国立西洋美術館で開催している「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」に行って来ました。


展示のテーマが全体的に暗鬱としていてちょっと辛気臭い感じがしました(笑) ですが、鮮やかな色彩の作品もあり、また暗い作品も含めて、どちらも素晴らしかったです。


スペイン美術を代表する偉大な芸術家の一人であり、近代絵画の先駆者とも称されるフランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)。これはゴヤの有名な自画像で、今回展示されていました。1815年の自画像は、ゴヤが自身を描いたものとしては最後期のものです。ボサボサの髪は、図像学の権威リーパの『イコノロギア』によれば、画家の創造力と天賦の才の象徴だそうです。ゴヤの他の自画像は正面を向いて自信に満ちた毅然たる表情をしているのですが、これは実に内省的な表情をしていますね。

 


ゴヤの手がけたタペストリー用の原画がたくさん展示されていました。この原画は、社会批判を含みながらも、非常に明るい色彩感が魅力的な作品ばかりでした。左は「日傘」、右は「木登りをする少年たち」です。「日傘」、とっても美しい作品ですね。ゴヤ自身は「若い娘が土手に腰を下ろして、スカートの上に子犬をはべらせ、その隣りの若者は立ち、日傘を差しかけて彼女のために陰を作っている」と簡潔な説明をしていますが、明らかに上流階級と見られる女性と、無粋なマホ(マドリードの下町で生活していた下層階級の小粋な男。女の場合マハ)と思われる男性は、ちぐはぐな視線からして決して主従関係にあるものではないでしょう。「木登りをする少年たち」はそういった階級差の表現が露骨ですね。踏み台役の少年の横にいる少年は楽しそうです。ですが、上に乗る少年の掴もうとしている枝は、木登りには心もとない細さです。上流階級の高さと危うさ、そしてそれは下層階級によって支えられているという現実をゴヤは描いているのです。

 


左は「マドリードの祭り」、右は「目隠し鬼」です。「マドリードの祭り」は、258×218cmという非常に大きな作品です。前景では、古物屋の主人が客を迎えてひざまずき、地面に並べたチョコレート作りの道具を指しています。フランス風に気取った男は、横柄な態度で値段の交渉をしているのでしょうか。庶民の牛耳る市場という場所に貴族が現れるという構図は、両階級の混交を描こうとするゴヤの創意でしょう。これは「目隠し鬼」でも現れており、貴族の遊びにマホたちが参加している様子です。フランス風を受け入れる上流階級と、スペイン生粋の伝統を保持しようとする下層階級の混交する社会、そこには様々な軋轢や混乱があったでしょうが、宮廷はマホたちの立場(マヒスモ)を受け入れていくことで中和されていきました。この作品にも、フランス風のドレスを着ている女性やフロックコートの男性に混じって、マホやマハの衣装を身につけた男女もいます。こういった服装は、貴族の間でも流行っていたそうです。人々が輪になる様子が、空模様にも映し出されていますね。


人間の内面に関わる様々なテーマを取り上げて、テーマ別に展示をしていた展覧会でしたが、今回取り上げていたものの中で特に興味深かったものが、ゴヤの「女性のイメージ」というテーマでした。“嘘と無節操”と題が付されていましたが、18世紀スペインの女性の変化、そして女性のイメージというものの変化は、芸術の素材として非常に重要なものだったようですね。


女神やニンフ、聖女だけでなく、一般の女性が描かれるようになった18世紀、それらを描き始めたのはフランスの一流の画家たちでした。ドイツ人主席宮廷画家メングスは、タピストリー工場の監督たちにあらゆる女性たちが現れるマドリードの日常風景を主題にするように指示しました。タピストリーのカルトン制作にあたっていたゴヤも、他の画家たちのように女性を描きますが、他の画家たちの作品では、女性は常に美徳の象徴としてマドリードの娯楽や労働の場に溶け込んでいるのに対し、ゴヤの作品では、女性が主役・中心として時に愉快で時に悲劇的なストーリーが織りなされています。


『洗濯女たち』は、女性が中心となって物語が展開している作品の良い例です。スペインの哲学者オルテガは『ゴヤ論』で「平民主義」を定義しますが、まさしくこの絵画には、画面の全体に一般市民が主役として登場しています。休息する洗濯女のグループとその背後で働く女性2人で構成されていますが、これは単なる休憩の情景ではありません。眠る女はその下腹部に手をやり、ほかの2人が撫でる羊の角には、伝統的にファルス(陰茎、特に勃起した陰茎)の含意が込められています。ゴヤ研究者のトムリンソン(Tomlinson, 1989)がこの絵画を女性の快楽の象徴と解釈しましたが、すでに18世紀には洗濯女はふしだらな女として知られ、みだらな行為やブルジョア階級と交際することも禁じられていました。


