規律の礼賛

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Lob der Disziplin. Sonderausgabe: Eine Streitschrift


真面目な話になるか、おふざけになるかは、書いてみないとわからないのですが、最近僕が木曜深夜に心躍らせていることと関連付けて、ちょっとだけ教育について書いてみようと思います。いわゆる「寮」や「寄宿舎」というものについてです。僕は小・中学校は地元の市立学校に家から徒歩で通い、高校は県立高校に電車通学、大学は1年間だけ大学の学生宿舎、まあそれから結婚まではずっと1人暮らしをしていて、特に規律の下の集団生活という経験がありません。そう、この経験がないからこそ思うのですが、自分にはこういう教育のスタイルが必要だった、あるいは適していたのではないか、と不図思う事があるのです。


さて、ほぼ独学でドイツ語を勉強しなんとかドイツ語検定4級は取ったのですが、その後大した勉強もせず、これはいかん、ぼちぼちドイツ語も読み続けないといけないと思い、本当に少しずつ読んでいるのが、Bernhard Bueb という人の“Lob der Disziplin”という教育書で、著作名を邦訳するなら『規律の礼賛』とでもなるのでしょうが、題名の通り、教育において規律を礼賛するという、まあ割に現代の流れとは逆行している主張を展開する論難書です。


本当に少しずつ読んでいるし、多分途中で飽きてやめるかもしれないし、全部読んだ訳ではないので、今回は本の紹介をしようというつもりはないです。ただ少しだけ説明すると、この Bueb という人は1938年生まれ、1974年から2005年まで寄宿制学校の校長を務めた教育家で、この著作で、自分の子どもの教育や寄宿制学校での教育経験をもとに、現代ドイツにおける「規律(Disziplin)」のなさ、大人の「権威(Autorität)」のなさに対抗し、その必要性を求めています。


そもそも「規律」や「権威」というものは、ドイツではどうしてもナチズムへの反省から忌避されがちだったんですね。日本に比べればまだドイツは新自由主義の影響も小さい方だとは思うんですが、それでもこういう本が出るということは、やはり「規律」は蔑ろにされてきているんでしょう。彼の言葉を借りると「子どもや若者をどのように教育すべきかということへのコンセンサスが、ある任意の・個人の作られた教育スタイルに屈してしまっている」ということのようです。


日本で「規律」の教育というと、日本史が好きな方や福島の方なら、『日新館童子訓』を思い浮かべるかもしれません。会津藩における幼児教育、「年長者の言うことをきかなければなりませぬ」「弱い者をいじめてはなりませぬ」「嘘言を言ってはなりませぬ」……などなど、詰まるところ「ならぬものはならぬ」の精神ですね。つべこべ言うな、そこには無条件に受け入れるべき規律と権威があり、仮初の自由とは全く違う世界があったのでしょう。


イギリスのパブリック・スクールや、全寮制の中学、高校などは、自由はないかもしれませんが、むしろ仮初の自由よりも理想的な規律が支配しているのかもしれません。まあ僕は経験がないものでね。もちろん、寮や宿舎と言っても、きちんと門限があり、朝は点呼があったり、寮長先生がいたり、ご飯やお風呂など、統制のとれた集団生活がある場のことですよ。ほぼアパート同然の緩い宿舎や寮のことを言っているのではありません。知っていますか? 天の妃女学院の第二女子寮の風呂は共同なのですが、かなこが一番風呂で鼻血ぶーしたためかなこだけ入れなくなったり、第一女子寮の様々な罠が仕掛けられていたり、とまあ色々厳しいんですよ。

皆さんご存知、天の妃女学院。
かなこさん安定の鼻血ブー。
怖可愛い寮長先生。


まあ冗談はさておき、僕の出身高校は自由な校風を売りにしている学校でしたので、割に規律の厳しさは感じませんでしたし、家庭でも高校に上がった頃から、勉強などに関して色々言われたりノルマがあったりということはなく、ルールについては小中学生時代と比較して随分甘くなったと思い返します。そして、どうやらその頃から何かおかしくなってしまったような気が、しないでもないのです。現状について決して文句は無いのですが、僕はもしかすると、規律に縛られていた方が良い人間なのかもしれない、と感じています。まあ、何度も言いますが、そういう経験はしていないので断言は出来ないのですが。


新潟には国際情報高校という、僕の母校である新潟高校とは対照的な規律の厳しさを誇る高校がありますが、ではそっちに行ってた方が良かったのかと言われたら、そうではないような気もするし、じゃあ自分の子どもが出来たとして、万が一新潟に住んでいると仮定して、どこの高校に入れたいかと言われたら、僕は母校を愛していますから、自由な校風を持つ母校の方がいいと思いますが、そういうこととは別に、「規律ある集団生活」という教育のスタイルには憧れを感じます。


別に規律が厳しい方が絶対的に良いとか、個人の自由や個性といった方にスポットを当てる教育は良くない、と言っているのではなく、きっとそれぞれの人によって適している方は異なるでしょう。ハリーはホグワーツに行ってグリフィンドールの寮で暮らさなかったら一人前の魔法使いになる前に例のあの人に殺されていたかもしれないんですよ。まあ、僕は3巻までしか読んでないけどね……。

ハリー・ポッターと賢者の石 (字幕版)


でもきっと、青春時代の「規律ある集団生活」というのは、何かしら善い影響を与えるのではないかとは思います。韓国の男は徴兵でそれを経験するらしいです、とこんなことを言い出すとそれこそ時代と逆行していると指摘されますね。勿論、僕は徴兵なんか嫌です。翌朝早いのにかかわらず深夜アニメ見たりするある意味自由に暮らしている今の生活が好きです。それでも、そして僕自身経験していないからこそなんでしょう、規律を礼賛することには大きな価値があるように思えてなりません。


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参考
Bueb, B., “Lob der Disziplin: Eine Streitschrift”, Ullstein Taschenbuch, Berlin 2006.
松平容頌『日新館童子訓』, 三信図書, 2008.
©遠藤海成, メディアファクトリー『まりあ†ほりっく』
©J・K・ローリング, ワーナーブラザーズ『ハリー・ポッター』シリーズ

(2011年05月28日、「ボクノオンガク」掲載時に一部訂正。)


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