チャイコフスキー 弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」作品70
この作品の初稿が完成したのが1890年、さらに最終的な完成は1892年、その翌年にチャイコフスキーは亡くなっているので、彼の最晩年の作品だ。
弦楽六重奏曲という変わった編成はあまり数の多いものではなく、ブラームスのそれが有名だが、チャイコフスキーの室内楽の中ではこの六重奏が名高い。
彼がこの作品を手掛けたのは、歌劇「スペードの女王」を作曲するためにフィレンツェに滞在していた時のことである。
彼のフィレンツェ滞在はこれで7度目であり、この思い出(Souvenir)という言葉には一層深いものを感じずにはいられない。
室内楽については非常に寡作だったチャイコフスキーだが、室内楽を苦手としていたとも思いがたい完成度の高さを誇る。
2本のヴァイオリン、2本のヴィオラ、2本のチェロという特異な編成に、やや古典的な楽曲構成、そしてほとんどイタリアっぽさを感じない曲調、それら全てがこの曲の魅力をどこまでも引き出す。
また、これは晩年のチャイコフスキーが音楽に詰め込んだ、彼自身の人生における様々な情景や幸福な時間の追憶でもあるということ、そこにこの曲の一番のときめきを感じる。
1楽章の冒頭から彼の感情はすでに溢れているようで、最初からクライマックスとはこのことだ。
ソナタ形式だが、聴きどころはコーダだろう。煽るようなこのテンションの上昇はチャイコを聴く喜びの1つだと思う。
緩徐楽章の2楽章、最もイタリア寄りの部分でもある。
ピッツィカートの伴奏に乗って流れ、交わり合い、そして纏まる旋律の美しさ。これはチャイコフスキーの心に浮かぶ美しい日々そのものだろう。
3楽章は間奏曲であり奇想曲でもあるような、素朴さと高いインスピレーションが混在する、ちょっと変わった、またそこが魅力的な楽章だ。
異国情緒(もはやイタリアなんてどこへやら)を感じるリズムの妙が楽しめる。
4楽章は幾分イタリアンな雰囲気も持ち合わせているが、やはり貫いているのは濃厚なチャイコ節である。
魅惑の旋律と華麗な技巧・アンサンブルテクニックに息をのんでいる内に曲は結ぶ。
六重奏ならではの絶妙な絡み合い(1対5、3対3、6本の完全な独立、6本の一致した合奏などなど…)が、複雑で奥深い味わいをもたらすのはもちろん、晩年のチャイコフスキーの優れた創作力が、その複雑さと単純な旋律美をうまく調和させたのは言うまでもない。
添えられた副題“Souvenir de Florence”が意味するのは、彼の人生の総決算とも言えるような、心の奥で何時までも輝き続けるものへの追憶のように思う。
チャイコフスキーが音楽に詰め込んだ時間を遡る想いは、名演を通じてきっと何時までも光を放ち続けるのだろう。
Souvenir De Florence/Str Sextet Tchaikovsky,Rimsky-Korsakov New Pan Classics |
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more