チャイコフスキー 聖金口イオアン聖体礼儀:古代の歌、現代のハーモニー

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チャイコフスキー 聖金口イオアン聖体礼儀 作品41

最近Twitterで、いわゆるクラシックリスナーが見過ごしがちだけど良い曲がたくさんあるのが室内楽、だがそれ以上に見過ごされて素通りされがちなのが無伴奏合唱曲だ、というツイートを見た。
確かにスルーされがちだが、よく考えると非常に現代的というか、何でも気軽に広く聴けちゃう世の中だからこその考え方だなあとも思った。僕自身は割とジャンル問わず広く聴くのを楽しみたい方だが、狭く深く楽しみたい人もいるし、そもそもクラシック音楽の交響曲と無伴奏合唱曲では、誰のため、何のために書かれたかという作曲目的や理由が違うのが一般的だっただろう。
時代や場所にもよるが、特にクラシック音楽は、コンサートで披露することが主目的で書かれている曲ばかりではない。
例えば同じ劇場でやる交響曲とオペラでも、両方聴く人もいれば、それぞれ別の固定リスナーもいるだろう。同様に、合唱曲、特に無伴奏合唱という宗教作品に多い音楽は、華やかな劇場文化とはまったく違った環境で、まったく別のリスナー(という言い方は不適切かもしれない)のために存在するものだったわけだ。

それでも、今回取り上げるチャイコフスキーの宗教合唱曲は、教会だけでなくコンサートでも演奏されていた(されている)種類のものである。コンサートとしての合唱が世界的に広がっていったおかげで、「無伴奏合唱曲は(広く聴くタイプの人にも)スルーされがち」という文言が意味を持つのだろう。そういう意味では、現代では宗教曲と世俗曲の差が良くも悪くも縮まっているのだと思う。
あくまでカトリックのミサのために作曲する作曲家もいるが、ある特定の信者のためだけの音楽ではなく、全人類のための祈りの音楽を書いているのだという意識の作曲家もいることだろう。チャイコフスキーはどうも後者のようなタイプの作曲家なのではないだろうか。

「聖金口イオアン聖体礼儀」作品41(聖ヨハネ・クリュソストムスの典礼とも呼ばれる)は、チャイコフスキーが1878年に作曲した正教会の奉神礼音楽で、無伴奏の混声合唱による聖歌。
チャイコフスキーは常に正教会の音楽へ興味を抱いており、1875年に教会の歌唱についてのテキストブックを出版。1881年には神学校や大学の教会でも用いられるようになったそうだ。
正教会の音楽における先人ボルトニャンスキー(1751-1825)亡き後は、教会音楽を独占しようとする強欲な権力者や、自分たちに従順な小物音楽家のみ配下に置こうとする保守的な教会関係者などから、新しい教会音楽を認めないという動きがあり、チャイコフスキーはそれを好ましく思っていなかった。
実際、チャイコフスキーは当時の正教会の音楽について、ボルトニャンスキーに一定の評価をしつつも、「幼稚なテクニック」や「陳腐で甘ったるいスタイルがロシアの大都市から田舎まで流行ってしまっている」と批判しており、さらに「一撃ですべての古いものを破壊し、新しい道を見つけてくれるメシアが必要だ。新しい道とは、霞んだ過去、古代に戻り、その古代の曲に適切なハーモニーをつけることだ」と、当時の合唱指揮者コンスタンティン・コニンスキーに宛てて書いている。
まさに、そうした正教会の新しい道を示すような音楽が、この「聖金口イオアン聖体礼儀」作品41なのである。この曲の出版にあたって、帝室聖堂とは裁判までして争ったが、最終的には出版社ユルゲンソン側が勝訴した。訴訟の決着が着く前の1879年6月にキエフ大学教会で初演が行われ、チャイコフスキーは大いに喜んだそうだ。

上でも触れたが、この曲も奉神礼(要は儀式)用の音楽と、コンサート用の音楽と、両方の用途で歌唱ができるもので、それぞれ楽章数や配置が若干異なる。
とにかく聴いてすぐわかる、シンプルな美しさ。シンプルとはいえ、音楽は無駄な反復やつまらない画一性に陥ることのないよう慎重に作られている。人間の感情を真摯な態度で告白するような、決して重苦しい雰囲気ではなく、開放的な響き。旋律の美しさと明るいハーモニー、静寂と感情の昂りと……。
内容的にも核心であろう曲の1つ、奉神礼の聖歌8番(コンサート版では第4楽章)にあたるВерую(信經)、いわゆるクレドだが、この曲のハ長調の明快な力強さと転調のセンス、言葉に即したリズム、チャイコフスキーの楽才がいかんなく発揮されている。同じく重要であろう、奉神礼の聖歌では13番にあたるОтче наш(天主經)、いわゆる主の祈り(コンサート版では第8楽章)もまた、効果的な半音が美しいメロディとハーモニー、そして絶妙な強弱のコントロール。曲の終わりも非常に美しい。

無伴奏合唱曲を見過ごす云々はともかく、おそらく「チャイコフスキーは交響曲しか聴かない」というような人でも、この音楽から彼の音楽の卓越性を聴き取ることはできると思う。合唱作品に詳しくなくても、聴いてすぐその魅力の虜になる人も多いだろうし、それこそがおそらく、チャイコフスキーが正教会の音楽で表現したかった精神的価値観なのかもしれない。東西教会が分裂する前に理想を求め、すべての信者は神の国で一体となっているのだ、と。新しい道、古代の歌に最も相応しいハーモニー……その本質に迫ったチャイコフスキーの姿勢と彼が生み出した響きからは、宗教や個人の嗜好を問わず、現代人も何か得られるものがあると思う。


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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