Berlioz: Requiem; Grande symphonie triomphale et funèbre, etc.


ベルリオーズ 葬送と勝利の大交響曲 作品15


「最初から最後まで素晴らしい」「フランスという国が存在する限り、この交響曲は残り続け、人の心を高揚させると確信している」これはワーグナーによるこの曲の評である。
ベルリオーズの交響曲と名がつく作品は、それまでの交響曲とは全く姿を異にするものばかりで、初期ロマン派を象徴する最も有名な5楽章の交響曲である幻想交響曲(1830)をはじめ、交響曲「イタリアのハロルド」(1834)はヴィオラ協奏曲の装い、そして歌手と合唱を入れたオペラのような劇的交響曲「ロメオとジュリエット」(1839)など、いわゆる古典的な交響曲は一つもない。
そんな彼の交響曲の中で最後に作られたもので、また最も異彩を放つ作品が、今回取り上げる「葬送と勝利の大交響曲」である。大編成の軍楽隊のための交響曲で、1840年、フランス政府が7月革命の10周年記念式典を催す際に依頼されたものだが、この編成に決めたのはベルリオーズ自身である。木管楽器53人、金管楽器38人、さらに打楽器が入り、後に改訂され弦楽や合唱も加わり、とにかくデカイ編成となっている。
そういうわけで、以前紹介したメンデルスゾーンの「吹奏楽のための序曲」と並んで、吹奏楽の古典ということになっているが、編成の大きさと演奏時間の長さ(3楽章合わせて35分ほど)のせいで、それほどポピュラーにはならなかった。
しかし、このブログでもメンデルスゾーンを取り上げたからには、やはりこちらを紹介しないわけにはいかない。有名作曲家による吹奏楽作品としてはメンデルスゾーンに対抗できる数少ない傑作である。
メンデルスゾーンをナンバー2扱いしているということは、僕はベルリオーズのこの曲よりもメンデルスゾーンの方に軍配を上げているということで、なぜかというと、聴いてもらえればわかるのだが、この交響曲は「交響曲」と名がついている割には、かなり実用的な音楽作品であり、純粋なコンサート用作品ではないからである。しかし、先に挙げた式典での演奏の後に、ベルリオーズは演奏会用として改訂をしており、ホールで演奏する価値のある音楽として現代まで堂々君臨しているのもまた確かだ。


第1楽章「葬送行進曲」、20分くらいあって長い。これは軍楽隊が実際に演奏しながら行進するためである。革命時の英雄たちの遺体をバスティーユ広場に建てられた記念碑へと改葬する、その葬列とともに、ベルリオーズ自身の指揮する軍楽隊200名が行進したそうだ。という事情を考えると、この長く続く暗い管楽による行進曲も納得できる。
第2楽章「追悼」は、テナー・トロンボーンのための協奏曲といったところ。ベルリオーズは作曲の依頼を受けてから相当な短期間で作曲したそうで、この楽章は未完の歌劇「宗教裁判官」のアリアの転用だそうだ。ということで、歌の部分がトロンボーンのソロとなっている。これはバスティーユ広場に葬列が到着し、祈りを捧げた後に演奏された。純粋にトロンボーン協奏曲として楽しみたい方は、トロンボーンの神様ことクリスティアン・リンドベルイ独奏と東京佼成ウインドオーケストラによる録音があるので、そちらをどうぞ。この楽章だけで言えば、本当に圧倒的な演奏である。
第3楽章「アポテオーズ」、大団円とかフィナーレという意味の、バレエで使われる言葉だが、この壮大なフィナーレは、初演時は残念なことに国民軍の演習などの邪魔が入ってしまったようだが、この仰々しさこそ管楽の魅力でもある。改定後は合唱も加わり、やりたい放題。2楽章末尾から続くドラムロールに乗って華々しいファンファーレ、これぞ金管の最大の魅力。そのままハイカロリーを保ったまま最後まで行くからすごい。これが管楽と打楽器の合奏の力だ。どうだ、参ったか。まあ合唱と弦も入るけどね。


