バックス ヴァイオリン・ソナタ第1番 ホ長調
ここ数年における僕のお気に入り作曲家、アーノルド・バックスのヴァイオリン・ソナタを紹介しよう。
イギリスの女流ピアニスト、ハリエット・コーエンと不倫関係にあったことで有名なバックスは、彼女だけでなく、まことに恋多き人生を送った作曲家としても名高い。
また以前取り上げた交響詩「春の火」もそうだが、彼の音楽は詩人からの影響を大いに受けている。
恋と詩……まるでロマンティシズムの権化のようだが、当然、その作風には強烈なロマンティシズムが滲んでいる。ヴァイオリン・ソナタ第1番も例外ではない。美しく、またどこか人を不安にさせるようなおぞましさも存在している。
バックスが第1ソナタを手がけるより以前に、ヴァイオリンとピアノの作品としては、王立音楽大学在学中に書いたト短調の単一楽章の作品がある。また1907年に書かれた幻想曲があるそうだが、こちらは消失してしまった。
この第1ソナタは、第1楽章を1910年に別に書いていた作品から持ってきてその後第2楽章を追加してから、なんと6年間も完成させられずにいたそうで、第1楽章だけを女流ヴァイオリニストのウィニフレッド・スモールとマイラ・ヘスによる伴奏で初演したのが1914年。第1次大戦が始まる年だ。
バックスはこの大戦中に2人の“女性”ヴァイオリニストのために作品を残しており、先に挙げたウィニフレッド・スモールと、ベッシー・ローリンズ、そして大戦後すぐに出会った“女性”ヴァイオリニスト、メイ・ハリソンもまたバックス作品の擁護者であるが、中でも重要だったのがウィニフレッド・スモール女史である。なぜか。もちろん、皆チャーミングな女性だったそうだが、彼女が一番美人(しかも当時19才)だったからだ。小麦色の髪の毛に、青い瞳、だそうです!
スモール女史が弾いたバックスの作品(ヴァイオリンとピアノのための伝説、1915年作)を聴いて、バックスは大いに感激し、すぐに第1ソナタを完成させることを決意したらしい。まあ単純なものだ。
大戦中にはオフィシャルな初演はできず(まあ女史とプライベートな演奏はたくさんしてただろうが)、初演はパウル・コハンスキ(男)とバックス自身のピアノで行われた。また、この曲は1945年に改訂されて少し短くなっている。3楽章構成で、演奏時間は30分程度。
さて、曲の中身にまったく触れず、ひたすらバックスの女たらしな面を紹介することになってしまったが、残念なことにもう少しお話しすると、バックスは後に自伝で、この頃あるウクライナ人女性と熱い恋に落ちていたことを書いており、第1ソナタの自筆譜には彼女の名が記されている。そういう恋愛感情が(美人ヴァイオリニストによりさらに喚起されて)音楽に反映されているのは間違いない。
とにかく1楽章を聴けばすぐにわかる。ドビュッシー、あるいはデュカスの魔法使いの弟子のような、まるで色彩豊かなオーケストラ。とにかく凝ったピアノが印象的で、ヴァイオリンの旋律はわりとシンプルで優雅なもの。その優雅で美しい旋律に、和声進行の複雑な伴奏、奇をてらったオブリガードやテンポの揺れなど、まさしく恋愛の感情といったところだ。情感があふれて止まらない。ときにエルガーやヴォーン=ウィリアムズのような英国らしさ、つまり気品のある様や牧歌的で長閑な旋律も顔を出す。
2楽章はスケルツォ楽章。これも熱い。静かなトリオを経て、主部への回帰の仕方のこのなんとも言えぬさりげなさ。このスマートさがモテる秘訣だろう(適当)。
1楽章のテーマと関連付けられた主題から始まる3楽章を聴いていると、ふと優雅に踊るアベッグを想像する。伴奏し、追走し、ユニゾンで手を取り合うピアノ、本当に美しい! 小声でお互いに囁き合っているような場面もある。ヴァイオリンは無垢で天国的な美しさかもしれないが、どうもピアノはそうはいかないらしい。どこか闇を感じる。ヴァイオリンはおそらく美女として、するとピアノはバックス自身なのだろうか。自筆譜の3楽章の引用されている、ウィリアム・バトラー・イェイツの詩を載せておこう。イェイツはアイルランドの詩人で、同じくアイルランドがルーツのバックスは大変傾倒した人物だ。
A pity beyond all telling.
Is hid in the heart of love.
(愛するという気持ちの底には、言うに言われぬ憐憫の情がある)
これだけヒントをくれればもう十分。周囲に美女が多くてバックスも大変だったんでしょうね。
バックスは保守的な後期ロマン派で、和声を複雑に操るタイプの作曲家だが、管弦楽だとどうしてもその精巧さ・複雑さが強調されがちだが、室内楽となると比較的シンプルな響きで聴きやすい。そういう意味でもオススメである。
熱い恋心と憐憫の情、ときに漏れるヴァイオリンの涙の旋律。ここではロマンティシズムが爆発している。
Violin Sonatas Nos 1 & 3 Arnold Bax,Ashley Wass Naxos |
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more