兼田敏 バンドのための楽章「若人の歌」
東京2020?何ですかそれ?よく知りませんが、ちょうど1年後くらいに東京オリンピックがあるそうなので、前回の東京オリンピックがあった年、1964年に出来た曲を取り上げよう。兼田敏(1935-2002)、通称カネビン(1文字しか短くなっていない)の初期の吹奏楽作品である「若人の歌」だ。
この曲は全日本吹奏楽コンクールの1964年度課題曲であり、コンクールの課題曲史に残る、いわば「その時歴史が動いた」、パラダイムシフト的作品と言える。
すなわち、1964年、それまで課題曲と言えば行進曲一辺倒だった時代に、初めて行進曲以外の邦人作曲家オリジナル作品が登場したのである。これはすごいことだ。
日本のクラシック音楽に詳しい片山杜秀氏も、兼田敏については、管弦楽の分野に團伊玖磨や芥川也寸志が登場し、歌曲の分野に中田喜直が、合唱の分野に湯山昭が登場したのと同じような意味を持つと書いていた。やはり何にせよ、新しい時代を切り拓いた人はすごいのだ。中島みゆきの「地上の星」でも流したいくらいだ。
5分か6分くらいの長さ。今聞けばそれほど技術的に難しいとは感じないだろう。しかしやはり、当時ではモダンでシンフォニックな響きで、兼田は中学生が演奏するのを想定していたようだが、結局中学生部門は石井歓の序曲「廣野をゆく」になり、高校以上が「若人の歌」となった。これには兼田も不満だったようで、よく文句を言っていたと、岩井直溥がバンドパワーのインタビューでそんなエピソードを語っている(そのページへのリンクはこちら)。
それくらい、衝撃的な音楽であったということだ。何しろ1964年の吹奏楽コンクールの全国大会の自由曲として選ばれているのはサン=サーンス、イベール、グリエール、ムソルグスキー、エルガー、ベルリオーズ、ヴェルディなどのアレンジもの、オリジナルといえるのはM・グールドやC・ウィリアムズくらい。当然邦人作品など挙がらない。そういう時代である。
低音による序奏から徐々に高まり幕が上がるファンファーレ、この様子はさながらロマンティック・オペラのよう。テンポが上がるとプロコフィエフの「キージェ中尉」の第3曲のマーチに似た旋律が現れる。旋律が木管から金管へ、高音から低音へと引き継がれ、短いが速い半音階パッセージなど、いかにも教育的配慮といった構成も見られる。ファンはそういところがかえってたまらなく好きなのだ。
仰々しいくらい、場面をコロコロ入れ替えるフィナーレも、チャイコフスキーの交響曲のクライマックスさながらだ。昨年まで行進曲しかなかった課題曲の世界が逆に想像できない。
兼田はこれ以降も何度も課題曲を書いており、名曲とされる1986年「嗚呼!」も良い。「若人の歌」もそうだが、やはり若い子が演奏することも想定しているので、旋律もわかりやすくロマン的だし、和声もシンプルである。もちろん、兼田の本来の芸術的な極みというのは「ファイヴ・イメージズ」や「ウインドオーケストラのための交響曲」にあると言える。
だが一方、この明快なメロディー、リズム、ハーモニーの「若人の歌」は、まさに未来ある若者のための音楽であり、葛藤や苦悩、情熱、そして友情、努力、勝利という、青春時代にさもベートーヴェンの交響曲をプチ体験できるかのような音楽性を持つ。それは「嗚呼!」でも同じようなことが言えるだろう。
僕は現代の吹奏楽コンクール課題曲をディスるつもりはないが、中高生が演奏するのはこうでなくっちゃ、なんて思うこともある。例えば「心を込めて」とか「気持ちをひとつに」なんて常套句があるだろう、技術によって感情を表現することがプロに求められるものだとしたら、アマチュアの中高生はそうでなくて、純粋に気持ちを込めて音を出すことを楽しんだ方が良いのかもしれないな、と思うのだけど、どうだろう。
若者たちが「気持ちを込めて」演奏する、もしそういうものが吹奏楽コンクールに必要なのであれば、これはまさにそんな「若人の歌」だ。そうして新しい時代を築いた音楽である。今はまた別の時代に違いないが、この音楽は折々で振り返ってみるべき音楽だよなあと思う。本当に。いつの間にか僕らも、若いつもりが年をとった。現代の吹奏楽よ、そこの吹奏楽おじさん、吹奏楽おばさんよ、あなたが振り返るとき、若人の歌はそこにある。
ブレーン (2011-04-30)
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都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more