プロコフィエフ ヴァイオリン・ソナタ第1番 ヘ短調 作品80
以前、と言っても10年近く前になるが、ヘンデルのヴァイオリン・ソナタについて書いたときに「紅茶のおともにぴったり」というようなことを書いた。なめてるな、と思いつつも、実際じゃあ紅茶飲みながら何か聴くなら何がいいかとなるとその辺りということになるだろう。ヴァイオリン・ソナタはもちろん真剣な音楽だが、やはりBGMとしても相応しい曲が多く、よくカフェなんかでも流れている。
今回は、およそお茶の時間に聴くにはふさわしくないヴァイオリン・ソナタを取り上げよう。プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第1番である。プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタは第2番もある。こちらはフルート・ソナタを改作したもので、第1番よりも先に完成しているのだが、フルート・ソナタよりも前に着手していたソナタがあるために改作の方が2番となり、後に完成した方が第1番となった。
第1番の最初のスケッチは1938年のアメリカ、プロコフィエフがウォルト・ディズニーのスタジオを訪ねた頃に書かれたそうだ。それから8年の長きに渡って放棄され、1946年にまた書き始めるのだが、その頃のプロコフィエフは病気もしており、スケッチを始めた頃とは全く別の状態になっていた。
パリ時代、アメリカ時代を終えて帰ってきたソ連は、プロコフィエフにとって一概に「良き故郷」と言えるものかというと、そうでもないだろう。この間、離婚もすれば病気もするし、戦争もあった訳で、暗い時代だったと言える。しかし、そういう時代にこそ作品を生み出すのが芸術家というものではないか。劇的で熱く燃えるような音楽であり、また同時に、言葉にならない苦悩に満ちた音楽でもあり、それらが交互に現れる傑作だと思う。
初演は1946年10月23日、ヴァイオリンはダヴィッド・オイストラフ、ピアノはレフ・オボーリン。オボーリンは初演にあたって、プロコフィエフから「聴衆が椅子から飛び上がって「奏者は気が狂ったのか?」と言い合うようなスタイルで弾かないといけない」と言われたそうだ。
4楽章構成で、30分弱。緩-急-緩-急という構成はヘンデルのソナタを参考にしたらしい。あら、こんなところでまたヘンデルのソナタが。プロコフィエフのバロックへの興味も窺い知れる。
1楽章Andante assai、これはヘンデルのヴァイオリン・ソナタ ニ短調 HWV359のGraveからインスピレーションを受けたそうだが、その割にはどうしてこうなったのかという感じでもある。通奏低音っぽい、と言えばまあそうかもしれないが、解釈と再構築にも色々あるものだ。しかし僕のようなバカでもわかる共通点といえば、暗い、とにかく暗い。ピアノの不安なハーモニーに、突如現る32分音符のヴァイオリン。プロコフィエフ自身の解説では「墓場を抜ける風」だそうだ。この辺はヘンデルのGraveとも関連があろう。唐突に入るピチカートも、これは何なんだろう。
2楽章Allegro brusco、bruscoは急にという意味。ここでテンポが上がると、リズムのやり合いになる。構造はしっかりとしてソナタ形式。エモいメロディである。ダブルストップ、トリプルストップも多用し、強烈であり、コロコロと場面が変わる継ぎ接ぎ感、これが生きるということかしら。不条理でさえある。
しかしまあ、これだけ要素が多いと、誰でも1つくらい引っかかるものはあるのではないか?全てが良いと思えなくても。なおこのエモい主題は何度も繰り返し出てくるが、僕はやはり最後の登場が一番好きだ。敢えてmpで始まり、Cの帰結に向かっていくさま、最後の強引かつ少し奇妙なド♯レ♯ミファソラシドは笑える。
3楽章Andante、1楽章は2楽章の序奏的なポジションと捉えると実質的な緩徐楽章。自由な形式の歌で、繊細なピアノの伴奏に、更に繊細なヴァイオリン。砂漠のオアシスのような一時の夢か、あるいはこれが真の悲しみなのか。ユニゾンで歌うのは寂しげだ。一緒に寄り添うはずなのに、なぜか孤独感がある。このピアノの単音とヴァイオリンの旋律の合わさりを味わいたい。最後の重奏は何なのか。
4楽章Allegrissimoは不安定に走る、プロコフィエフらしい音楽。8分の5+8分の7+8分の8という変速で、夜は墓場で運動会だろうか。これ、あながち間違えてないのでは。走り方よりも「止まり方」の方に注目である。主題の変容も、徐々に崩壊していく感じで大変よろしい。この雰囲気でよくもまあ、1楽章の主題に回帰できたもんである。見事なものだ。突如、あの墓場に吹く風が、今度は突風のように強くなって戻ってくる。強風になっているようにも感じるし、僕は映画で言うところの、重要シーンが瞬間無音になって「スローモーション」で描写されるような、そんな演出の印象も受ける。急にカメラが寄る、クローズアップするのだ、この風を……。そしてまたカメラはスッと引いていき、沈黙の中へとフェードアウトして終わる。
1楽章と3楽章は、オイストラフとフェインベルクによって、プロコフィエフの葬儀でも演奏された。墓前でもきっとこの曲が流れていることだろう。
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都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more