【名盤への勧誘】プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番「戦争ソナタ」 グレン・グールド(p) (1967年6,7月)

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プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番 変ロ長調 作品83「戦争ソナタ」
グレン・グールド(p) (1967年6月14,15日,7月25日、ニューヨーク)


僕が演奏評を書くのをあまり好まないのは、たくさん書ける訳ではないので、一つを選んで書くと、選ばなかった他の演奏は「選ばれなかった」というだけで選ばれしものより劣っていると勘違いさせてしまうのではないか、と恐れているからだ。決してそんなつもりはないし、むしろ本当に今回選んだグールド盤を優れていると思っているのかも自分でも疑わしいのだが、中には本当に他を貶めることで自分の推しを上げようとする人もいる。それはそれとして、良いと思ったものは語りたい気持ちがあるからブログをやっているというのもまた事実である。


しかし僕は専門家でもなんでもないし、声高に演奏を語るのはやはり憚られる。演奏について語る体で、実はこの曲の演奏評そのものにイチャモンをつけたい、論じたいという気持ちの方が強いのかもしれない。プロコフィエフの戦争ソナタ7番の演奏評・評である。自分でも曲がった根性だなあと思う。まあ、別に高尚な論を交わしたいという気持ちもないし、大した演奏評を書けないやっかみもある。


要は「演奏」についてはもちろん、まず伝説的ピアニストであるグールドの「演奏を語ること」そのものについて、少し触れておきたいのだ。それだけグールドの演奏を語るには覚悟みたいなものが要る。世の中のグールド語りにはいくつかのパターンがあり、例えば、大して他の演奏を聴いていなくても、グールドがすごいピアニストであることは一般常識だし、別に他の演奏を聴かずともグールドはすごいと思うことは可能なので、グールドを褒めているものの中にはそういう絶対評価的なものが少なからずある。


また、相対評価的に書いているものだと、妄信的でなければグールド以外にもすごいピアニストはたくさんいることを知るのが普通なので、逆にグールドを褒めちゃうとかえって素人っぽくて気恥ずかしくなり、ディスったり触れないでおいたりするパターンもある。とまあ、あくまで一例だが、それだけ「スター」である存在は扱いにくいものなのだ。

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さあ、長い長い言い訳を前書きしたので、ここからは適当に書くぞー。


この演奏の何が良いのか。端的に言おう。とにかく真面目なのである。およそ「奇抜」などとは遠くかけ離れた、どこまでも真面目で、真面目な演奏である。


まず特徴的なのは音色だ。ここまで音色に艶がなく、種類も少ないのも珍しい。というのは、プロコフィエフを得意にするロシアン・ピアニズムの演奏家たちにとって、音色の種類の多さとその使い分けというのは、非常に重要なことだからだ。それは変化の多い1楽章において、とても重要な武器になる。また2楽章を歌い上げるのにも使えるだろう。どうしたことか、グールドは単色、モノトーン、白黒写真のように描き出す。つまらない? ベートーヴェンならそうかもしれない、しかし、この曲はそういう描き方をしても、楽しめる要素が詰まっている曲だ。


ある意味、淡々と弾いているようにも聴こえる。もちろん、よく聴けばちょっと変わった弾き方をしていたり、音色の変化だってもちろん散見されるのだが、他の人の評を借りると「知的」とか「シャープ」とか、そういう言葉が似合うし、僕も同意できる。1楽章も2楽章も、淡々と弾くことでしか見えないものが見える。リヒテルが指摘した、無秩序や混沌……それらは強く耳を突くような音や仄暗い音色で描くこともできようが、機械的に制御されたような音で描くそれらも、また独特の恐怖である。淡々としていても、グールドの表現しているものは、プロコフィエフの意図と遠くない、というかむしろ真意に近いのではないだろうか。自分をひけらかさない。実に真面目だと思う。知らない人ならよほどウィリアム・カペルやホロヴィッツの方が奇抜な演奏だと思うだろう。


もちろんこれには、グールドの好んだオールドピアノの音や、レコーディング技師のおかげも十分ある。グールド盤ではおなじみのコロンビアのフレッド・プラウトとミルトン・チェリン。いかように暴れようとも、ファン垂涎の「あのグールドの音」になるのは必至であり、本人がどう思っていたかは知らないがレーベル側のホロヴィッツへの対抗心のようなものがあったおかげで、こうした独特な録音が産まれたという背景もあるだろう。


