J.S.バッハ:2声・3声のインヴェンション、4つのデュエット、他


2019年の来日コンサートの類の中で、最も楽しみにしていたのが、このシフとカペラ・アンドレア・バルカ。ベートーヴェンのピアノ協奏曲チクルスということですが、全部行くのは到底無理ですし(何せ夜なので)、ならば前から一度生で聴いてみたかった「指揮者としてのシフ」とカペラ・アンドレア・バルカの演奏も楽しめて、かつ自分の好きな曲ばかりやるCプロがあるぞと、しかもそれが家から近い上野でやるぞという、もうなんか自分のためのコンサートなんじゃないかなこれ。子どもが小さいうちはソワレを自粛していましたが、お許しくださった妻に感謝しつつ、だいぶ夜の育児ワンオペでお互い負担でなくなってきたので、ぼちぼち解禁だ解禁だと鼻息荒くしております。寝かしつけなくて勝手にすーすー寝るようになってくれて、嬉しいよ……。


【サー・アンドラーシュ・シフ&カペラ・アンドレア・バルカ】
(2019年11月5日、東京文化会館大ホール)


J.S.バッハ:音楽の捧げ物 より 6声のリチェルカーレ
モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
アンコール
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第1番より第2,3楽章
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第12番「葬送」第1楽章
指揮・ピアノ:サー・アンドラーシュ・シフ
管弦楽:カペラ・アンドレア・バルカ


バッハからモーツァルトへは続けて演奏したいとのことで、拍手なしでお願いしますとアナウンスが事前に入りました。さあさあ、指揮者アンドラーシュ・シフはいかほどでしょうか、と期待していたこちらの出鼻をくじく、まさかの棒立ち指揮者。やられた……。奏者たちのアンサンブルでスタート。いやまあ、この曲なので別にガッツリ振らなくて全然問題ないんですけど、シフは終始腕を使わず、呼吸と顔芸のみの指揮でした。それにしても、恐ろしいほどに角のない、エッジなど一切無用といった、浮遊感のみで構成される音によるバッハだなあと思って聴いていましたが、複雑になってオケの音がブレンドされていくに従って、いかんとも言えない深みのある味わいに。これは風味絶佳。今はいつ、ここはどこ状態でしたよ。続いて入るジュピターはまさしく、シフ御大の「やりたいことやったもん勝ち、老後なら」といったところ。好きなやつを集めて、好きなことをやる、年寄りの道楽ここに極まれり。一応言っておきますが、別にシフが音楽において支配的だったとか、そういうことではないですよ。それぞれのパートで奏者らがしたい表現もガッツリしつつのアンサンブルこそ、シフのやりたいことに違いありません。ただまあ、これらは正直リハ不足。協奏曲チクルスがメインで、バッハとモーツァルトは今回の上野だけのオマケみたいなものですし、しゃあない。ちょいちょい事故もありましたが、そこは目を瞑って、シフはモーツァルトをどう歌いたいのか、交響曲の構造などとは対極に位置するような、今ある旋律、今あるリズム、今あるハーモニーをどう歌ってやるのか、それを細かく表現しようとしていたという印象です。もちろんその意図全てが完璧に再現されているとは到底思いませんが、いずれのアプローチも、ノリノリで楽しく鼻歌を歌うような表現で、楽しく聴けました。フーガで初めてフーガで締める今回のバッハ、モーツァルトもいいんですが、やはりハイドン聴きたくなりましたね。


