スーザ 喜歌劇「選ばれた花嫁」:踊るマーチ王

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スーザ 喜歌劇「選ばれた花嫁」

「マーチ王」こと、アメリカの作曲家ジョン・フィリップ・スーザをブログで取り上げるのは2012年以来。前回は「ワシントン・ポスト」について書いたのだった。ほぼ記憶になかったが、読んでみたら案外面白かった(自画自賛)。ぜひ、そちらもどうぞ。

あえてマーチ以外、スーザのもう1つの顔であるオペレッタ作曲家としての活動の話などをしよう。スーザが「マーチ王」であることは疑いようのない事実だが、交響詩やオペレッタや歌曲など、非常に幅広いジャンルの曲を作っている。また、指揮者やヴァイオリニストとしても活動いていた。しかし、その辺の話はほとんどされないのもまた事実だ。理由は様々に考えられるが、マーチ需要の大きさと、研究中のものも多く、録音が少ないからだと思われる。今回のブログ記事は、スーザ全集をNaxosに録音中である指揮者キース・ブライオンの録音やインタビューなどを参考にした。より詳しく英語で読みたい方はそこを頼りに調べて欲しい。音楽史家のポール・エドモンド・バイアリーの書いた伝記なども参考になるだろう。

海兵隊バンドでトロンボーンを吹いていたスーザの父は、息子の音楽の才能をいち早く見抜き、幼い頃から教育を施した。スーザは11歳ですでに大人の奏者7人をまとめてバンドを結成し指揮をしたそうだ。これがワシントンで人気になり、スーザはジョージ・フェリックス・ベンカートという教師の元で音楽を学ぶことになる。ベンカートはウィーンでゼヒターに学んだ経験がある教師で、ゼヒターと言えばクラシック音楽好きには「ブルックナーの師」や「晩年のシューベルトが教えを請うた」人物として有名である。
スーザは、そんなベンカートから、和声や対位法やオーケストレーションなど、独墺古典派譲りの高度な作曲訓練をワシントンで受けることができた。またベンカートのオーケストラでヴァイオリンを弾いたり、古典音楽が好きな当時の国務次官補ウィリアム・ハンターの家で弦楽四重奏の定期演奏会をする機会を得た。ハンターは多くのスコアをヨーロッパから取り寄せ、スーザはそれらに触れることができた。
その後、各地の劇場オケでヴァイオリンを弾いたり、リーダーを務めたり、作編曲も行った。劇団に付いてアメリカ各地を周り、1876年のフィラデルフィア万博ではオッフェンバックの指揮で記念オーケストラに加わって弾いている。1878年には、ギルバート&サリヴァンのオペレッタ「魔法使い」のアメリカ公演のためのオーケストレーションを行った。1880年、ワシントンの海兵隊バンドの指揮者に就任。スーザ25歳、ここからバンドマスターとしての大躍進が始まる。

バンドでの成功とは別に、スーザはミュージカル劇場への憧れを常に抱いていた。アメリカ版ギルバート&サリヴァンになるという目標を持ち、多くのオペレッタを作曲しており、最も成功したのは1895年の「エル・カピタン」。それ以外はまあ微妙な成功と言ったところで、スーザの劇場音楽の素晴らしさの一方でギルバートに値するような相方に出会えなかったのは残念な話だ。20世紀に入ると新しい音楽家たちの人気に追い越され、古典的な作風のスーザ作品は演じられなくなっていった。

スーザの劇場音楽、ひいては劇場以外の音楽についてもそうだろうが、やはりギルバート&サリヴァン、フィラデルフィアで関わったパリのオペレッタ王オッフェンバック、つまり伝統的なクラシック音楽の枠組みを使った軽音楽というのが、彼の興味の中心だったのだ。また、バイアリーの伝記には、スーザはモーツァルトのオペラのスコアを楽しみながら研究していたと書かかれている。スーザの憧れる音楽世界はそこなのだ。

