フーサ:プラハのための音楽1968ほか


フサ プラハ1968年のための音楽


吹奏楽を取り上げるなら、この曲はどうしても外せないという曲がいくつかあるが、この曲もその一つである。もし吹奏楽を軽んじているようなクラシック音楽ファンがいたら言っておきたい。この作品に触れたかの名指揮者ジョージ・セルは、大変感動し、作曲者のフサに管弦楽版への編曲を依頼したほどだ。セルは吹奏楽でやらないのかよ、これだから吹奏楽は……というツッコミはなしでお願いしたい。
ともあれ、セルをはじめ数多くの音楽家を魅了し、1968年に作曲されて以来、もう1万回ほど再演されているという超人気曲である。
日本では、吹奏楽コンクールフリークの方なら、いくつものコンクールでの名演を知っているだろうし、セルがクリーヴランド管と演奏した管弦楽版も、吹奏楽への理解も深い下野竜也氏が新日フィルや名フィルでオケ版を振っている。耳にしたことのある方も多いかもしれない。
チェコ生まれでアメリカで活躍する作曲家、カレル・フサは、1969年に「弦楽四重奏曲第3番」でピューリッツァー賞を受賞、1994年に「チェロ協奏曲」でグロマイヤー賞を受賞するなど、現代アメリカを代表する音楽家だ。
彼がこの曲を作るきっかけとなったのが、題名にある通りだが、いわゆる「プラハの春」をめぐる一連の事件である。クラシックファンは「プラハの春」というとすぐ音楽祭の方を思い浮かべるかもしれないが、そっちではなくてチェコスロバキアの変革運動の方だ。
1968年4月、チェコスロヴァキアは「人間の顔をした社会主義」を掲げ、言論や集会等の自由を認める改革を行う。これが「プラハの春」であるが、この自由改革はソ連をはじめ他の社会主義国家の反感を買うことになり、ワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに侵攻する。
そのニュースを耳にしたフサは、ちょうどイサカ大学バンドから委嘱を受けていたこともあり、故郷を思い、怒りに燃えてこの曲の作曲に着手した。初演は翌年の1969年。以降、この曲は吹奏楽作品の歴史に名を残す名曲として愛され続け、多くのバンド、オーケストラに演奏されている。
1990年に、自由化したチェコで初演されたときは、チェコの人々にとっては特別な思いであったことは想像に難くない。


激しい怒りと悲しみの感情が表現された楽曲であり、また技巧的にも難易度の高い音楽となっている。例えば、バスサックスやダブルバスーン、多くの打楽器を取り入れた編成や、微分音、不確定性の音楽、クラスターの使用、非常に多くのディヴィジなど、大胆なオーケストレーションで、その苛烈極まる音楽を構成している。
1楽章「序奏とファンファーレ」、2楽章「アリア」、3楽章「間奏曲」、4楽章「トッカータとコラール」という構成の20分強ほどの曲。スメタナが『わが祖国』の「ターボル」と「ブラニーク」で用いたり、ドヴォルザークが劇的序曲「フス教徒」で用いている、フス教徒の戦いの歌「汝ら、神とその法の戦士たち」が主要動機であり、自由を象徴する鳥の声がピッコロで、教会や天文の塔の多く「百塔のプラハ」と呼ばれるプラハの街を鐘の音が象徴している。プラハを舞台にした、自由のための戦いの音楽であることは明白だ。打楽器だけで演奏される3楽章では、スネアドラムの音色の持つ力強さを、憤怒と緊張感の中で体験することになるだろう。
はっきり言って、聴こえの良い美しい旋律はない。それでも、この曲には強い感情がある。つまり、心があり、魂があるのだ。現代音楽というと、技術的に難解な音楽も多く、掴み所の無い曲もたくさんあるが、この曲に関しては、「作曲者の思い」が突出している。それを掴むのは比較的容易だし、そこをとっかかりにして、様々な音楽技法や現代寄りの音楽の魅力を知ることができる。
だから、日本の中高生の吹奏楽部がチャレンジしたり、CDやコンクールでこの曲に触れる機会があるということは、現代寄りの音楽、特に芸術性の高い音楽に触れるという意味で、非常に教育上良いことだと思うのだ。
「プラハの春」などの社会主義にまつわる運動や革命の歴史について、教科書で学ぶ以上に、音楽を通して、当時の人々の気持ちや感情を学ぶことができる。これは、フサがこの音楽に込めたもの、この曲を書いた意義を、十二分に享受する行為であり、それこそが、僕は真の芸術活動だと思う。
ただ単に高尚であるだけでは芸術であると言い難い。フサの音楽から何かを得ること、そしてそれをあらゆる人生の分野において生かして行くことが、芸術の優意性なのだ。

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