1楽章は単色でもいいとして、2楽章は本当にそれでいいのか。音色で魅せないグールドは、あろうことか、メロディーと伴奏という古典的な構図で、メロディーをきつく浮き立たせ伴奏を抑えるという、プロコフィエフを弾くとは思えないアプローチである。いや真面目か! モーツァルトじゃないんだからさ……。おそらくこんな弾き方したら、現代のピアニストなら下品だと総叩き待ったなしな気もするが、それこそ現代の演奏に慣れ親しんだ者からしたら、あまりの普通さに驚いてしまうだろう。何しろ音もデカいし。グールドの録音は、作曲から二十数年後のものだが、今やこの曲も作曲から70年近く経った古典である。2楽章の歌い方なんかは最近のピアニストはめっぽう上手い。ガブリリュクを聴いて欲しい。テンポを落とすわけでないのに、とにかく響かせて歌う、これだけたっぷり歌えるのかと舌を巻く。


そんな1,2楽章に対して、3楽章は本当によくグールドに似合う。意地でもレガートせず、均質な音をただただ積み重ねる。決して誇張せずに、淡々とベースを鳴らす。この解釈はやはり、古今東西多くの演奏と比べても、異色なものだと思う。異様な興奮を煽る。これだけ淡々とやられると、妙にアクセントを付けて高音を聴かせたりするよりずっと興奮する。基本的には速い方が興奮すると思うが、とにかく高速なソフロニツキーやアルゲリッチなどとはまた一線を画するスタイルである。


3楽章は、ロシアン・ピアニズムに限って言えば、そういう速度重視派の人と、アクセントとレガートと音色の変化でどこを鳴らしどこを聴かせるか工夫する王道タイプ、初演者リヒテルをはじめギレリス、後で触れるがソコロフ、またプレトニョフやアシュケナージなどが20世紀後半の演奏を支えてきた。普通は鳴らすベースをアシュケナージはなぜか鳴らさなかったり。以降はというと、超絶テクニックが世に溢れてしまったので、ガブリリュクなんかもそうだがヴィルトゥオージティをどう発揮しながら遊べるかが21世紀的な演奏のスタンダードになっていった。そのカウンターとして、僕も以前の記事で挙げたアヴデーエワの演奏がある。古典派のソナタような、まさにグールドに近い真面目さがある。


ロシア好きの戯言はおいといて、いわゆるメジャーどころしか聴いたことのない人だって、どうせグールド盤を褒めるでしょう。上でも書いたけど、グールドは有名だし、スターだから。あるいはポリーニを挙げるだろう。超高速、端正な演奏と人は言うでしょう。しかしポリーニくらいの速さは実はいくらでもいる。おじいちゃん、今や牛田君だってポリーニくらいのテンポで弾く時代なんですよ……。粒立ちはしないがトゥルーリ教授もフレディ・ケンプも速いし、ロシアならケーラー教授も速いし、ヤクシェフは速い上に残響少なく端正と言ってもいいだろう。それこそソフロニツキーやアルゲリッチも。逆にチェルカスキーくらい遅い方が驚く。しかしそんなの知りようがなかったでしょう、当時は。ポリーニ盤リリースは30年くらい前でしょうか、ドイツ・グラモフォンってのが大きかったですね。一応言っておきますが、僕はポリーニの演奏を悪いとは一言も言っていませんからね。まああとは、古い巨匠主義であればホロヴィッツこそ真の名演なりと宣うでしょう。


しかし、いっぱしのクラシック・オタクであれば、グールド、ポリーニ、ホロヴィッツを挙げて満足するやつはいない(自分がグールドを挙げておいて何を言うのかという感じだが)。ズバリ言おう、 ピアノにそれなりに詳しい人は間違いなくソコロフの名を挙げる。2002年のライブだ。この凄まじさ、1969年のキエフでのライブとは全く異なり、怪物による怪演である。ソコロフは本物である。本当の本当にすごいピアニストである。だから名演を定めるとき、ソコロフを挙げておけば大体間違いない。だから逆に言おう、ソコロフの演奏は素晴らしい、しかしソコロフを挙げたらそれはもう評としては守りに入っている。富士山を指さして高いと言っているだけの、守りも守り、守備固めだ。美味い寿司屋を教えてと言われて「すきやばし次郎」と言うようなものだ。


だいぶ話が逸れたが、この曲は名曲なので、無限の名演の可能性を秘めている。そして実際に多くの録音が存在し、多くの名演がある。そんな中で突出して真面目な演奏なのが、よりにもよってグールドというところが面白いと思ってしまったのだ。いやはや、世の中はわからないものだ。僕はグールドのバッハを真面目だと思ったことなど一度もないし(好きだけどね)、新ウィーン楽派の卓抜した演奏も好きだけど、どうしてこうも優等生みたいなプロコフィエフが生まれたのか不思議だ。不思議と言えば、この録音にはグールドの唸り声がひとつもない。真面目だなあ……(笑)


いや、もしかすると後の時代のピアニストたちが、グールドの演奏を真面目なものにしてしまったのかもしれない。それは考え過ぎかな。僕はきっと、この孤独な天才は、この曲に共鳴する何かを持っていたのだろうと想像している。

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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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