イリヤ・ムーシンという指揮者を知っているだろうか。ロシアの指揮者、教師であり、1904年1月6日生まれ、1999年6月6日、95歳没。おそらく彼の指揮について知らない人でも、プロフィールに「イリヤ・ムーシンに師事」と書かれた指揮者なら見かけたことはあるのではないか。最近話題のクルレンツィスも、日本で人気の西本智実も、また後で紹介するが数え切れないほど多くの指揮者がムーシン門下生である。ムーシン先生は、ウィーンのスワロフスキー先生、イタリアのフェラーラ先生、そして日本の誇る斎藤秀雄先生に並ぶ指揮の名教師であり、ロシアで学んだ指揮者は大体プロフィールに「イリヤ・ムーシンに師事」と書いてあったりする。


僕は幸か不幸かロシアのクラシック音楽に興味を持ってしまい、言語の壁に苦労しながらも色々とロシアの音楽を聴き漁っていると、どうしても「あらゆる指揮者が学んだとあるイリヤ・ムーシンという人はどんな人なのか」という疑問を抱くようになってしまう。しかし「イリヤ・ムーシン指揮〇〇オーケストラ」の録音はほとんど見当たらないのだ。だがごく稀に、ロシアのラジオでムーシン指揮による演奏が流れることがある。


ということで、ここでイリヤ・ムーシンについて、あまりインターネット上に詳しい情報がないので、特に日本語の情報はなおさらないので、僕の知る限りの情報を日本語で書き残し、後世に伝え残しておこう(ってそんな巨匠みたいな発言をするつもりではなかったのだが)。略歴などはWikipediaにあるので、ここではそういうのは一旦置いといて、僕が聴いた録音の話をしよう。


長い前置きを終えて、ようやくタイトルの「イリヤ・ムーシン95歳記念コンサート」の話に入る。1999年1月3日、95歳のお誕生日3日前、マリインスキー劇場でムーシン先生をお祝いするコンサートが開かれた。これがなんとロシアの放送局で放送され、僕は幸運にも聴くことができた。数多くの弟子たち、それも高名な弟子たちが代わる代わるマリインスキー劇場管を振る豪華な内容で、最後にムーシン先生が指揮をする。前年の1998年には弟子の西本智実と来日しており、この時もムーシン先生は高齢で実際に指揮できるか未定だったようだが、本番は元気に指揮したという。ムーシン先生は1999年6月に亡くなるので、これが本当に最後の指揮だったかもしれない。演目と指揮者はこちら。


チャイコフスキー 歌劇「マゼッパ」よりポルタヴァの戦い
指揮:ヴラディスラフ・チェルヌシェンコ
チャイコフスキー 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
指揮:アルノルト・カッツ
スクリャービン 交響曲第4番 作品54「法悦の詩」
指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ
R・シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」作品20
指揮:セミヨン・ビシュコフ
ワーグナー 歌劇「リエンツィ」序曲
指揮:ヴァシリー・シナイスキー
チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」作品71よりアダージョ
指揮:ユーリ・テミルカーノフ
チャイコフスキー イタリア奇想曲 作品45
指揮:イリヤ・ムーシン


いやはや、1999年のコンサートでこれ、豪華なメンバーだこと。一応簡単に紹介しておくと、ヴラディスラフ・チェルヌシェンコは元々合唱指揮者で30代になってからムーシン先生に学びレニングラードで活躍した指揮者。アルノルト・カッツはシベリアの音楽発展に貢献した人物。ゲルギエフは言わずと知れたマリインスキーのボス。セミヨン・ビシュコフはチェコ・フィルやBBC響で活躍中。ヴァシリー・シナイスキーも幅広く活動し、新日フィルも振っている。ユーリ・テミルカーノフはサンクトペテルブルクのドン、来日もするから有名でしょう。