休憩挟んでベートーヴェン、ここからが本気。これがすごかった。ピアノはもちろんのこと、協奏曲はオケもリハもばっちり(?)でしょう、本領発揮も聴くことができました。基本的には、上で書いたような、「究極の年寄りの道楽」的なものは、通じると思いますけどね。普通の大オケとの共演でこの協奏曲は実現不可能でしょう。協奏曲においては、シフのやりたいことをやるための楽団であって、それが可能なメンバー。異次元のサウンドクリエイトですよ。極めて室内楽的です。シフのピアノ(スタインウェイを中央に配置、上手側に斜めになっており、1階前列下手側から聴いていた僕はちょうどシフの背中・鍵盤に対して真っ直ぐの角度でした)、シフのやりたい音楽の延長線上にあるオーケストラ。まるでシフの身体の拡大であるかのようです。シフは弾く時は座ってますが、指揮するときはよく立ち上がります。立って全身で指揮、鼓舞していましたね。シフのピアノの絶妙な抑揚、終始あのふわっと軽いタッチなのに、あの音量しか出ていないのに、それがマッチしてしまうオケの編成、サイズ。音量も、シフのコントロールが及ぶのも、ちょうど限界のところでしょう。異常なまでのアンサンブル感覚です。これは単に精度の話ではなく(精度だけなら他の団体で十分)、表現しようとする意志、個性同士の競合と融合を徹底してやろうという感覚です。よくウィーン・フィルの紹介で「我々はみんなソリストで室内楽のようなアンサンブルをしているのです」みたいなこと言うじゃないですか、あれのちゃんとした本当のやつです。全体の構成やベートーヴェン的構造論などは知らん顔、その時々のフレーズの持つノリや勢いに任せて、それを最大限活かしてドライブする感覚なんかは、本当にすごかったです。あれはそうそうできまい。最後のティンパニであんなにタイマン張るアンサンブルした皇帝の演奏が今まであったかしら。すごい緊張感。シフもしっかりティンパニを見つめる。いやー、すごいわ。


個々の音も素晴らしい。木管の美しさ、ホルンの伸ばしの存在感、チェロとコンバスの音の響かせ方、とても良いですね。パノハ・カルテットの面々もお元気そうで良かった、とか、ホルンのソロはノイネッカーじゃないんかーい、とか、一人でむふふと愉しんでいました。対向配置でコンバスは1本ずつ左右に。コンバスたちの楽しげなこと。なるほど、目指す方向はオーケストラではなく室内楽なんだなあと。弦楽はピッツィカートのピアノへの寄せ方の巧さたるや。繰り返しますが、単なる精度、縦の線のことではないですからね。ピッツィカートの伴奏でも自然なアッチェルやリットできますからね、すごいわ。カルテットかよ。室内楽室内楽うるさいかもしれませんが、協奏曲とは思えない弱音アンサンブルの魅力もさることながら、トゥッティの力強さは、シフも立ち上がって大きく奮い立たせるのですが、オーケストラとしての重厚感も感じ取れるレベルであるところが、本当に素晴らしいところです。


シフのピアノの話をしてませんね、まあいいですよね、良いものは良いということで。すごいのはですね、シフが存外にミスタッチしないことです。マジかよ、と。本当にすごい。これはカペラ・アンドレア・バルカとの信頼やホームでやるメンタルもあるとは思うのですが、精神的なことだけでなくて、オケが、シフがふわふわ弾いてもダイナミクスやリズム、テンポの動きや独特なソロのアクセントに関して、難なく合せられることが大きいでしょうね。老ルービンシュタインが弾いてバレンボイムが介護する皇帝の名盤がありますが、それに近いようなものを感じました。ゆっくりテンポではありますが、各所でこだわって単調にならない。シフは家で適当にリハやってるというか、遊んで軽ーく弾いてるくらいのが活きると思うのですが、ある程度のメジャーオケとやるとこんなにミスなしでなんか弾けないのに、これがホームの強さか……という感じです。感服いたしました。クライマックスは和音弾いてました、そうでしょう、そうでしょう。逆にオケが2楽章でチェロ飛び出し事故がありましたが、まあまあ準備万端で良いアンサンブル。初日やったので、翌日以降は大丈夫なんでしょう、多分。アンコールも1番の2楽章と3楽章で、アンコールという名の体の良いリハがありましたので、チクルス聴く人は期待できますねえ。3楽章の中間部(イ短調のところ)なんかは、ハンガリー舞曲のごとく、テンポ巻いていくのはめちゃ面白かったです。こんな芸当は初体験。アンコールも変イ長調からの3楽章、そして葬送1楽章も変イ長調、きれいに終わらせてくれました。長いアンコールに疲れましたが、幸せな時間でした。そう言えば1番はアルゲリッチ以来1番5番とも弾き振りはブッフビンダー以来だと思いますが、こうも違うんですね、クラシックって面白いですね。

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