18世紀になると、スペインの女性たちも、自ら働いてお金を稼ぐようになってきました。女性が仕事を手にすることは古い習慣からの脱却であり、男女が労働を共にすることがもたらす習慣や大衆の領域に広まった自由というものは、教会も危惧するところでした。


そういった女性たちの習慣が変化しましたが、それでも変わらないもの――イケメンと結婚したいとか、金持ちと遊びたいとか、もしそんな男と付き合って捨てられたなら、小説のような悲劇のヒロインになってこの身を嘆いてみたい、そんな(満たされない)願望と、それを得るための女たちのまやかしや嘘……そこにゴヤは自身の芸術的探求の道を見出したのです。人間の普遍的な本質を深く掘り下げた画家だったのですね。


この展覧会の目玉は左の『着衣のマハ』ですが、ここでは右の『裸のマハ』も並べてみます。そして、参考として左下はベラスケスの『鏡のヴィーナス』、僕の好きな絵画である右下はマネの『オランピア』も並べてみましょう。まず、『裸のマハ』がゴヤによって作られたのが1800年頃と考えられています。これはヴィーナスであると考えられています。ベラスケスの『鏡のヴィーナス』もそうですが、ベッドや長椅子に横たわるヴィーナスというのはよく描かれてきたものです。『鏡のヴィーナス』は、厳格なカトリック教国であった17世紀のスペインにおいて異端審問によって徹底的に弾圧の的となった“裸婦”を描いた、スペイン絵画としては残存する非常に数少ないものの一つです。1802年に、スペイン王カルロス4世は、王の寵臣で首相であったマヌエル・デ・ゴドイに『鏡のヴィーナス』などの絵画を売却するように命じました。ゴドイは彼自身が注文したとも言われているゴヤの傑作、『裸のマハ』と『着衣のマハ』と並べて、『鏡のヴィーナス』を暖炉のそばに飾っていたそうです。

 


『裸のマハ』と『着衣のマハ』は明らかに『鏡のヴィーナス』を意識して作られたものですが、そもそもヴィーナスであった絵がマハ(18C末から19Cにマドリードの下町で見られた、洒落た衣装を着た女性)になってしまったのは、異端審問官の手によってでした。このような猥褻な裸体はヴィーナスにあらずとされ、またその衣装からマハと判断され、以降ヴィーナスからマハの名称が用いられることとなったのです。『裸のマハ』よりも『着衣のマハ』の方が、技法も簡素なもので、急いで作られる必要があったことを示しています。どうやらゴドイが自宅を改装した際、『裸のマハ』を覆い隠すために『着衣のマハ』が作られたようです。


ベラスケスと違って、ゴヤは18世紀スペインの他国に比べて退歩的であった羞恥心や嫌悪心といった思想風潮に対する挑発として、これらの裸婦画を描いたとされています。ヴィーナスであったはずが、異端審問官には同時代の女性だと思われてしまったということ、それはゴドイの私室のための作品であったことというのもありますが、そこから「ゴヤが探求した女性のイメージ」がどのようなものか見ることができます。ここにいるのは古代の女神ではなく、美術の世界にはじめて登場した、寝室で誘う女なのです。マネは『オランピア』で『鏡のヴィーナス』のポーズを反転させて、女神を本物の女性の裸婦画として置き換えました。1863年に『オランピア』が最初に紹介されたときに、パリの美術界は大きな衝撃を受けたそうですが、それより半世紀以上も早く、ゴヤは現実の女性の姿に目を向けていたのです。


2年前にマネの『オランピア』を見た時もかなり衝撃を受けましたが(記事はこちら)、今回の『着衣のマハ』も衝撃的でした。できたら『裸のマハ』も見たかったなあ。そしてさらに募るのは、ロンドンでナショナル・ギャラリーに行っておけば良かったという思いです……『鏡のヴィーナス』を見れていたのに! ターナーに釣られてテート・ブリテンに行った選択を悔やんではいないのですが、次の機会には必ずナショナル・ギャラリーに行くぞ!

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