になったのかわからないが、本人指揮による広響が94年に広島初演している。
日本人なら反応せざるをえないようなこの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」という曲名は、まあ後出しジャンケンであり、作曲後に演奏されたのを聴いたペンデレツキが連想して付けたそうである。
伊藤康英氏が「あの曲はネーミングが良かったんじゃないか」と書いていたが、同じようなコンセプトの曲なのにネーミングのせいで損をしたかもしれない曲が、この「ピッツバーグ序曲」である。
木管17人、金管15人、打楽器大量、ハーモニウム、ピアノという、まさに「広島~」とは対照的な編成による作品で、こちらもクラスターや微分音を実験的に用いた、「なんかよくわからない音の塊を聴く」音楽である。なおピアノは打楽器寄り、ハーモニウムは管楽器寄りとして用いられている。
指揮者ロバート・オースティン・ブードローとアメリカン・ウィンド・シンフォニー・オーケストラによる委嘱作品であり、この団体は数多くの有名作曲家に作品を委嘱している。ロドリーゴ、ヴィラ=ロボス、アルチュニアン、オーリック、フランセ、ホヴァネス、日本人でも小山清茂、黛敏郎、三善晃、2006年に和田薫が和太鼓を使った協奏曲を書いている。
指揮者ブードローが当時ピッツバーグの大学で教授をしており、ピッツバーグ近郊のオークモントにあるリヴァーサイドパークで演奏されるために書かれたため、こういうタイトルになった。1967年6月30日初演。


以前(2012年)書いたリゲティの「アトモスフェール」というトーン・クラスターの代表作のような曲の記事を自分で読み返してみて、こういうのを音楽と呼ぶのははばかられるが音を用いた芸術としては認めようという、なんだか香ばしい文章で恥ずかしくなるが、いやいや実際のところ、こういうものを音楽として楽しむにはそれなりの訓練が必要だろう。
まさに「考えるな、感じろ」で、音の塊にぶつかるのも聴き方のひとつだし、うーん、というかそれ以外の聴き方はあまり思い浮かばないけれども、実際に聴くときはまあそういう心づもりでいてもらって、聴く前にぜひ以下の文章を読んでいただきたい。


磯田健一郎氏がこの曲について次のように語っている。
「クラスター、即興性、微分音程といった単語が人間の音楽的生理からかけ離れた無機質なものしか生み得ないとお思いの方は、ここにある極めて人間臭い音たちの立ち振る舞いに驚かれることだろう」
こういう「よくわからん現代音楽」とカテゴライズされる作品について、そこに人間性を見出すのは一つの解決ではある。よくわからんとしても、演奏しているのは人間だし、たとえ機械が演奏しているとしても、作ったのは人間だ。しかもペンデレツキは作風を変えて、非常に人間的というか、特に宗教音楽についてはヒューマニステッィクな音楽を作っていると作曲者自身も語っている。
しかし、どうもこの曲については、ちょっとそういう援護射撃は使えないというか、そんなに無理して人間らしさを感じ取らなくてもいいんじゃないかなと思う。
というのは、対照的な「広島~」の方は、何しろ作曲者本人が聴いて、犠牲者に捧げる哀歌だと言っているのだからもう仕方ないのだけど、こちらの管楽合奏である「ピッツバーグ序曲」は、人間的というよりも、もっとずっと原始的な「管楽器は大きい音が出るから軍隊や式典で使った」という、吹奏楽(管楽合奏)の根本的な有り様について再考するような作品なのではないだろうか。
この曲がポーランドで初演されたのは2012年、ワルシャワ・フィルの演奏によるもので、この演奏の感想として「コンサートホールの中で留まっている音が、まるでアメリカで初演されたときの特殊な状況を希求して叫んでいるようだった」というものをネットで見かけた。なるほど。確かに弦に比べて倍音の少ない管楽器の音塊は、コンサートホールの壁を突き抜けるように一直線に飛んでいくような印象がある。もちろん、常に飛んでいくような音だけではないが。
いや、ちょっと待て、初演時については資料が少なくてわからないことも多いのだが、よく考えると、こんな意味不明な曲を川沿いの公園で「序曲」として演奏するという状況も、なんだか可笑しい。華々しい金管のファンファーレもないし、勇壮なメロディもない。それでも、伝統的な典礼音楽っぽい編成で、真面目な顔で演奏するのだ。陽の光を浴びた川面に、この音はどう映えたのだろう(そしてピアノとオルガンも持ち出して大変だっただろう)。
もしかすると、ヘンデルの水上の音楽も、演奏している側は偉い人たちに対してやるせない思いを抱いていたのかな、なんてことを思ったり。僕はこの曲を単なる無機質な音だとも思わないが、どうも人間らしさというよりは、人間の手を離れてしまった音による「水上の音楽」なのかな、なんて思ったり。音程も一応十二音技法的には調和するようになっていて、僕はその調和感はヒューマニティというよりも、ある種のファンファーレ的なものに近いのかな、と。
上手くまとまらないし、まとめるつもりもないし、「典礼音楽へのアンチテーゼ」みたいに言うのもちょっと腑に落ちないので、あとは聴いていただくしかない。
聴いてもらって「こういうのはちょっと……」という方は、吹奏楽で有名なフィリップ・スパークという作曲家が同じ題名のメロディ豊かな曲を書いていますので、どうぞそちらを。


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