ガラ・コンサートだから、演奏そのものをどうこうというよりも楽しむこと重視ではあろうが、どれも熱演である。というか、曲が重い(笑) まあそれもロシアらしいのだが。ゲルギエフは得意のオケと得意の曲で良いですね。チャイコフスキー多めなのはムーシン先生の好みなのでしょうか……? 気になるムーシン先生の指揮するイタリア奇想曲、これが素晴らしい。急にオケの音が引き締まった。さすがは大先生。というか、これだけお膳立てして、最後の最後に真打ち登場でしょ、そりゃあね、御年95歳だし、オケも忖度するでしょ。このバースデーコンサートについて言及のある数少ないホームページを発見したので、一応紹介しておく。一つはThe Guardian の1999年の記事(リンクはこちらから)、もう一つはもう更新が止まってしまったロシアのクラシックに関するサイト(リンクはこちらから)。イリヤ・ムーシンが太字になっている。やはり「ムーシン先生が振ったぞ!」は注目に値することだったのだろう。これらのページだっていつ消えるかわからない。


大体は名教師イコール名指揮者というわけではなく、若い頃のムーシン先生がオケ振ったらどんな風だったのかは知りようもないけど、ここまで本当の最晩年となればオケもみんな気を遣うだろうし、演奏自体はそれなりになってしまう。まあ指揮者としての正当な評価というのは難しくなってしまうのが本当のところだ。スワロフスキー大先生だって、大昔にN響が客指揮で呼んだときは、リハ中にシューベルトの未完成交響曲の講義が始まってしまい、皆感心しつつも「この人は指揮者じゃなくて教授だ」という感じだった、と長谷恭男さんの本に書いてあった。


ここで少し、ムーシン先生と、彼の録音について触れておこう。実は上のコンサート以外にも僕は放送を録っている。しかしそれも晩年のものだ。1994年のサンクトペテルブルク公演、モーツァルトの40番とプロコフィエフの古典交響曲、サンクトペテルブルク・フィルとの共演。いたってオーソドックスな演奏だが、オケの音は生き生きとしている。縦を合わすというより、ダイナミクスや歌い方の指示を的確に出して表現させるスタイルなのだろう。これはこれで十分楽しめる演奏だと思う。正規盤(?)というか、存在確認できるのはロッテルダム・フィルの自主制作盤で、これについてはアリアCDの松本さんが自著に取り上げている。1997年4月13日のコンセルトヘボウライブで、入手するのになかなかご苦労なさったようだ。プロコフィエフの古典交響曲と、リムスキー=コルサコフのスペイン奇想曲、モーツァルトの後宮からの誘拐。松本さんは本の中でこのCDについて「ムーシンの人生の最終期を飾る演奏会」と書いている。その2年後の1999年1月に、こんな豪華な顔ぶれでバースデーコンサートがあるなんて、教師冥利に尽きるのではないだろうか?


The Guardian の記事にもあるが、ムーシン先生自身はやはりあまり演奏会で振らなかったのは事実のようで、ニコライ・マルコとアレクサンドル・ガウクというロシアの伝説的指揮者に習った後、レニングラード・フィルと共演するも、同門でありコンクールの覇者であったエフゲニー・ムラヴィンスキーが常任となる。マルコに音楽教師を勧められて教育の道へ。師匠に「教師を目指せ」と言われたときは、一体どんな気持ちだっただろうか。彼は元々ピアニストを目指していたが、それも故障で諦めて指揮者を目指すことになった。また、彼がユダヤ系であったことは、当時のソ連において影響がなかったとは思えない。数々の挫折を経験して名教師になっていった、というストーリーを描いてしまう。想像だけどね。


1996年にはロンドンのバービカン・センターでロイヤル・フィルと共演したそうだ。初の西側との共演だそうで、プログラムはやはり得意のスペイン奇想曲と古典交響曲。王立音楽院でもマスタークラスを開催したそうだ。先も触れたが、弟子の西本智実と共に来日した1998年4月24日の公演では、京都市交響楽団とベートーヴェンの交響曲第1番、チャイコフスキーのロココ風の主題による変奏曲、そしてスペイン奇想曲。ムーシン先生の指揮を見れた方も大勢いたと思うと、羨ましいことだ。もっとも、指揮姿だけであれば、動画サイトなどにちょこちょこあるので、ベートーヴェンの1番などを見ることはできる。 初めて見たときは、僕はバカなので「おお、テミルカーノフみたい!」と思ったが、当然だがテミルカーノフがムーシン先生みたいなのだ。


こんな偉大な教師のことを、少しでも多くの人に伝えたいと思い、こうして書いてみた。後世に伝え残すということ……イリヤ・ムーシン先生はこのことの大切さに気づいている人であったことは間違いない。

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