パガニーニ・パーソナル/一柳慧の宇宙 I


一柳慧(いちやなぎとし、と読む)は日本の現代音楽の作曲家である。19才で渡米し、ジョン・ケージらと交流。帰国後、アメリカの前衛音楽を日本に紹介した功績は多大であり、2018年には文化勲章が贈られた。
ジョン・レノンと出会う前の小野洋子と結婚している。ジョン・レノンと出会う前の小野洋子と離婚もしている。どうでもいいかな?
僕は何を隠そう、割と現代音楽も好きである。ちょくちょくそういう曲も紹介しているし、案外音源も聴いている。昔は反発していたが、段々と慣れるものだ。慣れって怖いね。
ご多分に漏れず、一柳慧はいわゆる現代音楽の作曲家なので、好きな人でなければ、ほとんどの曲は聴いた感想が「?」で終わると思う。が、しかし、今回取り上げる曲は現代音楽にさほど興味がないクラシック音楽ファンも楽しめるだろう、たぶんね。
「パガニーニ・パーソナル」という謎めいた曲名だが、パガニーニの主題による変奏曲、と思っていただければ。1982年の作品。シューマン、リスト、ブラームス、ラフマニノフなど……多くの作曲家がパガニーニの「24のカプリース」の主題で変奏曲を書いているが、これはマリンバとピアノのための、パガニーニ変奏曲である。
岩城宏之の委嘱による。初演は1982年8月21日の軽井沢音楽祭、岩城宏之のマリンバと、妻の木村かをりのピアノによって初演された。という情報を後に知り、へえー岩城宏之ってマリンバ上手かったんだなあ、なんてことを思った。指揮の他に打楽器もできることは知っていたが、それなりに叩けないと出来ない曲ではある。しかしこの曲はピアノの方が技術的にはずっと大変だと思う。


特徴的なピアノの和音による序奏を経て、マリンバのA音のトレモロに導かれてテーマへ。至極まともに主題を奏でるマリンバの裏で、気味の悪い上昇系のピアノ伴奏が。すぐに主題も一緒に崩壊を始める。
ぼーっと聴いていると、変奏からパガニーニの主題を見失うくらいには崩壊しているのだが、一応頑張って聴き取ろうとすればパガニーニの顔くらいはわかる。いや、わからないのもあるかな……100mくらい先を歩いているパガニーニの後ろ姿くらいかな。
しかしどの変奏も面白い。リズムだけ、音程の上下だけ、限られた要素だけ残されたパガニーニの残骸(と言ったら失礼かな)を見ているような感じだ。あと、主題を見いだせない人は、かつての大作曲家たちのパガニーニ変奏曲を聴き込むことをおすすめする。調性や旋律から解放されたヴァリエーションを把握するには、まず調性や旋律を残したヴァリエーションが身体に染み付いていた方がわかりやすいと思う。
あとは、一柳はライヒの「ピアノ・フェイズ」初演に立ち会ったり、テリー・ライリーとも交流するなど、ミニマル・ミュージックも彼の音楽では重要な位置を占める。マリンバ・フェイズを思わせるような変奏もまた楽しい。
かつてヘンツェの「イル・ヴィタリーノ・ラッドッピアート」について記事を書いたときに取り上げた言葉を拝借して言えば「有名なパガニーニの主題を原型から徐々に現代書法やマリンバ・ピアノ技法の中に折りたたんで変容させようという趣向」ということになろうか。まあ正直それ以上でも以下でもない。変奏曲という制約の多い形式は、自由になりたがることばかり求める現代音楽には不向きかもしれない。しかし、それは同時に聴きやすさにも繋がる。
作曲者御本人は「打楽器に対して、今日の視点からクラシック音楽との結びつきを考えられないだろうか、という発想がこういう形になって具現化された」と語っている。
マリンバとピアノのほかに、ピアノ2台版、マリンバとオーケストラ版、マリンバとピアノと合唱版もある。合唱が入るのは岩城の編曲によるもので、岩城が指揮・マリンバ、東京混声合唱団と一柳慧のピアノによる演奏が1986年に行われている。それっきりだろうか……。マリンバとピアノのものはマリンバ奏者のレパートリーにもなっており、よく演奏されているようだ。
面白い曲なのでぜひたくさんの人に聴いてもらいたい。ところで曲名の「パーソナル」ってなに?

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