少し楽器の話もしておこう。というのも、この曲は、バスクラリネットが初めて使われた交響曲だと思われるからだ。スコアでは2本と指定されている。まあ、管弦楽という意味のオーケストラでもなければ、これを交響曲と言っていいのかという、そもそもの問題もあるし、ソースもないのだが、そうなんじゃないかな、と思ったので。
バスクラリネットは18世紀後半に生まれたと言われているが、現在の楽器に近い形になったのは19世紀前半。開発したのはサクソフォンの発明者で有名なベルギーの楽器製作者アドルフ・サックス。 1843年12月のこの曲の演奏では、彼が開発したバスクラリネットを使い、サックス自身も吹いたそうだ。
またベルリオーズは、2楽章のテナートロンボーンのソロが吹けないときは、フレンチホルンかバスクラリネットで吹くようにと指示しており、アルトトロンボーンやフレンチホルンよりもバスクラリネットの方が望ましいとしている。ベルリオーズはサックスの作ったバスクラリネットを絶賛していた。後にバスクラリネットを4本にしてみたり、なしにしてみたりと、色々手を加えるのだが、楽器側の事情も大きかった。
ベルリオーズはフランツ・リストに対し「私はベンヴェヌート・チェッリーニや葬送と勝利の大交響曲でバスクラリネットを用いている。もし使えなかったとしてもすぐにB♭管クラリネットで書き出せるようにしてある」と書いている。楽器の入手の問題、作曲家の必要に応えうる質の問題など、様々な懸案事項があったことがうかがえる。
ベルリオーズは「神聖な歌」という歌曲のアレンジを1843年11月に完成させており、そこにバスクラリネット2本を取り入れているが、パートにはアドリブの表記と共に、音域も制限し、普通のクラリネットで吹けるように書いている。こうしないと出版譜としては売れなかったのだ。
1844年2月にベルリオーズ自身の指揮で行われた演奏会では、クラリネット、バスクラリネット、サクソフォン、E♭管トランペット、E♭管バルブ付きビューグル、B♭管バルブ付きビューグル、オーケストラ伴奏で演奏された。もちろん、サックスの開発したバスクラリネットを用い、サクソフォンはサックスが演奏を担当。サクソフォンが用いられた最初のコンサートがこれだそうだ(これについては僕の偉大な先輩でありパイパーズなどにも寄稿している栗林氏のブログでも取り上げられている。リンクはこちら)。
少し話は逸れたが、このような編成の変遷(ダジャレじゃないよ)があり、楽器の歴史における過渡期に作られていたんだなあ、なんて思いを馳せるのもまた良い。
ちなみに、なぜこんなに熱くバスクラリネットについて書いているのかというと、僕はかつて若かりし頃クラリネット吹いてる女の子と3年くらいお付き合いしたことがあり、彼女はバスクラが好きだったからである。どう?ベルリオーズっぽい理由でいいでしょ。なんてね、書いていたら昔のことを思い出しただけ。僕は中低音の楽器が好きだし、あまり日の目を見ない楽器を応援するのも嫌いじゃない。


時代は流れて21世紀、サイモン・ラトルとベルリン・フィルは、2013年のフィルハーモニー50周年ガラでベルリオーズの「葬送と勝利の大交響曲」を取り上げた。ベルリン・フィルがこんな曲(失礼)をやる時代になるなんて……と、老害は悔し涙を流し、吹奏楽のファンは嬉し涙を流したことだろう。大勝利の瞬間である。ここまで来るのに随分かかったものだ。ラトルが指揮するベルリン・フィルの、コンマスの席に座るのは主席クラリネット奏者、ヴェンツェル・フックス。管楽合奏の後ろに並ぶのは弦楽合奏。うーん、実にいい眺めだ。たまにはいいだろう。これを見るためにDCHに入る価値があるってものだ。リンクはこちら。有料です。
自分で書いたメンデルスゾーンの記事の文章をパクって、この長い駄文を締めくくるとしよう。
指揮者サイモン・ラトル最大の功績は何か。それはベルリオーズの「葬送と勝利の大交響曲」をベルリン・フィルと録音したことだ……なんて言い切っても良いくらい、評価されるべき録音だろう。


【参考】
Rice, A.R., From the Clarinet D’Amour to the Contra Bass: A History of Large Size Clarinets, 1740-1860, Oxford University Press, 2009.

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