メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64
僕はアニメも好きだし映画もたまに見るけど、テレビドラマだけはめったに見ない。何か特別な事情があれば見ることもあるし、数年に一度くらいは気が向いて見たりもするが、本当にその程度。その理由はまた別の機会に書くとして、今回メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を取り上げようと思ったのは、友人から「さよならマエストロ」という、今、これを書いている1月31日現在で放送中のテレビドラマの話をされたのがきっかけである。
僕は見ていないが、あまりクラシック音楽に詳しくないその友人がこんな話だ何だといちいち説明してきたので、オタク的見地から「どんなオケだよ、公営プロオケ?アマオケ?三セク?」とか「ベートーヴェン“先生”と呼ぶような指揮者はスコアに手を加えないだろ……え、先生に本当に申し訳ないと思いつつ?ああ、ならまあ、ドラマだしな、仕方ないな(笑)」なんて、もちろん冗談混じりで他愛ないコメントをした。
そのときに芦田愛菜ちゃん演じる指揮者の娘が、ヴァイオリンを手にとったら思わず凄いのを弾いて云々、と聞いて、何を弾いたんだろうと思いTwitter検索したところ、どうやらメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の1楽章カデンツァのようで(本当かどうかは知りません)、僕は「ははーん、これはきっと最終回で娘のヴァイオリンと父の指揮でコンチェルトやるフラグだな、メンデルスゾーンの。あれだよ、マツコと有吉の怒り新党で新三大〇〇ってあったじゃん、あのとき塙がナレーションしてるとこで流れる……」と歌って、ああ知ってる知ってる、と。この続きの僕のコメントは最後にあるので、しっかり中身を読んでから見てみてくださいね。
はい、ということで前もってメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲についてブログに書いておけば、きっとドラマに登場した際にはアクセスも爆増するだろう……なんて言うと感じ悪いかもしれないね、まあ冗談。そんなにアクセスないから。ただ有名曲について書くのは何か機会がないと気が進まないのもあるので、せっかくなので書いてみようと思ったのだ。
2020年にベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲についてブログ書いたときも触れたが、世の中には「三大ヴァイオリン協奏曲」とか言って、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキーの4つの中から3つ選ばれて書かれることが多く、実際のところメンデルスゾーンとベートーヴェンが外れている例は少ない。ベートーヴェンを外す人はまずいなそうだし、メンデルスゾーンも余程アンチでなければ入れることが多いのではないか。怒り新党の新三大〇〇で流れるくらいだし。好みは人それぞれだが、実際ベートーヴェンの次にエポックメイキングな曲であったことは間違いない。1806年にベートーヴェンが骨格のしっかりした大協奏曲を残した約40年後、1844年、メンデルスゾーンは「オーケストラよりもヴァイオリンこそが命」の、ヴァイオリンの華麗で美しいメロディと変化に富む楽想が最大の魅力である協奏曲を作った。1845年にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管が初演、独奏はコンマスのフェルディナント・ダヴィッド、指揮はメンデルスゾーンが体調不良のためニルス・ゲーゼが務めた。
ヴァイオリンこそが命である、ということは、オケはオマケ、あくまで引き立て役と言い換えることもできる。本当にそうなのか。協奏曲には色んなタイプがあり、ソリスト偏重の曲もあればオケの方こそむしろ重要な曲もある。また演奏も、ソリストの個性一本で勝負するものから、オケとの調和を聴かせるものまで、幅広く楽しめるのが「協奏曲」の面白いところだ。それでも、ベートーヴェンと比較してオケに重きがないからだろうか、名曲の割には過去の巨匠指揮者も意外と録音がなかったりする。メンデルスゾーンの交響曲で素晴らしい録音を残しているクレンペラー、ショルティ、ドホナーニ、マゼールなど、ヴァイオリン協奏曲の商用録音には手を付けなかった。もちろんコンサートではやらざるを得ないこともあっただろうが(実際クレンペラーは放送録音のみ残っている)、やはり同じメンデルスゾーンでもオーケストラを聴かせる交響曲とは一線を画する「別物」だという意識があったのかもしれない。
