伊福部昭:全歌曲


伊福部昭 蒼鷺


伊福部昭の弟子である松村禎三は、伊福部の歌曲の真髄は「ギリヤーク族の古き吟誦歌」「サハリン島先住民の三つの揺籃歌」「アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌」の3つであると語っている。これには全くの異論もないし、直弟子による貴重なお言葉として多くの人が納得させられている。機会があればこれらもぜひ聴いてみていただきたい。
ということで、今回は敢えてその3つは外して、伊福部最晩年の作品である「蒼鷺」を紹介しよう。先に挙げた3作に負けず劣らずの大傑作だ。
ソプラノのための歌曲で、伴奏はピアノ、オーボエ、コントラバス。この編成の素晴らしさ……伊福部昭らしい楽器選択である。
作曲されたのは2000年、伊福部御年86歳。ソプラノ歌手で伊福部作品の伝道者とも言える藍川由美(音楽評論家・片山杜秀の奥様である)のために書かれたもので、伊福部作品のみを歌唱する演奏会を催し、その3回めとなる際に新作として書き上げられたもの。
歌詞は詩人・アイヌ文化研究家の更科源蔵による。同じ詩を用いて長谷部匡俊が曲を付けた合唱曲「蒼鷺」があり、中高生でも合唱コンクールなどで歌うこともあるので、そちらの方が有名かもしれない。合唱曲の方を紹介するサイトはそこら中に転がっているので、歌詞を知りたい方は検索すればすぐに出てくる。


伊福部はすでに80年代には更科の詩に曲を付けると約束していた。しかし実現するより早く、85年に更科は他界してしまう。伊福部がその後2000年になるまで「蒼鷺」の作曲に手を付けなかったのは、更科の残した別のとある詩が理由であった。
84年に伊福部作曲・更科作詞の「オホーツクの海」の演奏会が開かれ、それを聴いた更科の娘さんから感想を伝え聞いた更科は、昔の思い出なども織り込んだある一編の詩をしたためた。その詩の中で、同84年にソ連の作家ショーロフが故郷のドン河のほとりで亡くなったことに触れ「故郷の流れの中でわたしも眠りたいのだ」と書いた一節を伊福部は気にかけていたが、翌年には本当に更科は永い眠りに就いてしまった。
「故郷の流れ」というのは、更科と伊福部にとっては釧路川のことである。「蒼鷺」の歌詞には「凍れる川の底流れの音」というのが出てくるし、はっきりとは書かれていないが、釧路川を知らない僕でも河のある水場にいる蒼鷺が思い浮ぶ。
そんな蒼鷺が「許さぬ枯骨となり 凍った青い影となり 動かぬ」と詠まれた「蒼鷺」の詩……この詩に伊福部は深い共感を覚えるとともに、何かが心に重くのしかかり、中々作曲に至らなかったそうだ。


「最晩年」や「死」というキーワード(なお2000年には伊福部の妻も亡くなっている)、そして詩の内容や、澄き通って孤独感のある音の響きから、この作品の評にはいつも「枯淡の境地」だなんだと言う言葉が付き纏う。それがどうにも鼻持ちならない。まあまあ言いたいことはわかるが、そんな俗世離れした創作とは到底思えない。
冒頭のピアノの和音、感傷的でありながら、瞬間でその場の温度を下げ、無の空間に寒々しい背景を描き出す。続くオーボエは何をか言わん。啼いているのか。満を持してソプラノ、息の長いメロディ、まるでオペラの一幕かと思うような歌は、やはりイタリアオペラのアリアでもドイツ・リートでもない、日本語歌唱の独特な雰囲気を醸し出す。
コントラバスも絶妙だ。情景描写を確実に支える淡々とした伴奏はもちろん、ことさら印象的なのはピアノとのユニゾンである。これは言葉にならない。
カメラータの井阪氏が「私の勝手な思い入れだが、先生の歌は一篇の交響詩を聞くような〈声〉の入った音楽といった意味に理解している」と書いているが、この曲はまさにそのような音楽だと思う。管楽器、弦楽器、ピアノ、声楽が最も必要最小限に集められ、10分強の交響詩を構築するのだ。
歌詞への言及は(合唱曲の方で色々な考察にあふれているので)省略したいのだが、一つだけどうしても言いたいのは、この孤独な思いを駆り立てるような詩でさえ、僕は諦観や達観というもの以上に、希望や生命への「欲」という、人間の本音本心を正直にさらけ出している姿を感じる。
「寂寞の極に何が聞える」と問い、聞こえるものが「青空への熱情か」という部分――まさにこの部分で、歌曲は音楽的な一種の極相を迎える。伊福部のこの詩への最も強い共感を、音楽のリスナーとして感じ取るなら、僕はこの部分を取り上げたい。孤独な蒼鷺は青空への情熱を強く強く聞いていたのだと。


米寿も近い伊福部は震える手でスコアを書いたそうだが、その音楽からは決して枯れることのない創作意欲・高い創造性を感じることができるだろう。初演時のプログラムに、作曲者自身で「唯、その責に應え得るものであることを希うのみ」と書いている。これは相当の生みの苦しみもあったろうと推察するし、とてもじゃないがその苦悩を枯淡の境地だなんだと気の抜けた乾いた魅力と紹介するのは憚られる。常に伊福部らしい音を求める姿そのもの、それが「蒼鷺」である。そんなことを思いつつ、詩の最後の言葉「動かぬ」という語を噛みしめる。

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