プロコフィエフ:交響曲第5番/「ロメオとジュリエット」組曲第1番/ブリテン:青少年のための管弦楽入門(ロジェストヴェンスキー)(1960, 1971)


2018年6月16日に、ロシアの指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーが亡くなった。87才。ロシアの指揮者界では、ロストロポーヴィチ亡き後の最長老であり、長老の座はフェドセーエフに譲られたということでよろしいだろうか。タワレコが追悼記事として、ロジェストヴェンスキーのキャリア別名盤を紹介するページを作った。ロシア音楽はもちろん、幅広いレパートリーがロジェストヴェンスキーの特長だ。ショスタコーヴィチやチャイコフスキーやプロコフィエフやラフマニノフ、妻ポストニコワとの協奏曲、個性の強いブルックナー、西側のオケとの共演、日本では読売日本交響楽団との共演など、その活躍は枚挙にいとまがない。それぞれの録音の素晴らしさは誰しも認めるところだろうが、僕はほとんど誰も話題にすらしない、タワレコでさえもほんの少ししか触れていない、「ロジェストヴェンスキーとイギリス音楽」について書いておこうと思っている。


実を言うと、僕はロシア音楽のファンであることは自認するも、ロジェストヴェンスキーの大ファンですと胸を張って言えるかというとそうではない。あの爆演のチャイコフスキー4番や、イーゴリ・オイストラフとの協奏曲を含むシューマンの録音なども、たまに聴くのは良いが、熱狂的にハマったものや思い入れの強いものは特にない。僕も久しぶりに引っ張り出してきて彼の録音を聴いてみて、「おお、こんなものもあったな」と思い出しているところだ。そんな幅広いレパートリーの録音の中でも、ロジェストヴェンスキーが母国ロシアで自身のご贔屓である英国クラシック音楽を取り上げ、その魅力の再発見に尽力したことは、大きな功績として挙げられるだろう。2011年~2014年にモスクワ音楽院の大ホールで定期的に行われた一連のコンサート、それらは「アルビオン」というシリーズ名が題されており、英国系の作曲家20人38作品を取り上げている。このことはあやしいクラシック音楽評論家レブレヒト氏のブログでも取り上げられていた。それも終わるってときに。遅いんだよ……。もっとも、僕の方がもっと遅いわけだが。露トルード紙でも特集が組まれていた。


ロジェストヴェンスキーは1978~81年にBBC交響楽団の主席指揮者を務めているし、73年のエルガー「エニグマ変奏曲」の録音や、78年プロムスでやった十八番であるショスタコーヴィチ4番など、BBC響との録音も素晴らしいものがある。そんな英国オーケストラの魅力をよく知っているロジェストヴェンスキーが主催するアルビオンシリーズは、スタンフォードの歌劇「批評家」という珍しい演目をメインに据え、毎度様々な英国系とその関連音楽を取り上げる非常に凝ったプログラムであり、しかも曲間にはロジェストヴェンスキー自身の解説コメントありというと贅沢なもの。たまにネットラジオで現れるが、ロシア語がわからないのが悔しい。ぜひ全シリーズセットで販売して欲しいところだ。英国音楽は面白いぞという熱い思いが伝わるコンサートだ。網羅は出来ないが(全部放送されたのかも知らないし、放送されたものの全て録音したわけでもない)、取り上げられた演目を少し紹介しよう。


スタンフォード 歌劇「批評家」
ヴォーン=ウィリアムズ 交響曲第4番、5つのテューダー朝の肖像
エルガー 序曲「フロワッサール」、序奏とアレグロ、エニグマ、威風堂々
ブリテン 天国の会社、ディヴァージョンズ、ソワレ&マチネ・ミュージカル
ウォルトン カプリッチョ・ブルレスケ、ヴァイオリン協奏曲、ベルシャザールの饗宴、ファサード
ティペット 交響曲第1番、2番、4番、ファンファーレ
バックス アイルランドの風景、ロシアの踊り子の実態
ホルスト ウォルト・ホイットマン序曲、惑星
アイアランド サティリコン序曲
ブリス チェックメイト
バークリー スターバト・マーテル、モン・フィク山
パリー 交響曲第3番
マクスウェル=デイヴィス 聖トーマスよ、目覚めよ
パーセル 1音のファンタジア
スコット ヴァイオリン協奏曲


などなど。どこかに一覧があるのかしら……ロシア語で検索するのは面倒なので、時間のあるときに気が向いたら探してみようとは思う。オケはポリャンスキーのオケでおなじみロシア国立響シンフォニックカペレが多い。妻ポストニコワや息子のアレクサンドルとの共演が多いのもロジェストヴェンスキーらしい。まあ身内共演が良いかどうかと言われると、微妙なのもあるんだけども、タワレコいわく2000年代のロジェストヴェンスキー録音は「ロストロポーヴィチ(1927~2007)、スヴェトラーノフ(1928~2002)とともに旧ソ連を代表するアーティスト、「生き証人」として悠々自適の指揮活動を行」っているそうなので、まあ許してあげましょう。ポストニコワのソロや、ロシア国立響のアンサンブルなどもあり、またときには必要に応じてモーツァルトやベートーヴェン、あるいはブラームスのヘンデル変奏曲など、関連する曲も取り上げている。非常に意欲的なコンサートだと思う。


ときにクラシック音楽界隈では、英国音楽は渋くて通好みと言われ、ともすればその曇ったビターな音色にこそ深みとコクがあるのだと解釈されがちだが、ロジェストヴェンスキーの演奏はそういう固定観念を良い意味でぶち壊す。オーバーリアクションな表現で、控えめが美徳とされて圧死させられてしまった興奮や、ノーブルと称えられるせいでいつもなら黙殺されてしまう歌を、ごっそり掘り起こしてくっきりと露出させる。これはすごいことだと思う。エルガーが聴いたら発狂しちゃうかも(笑) でも、そんな異端な演奏だからこそ惹かれるものもある。もちろん、やり過ぎ演奏のせいで胸焼けしてしまうような残念なものだってあるが、それはブレないスタイルとトレードオフである。


しかしもし、もしもだが、ロジェストヴェンスキーが「英国音楽かくあるべし」などと、正統派のボールト卿のような音楽をロシアのオケとやったらどうだろうか?あるいはBBC響とでも良い。そんな音楽作りをしたら? もちろんありえない。でも、日本ではどうも、英国かどこかはおいといて、そんな音楽ばかり「楽曲本来の姿」とありがたがったりしてね……なんてこともちょっと脳裏をよぎったのだ。悠々自適の指揮活動かもしれないが、自身のキャリアの終盤に、母国でロシア流・ロジェストヴェンスキー流をブレずに全面に押し出した英国音楽サイクルを行う意義は大きい。まさにこれですよ、大事なことは。