3楽章構成で30分弱。1楽章は有名なヴァイオリンのメロディから始まる……が待ってほしい。1小節半のオケ伴奏がある。時間にしたら1秒か2秒か、そのくらい。大体はオケはオマケ、独奏ヴァイオリン様のご登場を邪魔しないように静かに控えめに演奏される。それで何ら構わないだろう。だがアイザック・スターン(vn)とオーマンディ指揮フィラデルフィア管(1958年録音)を聴いてほしい。開始の瞬間のオケ、弦楽の8分音符にも命が宿っている。生きて呼吸してスラーの美しいフレーズを成す。そこに登場する独奏ヴァイオリンは一層美しい。こういう「引き立て方」もあるのだと感動した。そもそも開始からAllegro molto appassionatoという指示と、オケも独奏も強弱記号はp、これは両立できるのだろうか。聴いた瞬間「おお!まさしく情熱的なアレグロ!」と感激する演奏もあれば、オケも独奏も、ゆっくりじっくり始める演奏もあるし、どう考えてもpではない音量で弾き始めるソリストもいる。あちらを立てればこちらが立たず、なのかもしれない。千差万別。自分のお気に入りを見つけてほしい。第2主題の美しさも圧倒的だ。あまりに美しくて息が詰まりそうになる。フェルマータの高音Aの部分など、本当に息が止まってしまうのではないかというくらい引っ張る演奏もある。ヴァイオリンの高音は本当に美しい、だからここはどんなヴァイオリニストも自身の持てる限りの表現力を発揮して弾くだろう。逆に低音はどうだろう。agitato直前に4小節ほど低音で聴かせるフレーズがあるのだが、ここで「ほら、ヴァイオリンはこんな低い音も面白いんだぜ」とまるでウィンクしながらキメキメで弾いているような奏者もいて面白い。逆に高音は美しいけど低音は好きじゃないの、とでも言うようにサラッと流す人もいる。カデンツァで魅せてから再現部、コーダへ。
第2楽章はAndante、ヴァイオリンがよく歌う緩徐楽章。どんな風に歌っても美しいのだけれど、誰が歌っても同じ印象にはならないから不思議だ。常にヴィブラートでたっぷり歌い続けるような演奏を聴いて感傷に浸るのも悪くないが、劇伴やBGMではないので、もっとシリアスに聴くことだってできる。ただメロディがきれいなだけの曲、ではないのが良い。メロディの変化の仕方やオーケストラとのやり取りに注目して聴くのも面白い。そうすると、意外と複雑に絡み合っていることがわかり、ただヴァイオリンのメロディだけが強調されて聞こえる演奏ではそのあたりが掴みにくいのだな、ともわかる。それでもなおこの曲は「幸せだったあの頃」のようなものを思い浮かべながら感傷に浸るのに適していると思う。
3楽章Allegretto non troppo、金管のファンファーレが鳴るとヴァイオリンの楽しそうなメロディ。この楽章も2楽章同様、楽想の変化の面白さがあるが、それを遥かに上回るのはヴァイオリンの技巧を見せつけるヴィルトゥオージティ。前の2つの楽章でほとんど発散されなかったソリストの「超絶技巧を見せたい欲」が、ここで爆発する。もっとも、現代の凄腕ヴァイオリニストたちにとっては別に鬼のような難易度ということではないだろうし、余裕を持って抑制的に、あるいはリラックスした雰囲気で聴かせてくれる演奏もあれば、ド派手に披露してやろうというものもある。ムローヴァがガーディナーと録音したものは前者のような魅力に満ちているし、圧倒的テクニックで有無を言わさない神業を魅せるのはアンドレイ・コルサコフ(vn)とフェドセーエフ指揮モスクワ放送響である。ただのテクニック披露は下品かしら、いやしかし、ここまで突き抜けていたらそんな非難は門前払い、ひれ伏すしかないという演奏。本当に多種多様に味わえる、蓋し名曲である。
僕は「さよならマエストロ」を見ている友人に言っておいた。
「メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は本当にヴァイオリニストが主役で指揮者は脇役だから、演奏会でやって大成功して、娘の実力に感服したお父さんは指揮者引退、これがさよならマエストロってことよ。その後は娘がヴァイオリン兼指揮者として、小規模のオーケストラ、室内管弦楽団って言うんだけど、そういう風に活動してくんだよきっと。場所はなんかほら、ホール使えないんだっけ? 市役所の小さい部屋とかでやるんだよ、多分」
マジでドラマ見てないので適当言ってごめんなさいなんですが、当たったら西島秀俊さんと芦田愛菜ちゃんは僕のこと褒めてください!
Piano Concerto.1, 2, Violin Concerto: R.serkin, Stern, Ormandy
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ムローヴァ(ヴィクトリア) (アーティスト)
Schumann/Mendelssohn
Tchaikovsky So (アーティスト), Fedoseyev (アーティスト)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more