山田耕筰 月光に棹さして
ブログ開始から17年目に突入し、今回初めて曲を取り上げる作曲家、山田耕筰(1886-1965)。本当に今まで書いてこなかったが、滝廉太郎の「憾」について書いたときに少し登場しているし、2017年のイ・ムジチ合奏団来日公演の感想で赤とんぼについて触れている。
今回は、山田耕筰のピアノ独奏曲「月光に棹さして」を紹介しよう。1917年の作品。ドビュッシー最晩年の作品であるヴァイオリン・ソナタや、ラヴェルの「クープランの墓」、バルトークの「ルーマニア民俗舞曲」も近い年代の作品だ。
日本における西洋音楽普及のパイオニアである山田耕筰は、オペラやオーケストラから、室内楽、歌曲や童謡、校歌に社歌、幅広く多数の作品を残しており、ピアノ独奏曲も数十曲ある。
ピティナ・ピアノ曲事典には、春秋社の山田耕筰作品全集第4巻から引用したという、山田自身による初演時のプログラムノートが抜粋で書かれている。
「友と関西へ演奏旅行をした折、日没頃宮島へ向けて小舟を出しました。その夜は十五夜で、澄み切った満月が穏やかな水の上に美しうございました。両側に蒼く見える島々から聞える虫の歌声は淋しうございました」
月光に棹さしてというのは、宮島へ向かう小舟の情景のことだそうだ。それはそれは、さぞ美しかったことだろう。僕も小学生の頃と大学生の頃に広島を訪れたことがあり、2回とも宮島も訪問した。小学生の頃はお好み焼きの美味しさに、大学生の頃は牡蠣の美味しさに感激したけども、宮島ではさすが、日本三景はすごいなと感激したこともよく覚えている。多くの日本人が、月夜の宮島の風景を想像することができると思うけれども、せっかくなので版画家の土屋光逸(1870-1949)の作品、「夏の月 宮島」を記事冒頭に貼っておいた。音楽を聴く際に見て楽しんでもらえたら幸いだ。
曲名の「月光に棹さして」は、つきにさおさして、と読むそうだ。また“Canotage au Clair de lune”という訳も付している。敢えてフランス語なのはドビュッシーの“Clair de lune”を意識したのだろうか、わからないけど、音楽としてはフランス印象派のような雰囲気ではなく、同じフランスならフォーレのような柔和さを持ち、もっと言えばショパンの舟歌やノクターンを彷彿とさせる。ゆっくりと揺れ、動く舟の様子が、繰り返されるリズムで表される。水面の月光がときにチラチラと輝く。短くシンプルではあるが、意外と表現の幅もあって、奥行きのある良い小品だ。1917年、100年以上前の日本でこういう曲が作られていたと考えると、なかなか感慨深いものもある。
録音を紹介しよう。音楽学者の瀧井敬子さんが手がける「グラチア・アート・プロジェクト」の企画『ピアノ作品にみる「山田耕筰ルネサンス」』は、山田耕筰のピアノ作品全曲録音という素晴らしい試みで、ピアニストの佐野隆哉さんが録音している。2023年リリース。
ピアノ作品にみる「山田耕筰ルネサンス」
これよりも早く、イリーナ・ニキティーナというロシアのピアニストも山田耕筰全集を出している。こちらは1994年12月録音。
山田耕筰:ピアノ作品全集
イリーナ・ニキーティナ
ピティナのレーベル“PTNA Recordings”から、月をテーマにしたコンピレーションアルバムが2021年にデジタルリリースされており、そこにも入っている。演奏は黒川浩さん。山田耕筰作品としては「荒城の月」を主題とする変奏曲も収録。こちらも1917年の作だ。
月 Moon
金子一朗, 中川京子, 喜多宏丞, 安倍美穂, 山縣美季, 黒川浩 & 森本隼
2015年8月5日に京都芸術センターで行われた「山田耕筰没後50年・戦後70周年特別企画 ピアノコンサート ペトロフの見たニッポン―詩と音楽の時代―」というイベントで、河合珠江さんが弾いたと思われる録音がYouTubeにある。また長谷川芙佐子さん、杉浦菜々子さんの演奏もYouTubeにある。
宮島に行った際はもちろん、フェリーで行ったけれども、さっき調べたら「ろかい舟」という人力の小舟で遊覧することもできるようだ。さすがに今は、月夜に舟遊びするのは難しいだろうが、ちょっと雰囲気を味わうことならできそうだ。満月の夜に大鳥居を眺めることもできるかな? 今度訪れたときは見てみたいなあ。月光に棹さすことはかなわなくとも、鏡花水月は手が届かないから美しいもの。遠くから眺めていましょう。
Moon in the Water: Understanding Tanizaki, Kawabata and Mishima
Gwenn B. Petersen
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more