趙季平 シルクロードの楽興の時:月の砂漠をはるばると

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趙季平 シルクロードの楽興の時


中国の作曲家について書くのは2012年9月に殷承宗のピアノ協奏曲「黄河」について書いて以来である。楽曲の記事ではないが、実は2016年には「中国とベートーヴェン 激動の20世紀に」という記事を書いた。需要はないかな。でもちょっと気になったのだ。
別に中国に詳しくもないけど、基本的に雑食なので、たまに中国の作曲家の音楽も聴く。最近は周天(Zhou Tian)の「管弦楽のための協奏曲」を聴いた。周天(ティエン・チュウ)は1981年生まれ、アメリカで活躍する作曲家である。
中国の作曲家も国内組と海外組といる訳で、アメリカにおける中国系作曲家という系譜もあるようだ。まずヴァレーズに師事した周文中(1923-2019)が第1世代、その弟子で文革から生き残った渡米組、譚盾(1957-)や周龍(1953-)は第2世代、周天は第3世代で師匠もアメリカ人中心らしい。国際的に活躍する作曲家たちは知名度も上がるし、音源にも触れやすい。


今回はそういう作曲家たちとはまたちょっと毛色の違う、趙季平(1945-, チャオ・チーピン, ちょうきへい, Zhào Jìpíng)の音楽を紹介したい。
譚盾やラン・ランも卒業した北京の中央音楽学院卒。映画やテレビの音楽で有名になり、『黄色い台地』(1984)や『紅いコーリャン』(1987)の音楽が出世作。国内で活躍し、今や音楽の教育的にも、また共産党員として政治的にも需要なポストに就く大御所である。
欧米で活躍する音楽家ほど音源へのアクセスは良くはないものの、中国国内でも彼くらいの大物になると、国の威信にかけてアピールして恥ずかしくない存在というか、むしろこれが生え抜きの中国クラシックだぞと堂々披露できるわけで、音源も比較的入手しやすい。劇伴を集めたCDはワーナーから国内盤も出ているし、YouTubeでも色々聴ける。


実用音楽で成功した趙季平が作る作品は、やはり中国の民俗的要素と西洋クラシック音楽の程よいブレンドが特徴で、海外組(という呼び方が良いのかどうかわからないが)とは違った素朴で郷愁を感じるような旋律の魅力にあふれている。
今回取り上げた「シルクロードの楽興の時」はオーケストラ作品であり、シルクロードをテーマにした3曲からなる。何しろ情報が少ないし得にくいのはお察しいただけると思うが、わかる範囲で書いているのであしからず。
最近ちょっとシルクロード関連の音楽を調べていたらこの曲に出会った。なんと余隆(ロン・ユイ)指揮、上海交響楽団がドイツ・グラモフォンに録音している。配信のみと思われるが、昨年、同楽団の創団140周年記念を祝してDGから出た一連の録音集に入っており、ベートーヴェンの第九やマーラーの復活などと併録されている。同楽団は2018年にDGと専属契約を結んだそうだ。
ドイツのオーケストラレパートリーの演奏も興味深いが、それは後回しにして趙季平を聴いたわけだけど、これが実にいい。オーケストラのスケール感と、メランコリックなメロディ、美しいハーモニー、純粋に聴いて楽しい音楽だった。さすがは劇伴出身、なんて思っていたが、実は映画音楽で成功するよりも前、趙季平が最初に作ったオーケストラ曲がシルクロードをテーマにした「シルクロード幻想組曲」だそうで、中央音楽学院を出たすぐ後に書いたものとのこと。北京で学ぶ前には西安で音楽を学んだ彼にとって、シルクロードは重要なテーマなのだ。
その「シルクロード幻想組曲」は篳篥(ひちりき)のための協奏曲の形を取り、今も時々演奏されているようだ。オリジナル楽器のこともあれば、ソプラノ・サックスで代用されることもある。他にもシルクロードを主題にした室内楽のための音楽も作っている。
そうした曲の要素なども含め、オーケストラ作品として再編し改訂を加えたものが「シルクロードの楽興の時」である。具体的な作曲年は不明だが、2019年の上海響ニューイヤーコンサートがおそらく初演、DGとの録音やその他のライブなど、2019年には数多く演奏されていたようである。
「シルクロードの楽興の時」では、中国の古典演劇である「戯曲」(チャイニーズ・オペラのこと)、特に地方の戯曲の音楽などが民族的要素として用いられているそうだ。
初期の「シルクロード幻想組曲」の方が使用楽器においても民族的要素が強く、ザ・中国!といった感じだが、最新の「シルクロードの楽興の時」は、そうした民族的要素は西洋の伝統的管弦楽により齟齬なく受け入れられるような扱いがなされ、さらに中央アジア的な音階やリズムもいっそう色濃い内容である。作曲者にとって重要なテーマであるシルクロードを、21世紀になってさらに音楽的に追求したぞという、一種の到達点でもある。


第1曲は鐘鼎長安、英訳“Prosperous Chang’an: Overture”、意味的には「長安の繁栄:序曲」と言ったところだろうか。地響きのような打楽器とファンファーレで堂々の幕開け。王様の御成か。雄大なストリングスに金管と打楽器が古都の大スペクタクルを描く。
第2曲は湯瓶夢幻、英訳“Dream of Bottles”、なんて訳せばいいのか……ボーフラという湯沸かしポットが出てきたけど、まあ、訳なんかいらんのです(適当)。中央アジア、砂漠の中をゆっくり進むような。マンドリン系のトレモロに、金物の打楽器の異国情緒。オーボエ、クラリネット、フルートと移り変わる旋律も美しい。ハープのグリッサンドを挟んで場面転換、テンポが変わる、これも夢幻なりや。ケテルビーの「ペルシャの市場にて」を思い出す。
第3曲は高原狂舞、英訳“Plateau Dance”、これはそのままかしら。愉快な舞曲。ショスタコーヴィチやハチャトゥリアンっぽいさもあるが、それよりも伊福部や芥川が近い。本当に、彼らの舞曲との近似性。1分そこそこで終わってしまうが良い曲だ。流れ出たら、アジア。


「楽興の時」というのは明らかにシューベルトを意識している。瞬間を描いた交響詩ではあるが、あえて交響詩ではなく楽興の時としているあたり、古き良き音楽への憧憬みたいな思いも感じる。美しい旋律と和声。現代音楽へ一瞥しているのかもしれない。
趙季平の父は画家の趙望雲で、風景画として中国の働く田舎の人々を主題に多く描いたそうだ。幼い頃から父が絵を描くのを側で見ていたことが、彼の芸術に対する考えにも深く影響したことだろう。
西安の音楽院で教えていたときは学生に「地に足を付ける、そうでなければ根は張らない。生活に根ざし、中国独自の物語を母語で語る、これが最もシンプルで粘り強い創作スタイルだ」と教えていた。これが国際派とは違うローカルの音楽家の信念である。
僕はキャラバンが目に浮かぶ第2曲が一番のお気に入り。月の砂漠をはるばると……ベタかもしれないが、上の文を読んだ方ならわかるでしょう、そのベタさがいいのだ。3曲でも12分ほどなので、気軽に聴いてみてほしい。

Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック・ファンです。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、つまりひたすら聴くだけ。演奏することにはほぼ興味・情熱はありませんが、それでもときどきピアノを弾いたり、バンドでドラムを叩いたりシンセサイザーを演奏したり、あるいは作曲・編曲をしたりします。more

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