軍楽隊のバンドマスターとしての話はここでは割愛するが、彼のその世界的名声を得た活躍にも、劇場で学んだことは活かされている。大衆の音楽の好みを把握し、クラシックの名曲や流行歌のアレンジを取り入れるなどの工夫。また単に人気取りだけではなく、メット初演よりも10年も早くワーグナーの「パルジファル」のアレンジを演奏するなど、芸術性の高いプログラムにもこだわった。それこそ、スーザのバンドは曲間にアナウンスを入れるのを好まずノンストップで演奏したそうだが、そのショーマンシップはオペレッタ公演とも通じるものがあるだろう。
軍楽隊の編成においても、金管楽器を減らして木管楽器を増やし、ハープを加え、オーケストラの音に近づけようとしたこともそうだ。また、そもそもスーザがオペレッタとして作った曲から転用したマーチも多いし、軍楽隊と劇場オーケストラと両方での演奏を考慮したマーチもある。

さて、現代の音楽ファンがスーザのオペレッタに気軽にアクセスできるかというと、上でも書いたがまだちょっと難しいが、僕は今回「選ばれた花嫁」というオペレッタの抜粋を挙げようと思う。記事上の画像は1995年にブライオン指揮ラズモフスキー響が録音したMarco Polo盤は、オーケストラによる数少ない(唯一か?)録音だ。2017年には吹奏楽版による別の抜粋曲も録音されている(記事下リンク)。
最大の成功作である「エル・カピタン」が1896年の作で、「選ばれた花嫁」はその翌年1897年に初演された。台本がスーザ自身だったせいもあるのかないのか、ほどほどの成功だったそうだ。だが、このオペレッタで使用されたマーチはスーザも大変お気に入りで、バンドでも何度も演奏したし、今でもマーチは演奏機会がある。
ストーリーはというと、地中海のカプリ島の王女には許婚がいて、島を受け渡す必要もあって、でも本当に愛する人は別にいて、結局はその人と結婚できて島も受け渡さなくて良くなるハッピーエンド、という感じ……。ロンドンでも公演される予定だったのが、パクられたか何かで権利上の問題が生じ上演できず、スーザはひどく落ち込んだそうだ。
しかし1923年にアメリカで再演されている。この際にはバレエのシーンも追加され、スーザは過去作の「グラス・ハウスの人々」から転用してバレエ音楽とした。Marco Polo盤にはこの追加のバレエ音楽と、ワルツと、南イタリアらしいタランテラが録音されている。

個人的に特筆したいのはこの非常に優美なワルツである。転調の仕方やフレーズの展開の仕方、例えば旋律において同型を末尾のみ変化させて繰り返して進むなど、あるいはオーケストレーションも含めて、ウィンナ・ワルツそのものだ。フレーズとフレーズの間に入るリズミカルな強奏など、ウィンナ・ワルツ好きにはたまらない。ラズモフスキー響も伴奏は2拍目を気持ち早めに打っているように聴こえる。
こういう音楽もあったのかと、初めて聴いたときはちょっと目からウロコだった。スーザのワルツというだけでも、なんとなく違和感があるが、音楽自体はなんとなめらかな古典であることよ。スーザの憧れ、ギルバート&サリヴァンやオッフェンバック、モーツァルト。あるいはゼヒター、シューベルト、ブルックナー……ウィーンの古典音楽、そんなことも頭に浮かんだ。
マーチのスーザ、アメリカ音楽の体現、そんなイメージしかない人にこそ聴いて欲しい。また、他のオペレッタのワルツや「海の女王のワルツ」など、結構な数のワルツがあるので、マーチしか知らない人はぜひぜひそれらにも触れて欲しいと思っている。
スーザは確かに「新しい国」であったアメリカの若い無邪気なパワーそのものだったし、ヨーロッパへのツアーではラグタイムを披露し、ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキー、グレインジャー、ミヨーなど、多くの有名な作曲家に影響を与えた。アメリカ音楽と、その音楽に対する誇りをヨーロッパに持ち込んだスーザ。そんな彼が作ったオペレッタとウィンナ・ワルツを聴くことは、「星条旗よ永遠なれ」とは違った興奮と感動がある。
「行進曲は義足(wooden leg)の人さえも歩ませるものでなくてはならない」とスーザは語った。マーチ王にふさわしい言葉だ。人々が不安に駆られて踊らされている20世紀初頭のウィンナ・ワルツがラヴェルの「ラ・ヴァルス」なら、スーザの喜歌劇「選ばれた花嫁」のワルツは、南北戦争後の大きく発展する19世紀末の“新興国”アメリカで、欧州古典音楽に憧れる音楽家が夢見たワルツ、そう、マーチ王が踊るワルツなのだ。


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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