タネーエフ ピアノ四重奏曲 変ホ長調 作品20
ロシアの作曲家のブラームス嫌い、あるいはワーグナー嫌いは、色々資料を読むと面白い。例えばリムスキー=コルサコフはキュイら仲間たちと揃ってアンチ・ワグネリアンだったし、ストラヴィンスキーもバイロイトでワーグナー作品を貶している。チャイコフスキーも一時期ブラームスを嫌っていたし、ワーグナーの楽劇を退屈だと批判した。19世紀後半から20世紀頭にかけて活躍したロシアの音楽家たちは、こういう立場を取る者も多かったが、嫌よ嫌よも好きのうちというか、それだけ意識しており、多分にドイツ音楽の影響を受けている者も多い。
今回取り上げるセルゲイ・タネーエフ(1856-1915)もまた、ワーグナーとブラームスを嫌いつつも、バッハ研究やルネサンス音楽の研究などに力を入れ、対位法を多く用いた作風から「ロシアのブラームス」と呼ばれる作曲家である。
ピアノをニコライ・ルビンシテイン、作曲をチャイコフスキーに学び、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のモスクワ初演では独奏を担当している。チャイコフスキーの後を継いで教鞭を執り、グラズノフ、ラフマニノフ、スクリャービン、プロコフィエフ、メトネルらを輩出した。弟子の一人であり作曲家・音楽評論家として活躍したレオニード・サバネーエフ(スクリャービンの伝記で有名である)は、タネーエフのレッスンを振り返って、「がっしりした体格で、実質的なことは全く役に立たないが、答えを追求することについては容赦なかった。だが愛嬌があって天然で、愛情深く温かい人柄だった」と書いている。
文豪トルストイの妻と恋仲になり、妻の浮気に嫉妬したトルストイがあの名作「クロイツェル・ソナタ」を書くきっかけの1つになったというのは、タネーエフの最も有名なエピソードである。こんなのが有名になって、音楽の方はちっとも有名でないの、本当にかわいそう。
ということで、音楽の話を書きましょう。チャイコフスキーの後継者とも言えるタネーエフは、国民楽派とはまた違う、強固な構造を持つ音楽を生み出した。ピアニストとしても活躍していただけあって、ピアノを用いた作品が今日まで残っており、僕は特にその構造の強さを聴いて味わえるピアノ付きの室内楽曲がお気
に入りだ。ピアノ三重奏曲、ピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲、そしてヴァイオリン・ソナタとあるが、その中でも、今回取り上げるピアノ四重奏曲は、最もロマン的な音楽ではないかと思う。
1902年に作曲開始、完成したのは1906年。3楽章構成で、伝統的な構成からスケルツォを削っている。通して40分弱の大作だ。
1楽章、主題の提示を聴けば、ロシアのブラームスと言われる理由もすぐにわかるだろう。しかしこのイントロはシューマンのピアノ五重奏曲を意識しているのは間違いない。長いフレーズを歌うのではなく、短い要素を用いて変化させながら積み重ねるように紡いでいく、ベートーヴェンからブラームスへ継承されるスタイルであり、またその要素が非常にリリカルで、それを連綿と綴っていくところなんかは、まさにチャイコフスキーの手法だ。
しっかりと間を空けてセクションを区切るのはタネーエフらしさ。中間部になるとポリフォニーも複雑化し、追うのがやっとだが、それでもハーモニーはピアノがどっしりと支えている。このテクスチャもまたタネーエフらしさである。ピアノはこの曲の羅針盤。どこを航海し、どこを目的地にしているのか、ピアノが示す。羅針盤なんて渋滞のもと、熱にうかされ舵をとるのが冒険だが、熱い情熱のゴールを目指していると解釈したい。
熱く熱く熱狂して、テクスチャが厚ぼったくなると、ショーソンの室内楽を思わせるような、はち切れんばかりのロマンを湛える。テンポの変化や、ピアノとピチカートの組み合わせなど、高音低音、ソロ・デュオ・トリオ、めまぐるしく登場するアイディアの豊富さと、それをまとめ上げ音楽を推進するパワー、やれることは全てやるぞ!という気概に満ちている。
2楽章ではガラリと変えて、カンタービレに歌う。急に19世紀的な感覚を呼び起こす。歌を聞かすのか、構築力を示すのかは演奏次第。そういう意味でバランスの良い楽章だと思う。しかしちょっと重いかな、やっぱり。その重さ、スコアの「黒さ」がロシアらしさかもしれない。確かにブラームス並の強度はあれど、トゥッティで歌い上げるとなおも美メロが際立つのはブラームスとの違いだろう。
ピアノが4分音符の和音で伴奏し、ここでもハーモニーを支え、緊張を解かれた弦楽は渦巻くポリフォニーを形成し、今度は内なる情熱を語るのだ。と今度は再び1楽章のような、煽るように主張したりと忙しい。とにかくただ歌うに飽き足らず、マルチで予測不可能なアイディアを放り込む。中間部の力強く美しく歌う3拍子は聴きどころだ。
3楽章は今までの均衡を壊していくような、不気味なリズム、少し不安げな旋律で攻める。モチーフは少ないが、今度は急流のごとくドラマティックに繰り返し動き回り、一大イリュージョンを見せつける。速く、強く、高エネルギーの到達点へ……。やるだけやったと思った頃に唐突に顔を出すバロック風のフーガ。得意の対位法である。しかしどうも、知的なイメージよりは制御不能なパッションを感じる。まあだからこそ楽しいのだけれど。
前楽章の旋律も現れ循環形式もどきも用い、最後は高音と低音に広げたアンサンブル。とにかくできることを詰め込みまくり。精巧なるクラフツマンシップ、ここに極まる。何度聴いても、また別の場所の魅力に気づく、良い曲だ。
僕は正直、詰め込み過ぎる曲はポップスだとあまり好まないのだが(アニソンはまた別ね)、それがまた僕が、あふれる才能を抑えきれずに全部曲にぶち込んでしまうミュージシャンをあまり好まず、フジファブリックというバンドを好む理由の1つでもあるのだが、何しろ20世紀初頭のクラシックであれば話は別だ。タネーエフの構造の扱いと、小気味良いユーモアのセンスを味わえる。
例えばヴァイオリンが、アカデミックで対位法的な態度を取ると、それを受けるヴィオラとチェロがセンチメンタルな旋律をカンタービレしちゃったり、愛らしいったらありゃしない。「ロシアのブラームス、ドヴォルザークのユーモアを得る」と言ったら大げさかしら。
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more