ヴォーン=ウィリアムズ チューバ協奏曲:追究のコンチェルト

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Vaughan Williams: Sinfonia antartica - Elgar: Cockaigne


ヴォーン=ウィリアムズ バス・チューバと管弦楽のための協奏曲


バス・チューバのための協奏曲のパイオニアであるこの作品は、ヴォーン=ウィリアムズの最晩年の作品である。何しろ他に有名な作曲家がいないジャンルなので、ヴォーン=ウィリアムズが一番有名なのだ。一般的にはヴォーン=ウィリアムズだってそんなにメジャーどころの作曲家とは言い難いが、吹奏楽の世界でも名の知られた作曲家であることと、また曲の良さも手伝い、多くのチューバ奏者が取り上げる名曲となった。
初演は1954年6月13日、サー・ジョン・バルビローリ指揮、ロンドン交響楽団という、クラシックファンなら名前を知らない人はいない有名コンビが務めている。独奏は同団の主席チューバ奏者フィリップ・カテリネット。ロンドン交響楽団の創立50周年祝賀コンサートで演奏された。この組み合わせの演奏は録音もあり、上に挙げている画像の音盤がそうだ。
3楽章構成で、ヴォーン=ウィリアムズらしいイギリス民謡風メロディと、チューバの独特な音色と幅広い音域を活かしたカデンツァを含む超絶技巧、またひたすらエモい2楽章ロマンツァの美しさが光る。


とまあ、こういう話は、正直どこでも書いてある。一応、日本語で楽曲解説を知りたい人のためにまとめておくと、さくっと情報を知りたい人はウィキペディア(リンクはこちら)とN響のページにある音楽ライターの後藤菜穂子さんの解説(リンクはこちら)を読んだら十分でしょう。
もっとしっかり、楽曲分析まで読みたいという人は、チューバ奏者の橋本晋哉氏による論文が洗足のページにPDFで公開されている(リンクはこちら)。これ以上詳しいものは日本語ではそうそうないだろう。


さて、解説と分析は専門家におまかせして、もっと俗っぽい話をしよう。英グラモフォン誌のホームページ上のフォーラムに興味深いものがある。“Why write a Tuba concerto?”(なぜチューバ協奏曲を書くの?)と題して、素人の音楽好き(要はクラオタである)がああだこうだ言っているものだ。元ページリンクはこちらから。
「友人からヴォーン=ウィリアムズのチューバ協奏曲の録音をもらって聴いたが、チューバがこんなにも酷い音なのかとショックだった」
「チューバはオーケストラでは持ち場があるが、単独ではヴィルトゥオーゾにふさわしくない」
「奏者は悪くない、ヴォーン=ウィリアムズも嫌いじゃない、交響曲や天路歴程は素晴らしい」
とトピ主は語る。なかなかの言い様である。


もちろんこの後、多くの正論が彼に押し寄せる。ただ僕は、この意見を残しておきたいという気持ちになった。同時に、多くの人にこのことを知ってほしいという気持ちにも。
なんかまるで、世間知らずの高級住宅街住民が「南青山に児童相談所を作るな」と文句を言うニュースのような、そんなことを思い出した。また最近ネットで見た、フランスかぶれのマダムが「教会は意識高く行くところ、生活レベルの合わない人は来るべきではない」と話していたというのも。哀れな山椒魚である。
ここは「美しい」音に満ちたオーケストラの世界、この世界を成り立たせるために、チューバもバスドラムも必要なのはわかっているわ、でもあなた達はソロで活躍する楽器じゃないの、こっちにはこないで、ここは私達ヴァイオリンやピアノの舞台なの……と。


レアな楽器の協奏曲を全く抵抗なく聴く人もいるだろうし、むしろそういう曲の方が興奮する人もいて、ついクラシックオタクを長くやっているとそういう人に多く出会い、それが普通の感覚のように思ってしまうのだが、世の中そんなにオタクばかりではない。
しかしヴォーン=ウィリアムズのチューバ協奏曲の演奏回数は尋常でない。橋本氏によると「1955年のアメリカ初演から2005年の12月までで、オックスフォード出版のニューヨーク支部において実に973回の演奏が記録されている」とある。他にチョイスがないのもあるだろうが、プロアマ問わずチューバ奏者が多く、世界中にファンも多く、つまりこの楽器を愛し、この楽器の音を愛し、この楽器の美を追い求める人が多くいるということだ。これを否定することはできようか?
事実、ヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲と比べたら、ずいぶん珍妙な音の協奏曲だろう。これを聴いて、聞きづらいなあと気に入らない人もいるだろうし、逆にチューバもすごいんだなと思う人や、もっとチューバのソロ曲ってないのかなと探す人や、他の作曲家はチューバ協奏曲を書いていないのかなと探す人もいるだろう。そうやって、個々人の世界を広げることに貢献してきた、今も貢献している、本当にすごい曲なのだ。
「こんな音が協奏曲でソロを務めるのか」と疑問に思うことそのものを否定するつもりはない。割れ気味の金管の低音にこそチューバの魅力がある考える奏者・リスナー・作曲家もいるだろうし(ランゴーのことだぞ)、そういう音をできるだけ避けてユーフォニアムのような柔和な音色でソロを吹くことに挑む奏者もいるし、両方を巧みに操ることにヴィルトゥオージを見出す者もいるだろう。色々あってこそ意味がある。


この曲は出発点だ。好奇心を開放し、音楽の可能性を拡大させるためのスタート地点。作曲家も、演奏家も、音楽リスナーも、このチューバという楽器、または協奏曲というジャンル、それだけに留まらず、ありとあらゆる芸術音楽の新境地を開拓する、その出発点なのだ……。
20世紀はじめ、平凡な曲しかないと嘆く軍楽隊奏者たちに「本物の音楽を」という熱い想いでホルストやヴォーン=ウィリアムズ、ジェイコブらは吹奏楽曲を作曲した。
しかしこの協奏曲は、チューバ奏者から依頼されたものではない。ヴォーン=ウィリアムズ自身の芸術の追究であり、また当時のチューバ奏者たちと未来のチューバ奏者たちに、もっともっと芸術を突き詰めてほしいと願って書いたものではないだろうか。人を覚醒させ、芸術を追究させる真の名曲である。

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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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