コラン ミサ・エスタンス・アッシス:耳に綺麗な旋律を、心に楽句の本質を

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コラン ミサ・エスタンス・アッシス

また魚のジャケットで選んだんだろうと言われたら、半分はそうなんだけども、半分は前回の小荘厳ミサ曲にひっかけて選んだというのもある。今回も小ミサ曲、それもロッシーニよりずっと古い、16世紀の作曲家ピエール・コランのものだ。ほとんど知っている人はいないだろうし、知っている人は十中八九、今回挙げているCDで初めて知ったに違いない。シモン・ギャロ指揮ラ・ノート・ブレーヴのアルバム“Trésor oublié de la Renaissance”、日本語では「ルネサンスの忘れられた宝」と題されたコランの宗教合唱曲集、2021年録音。フランスの作曲家でオルガン奏者だったコランの作品を研究し、こうして聴けるようにしてくれたことに感謝しよう。

詳しいことはわかっていない作曲家コラン、おそらく生涯のほとんどをブルゴーニュ地方のオータンで過ごしたと考えられている。オータンの教会の聖歌隊を指揮・指導し、多くのミサ曲、マニフィカト、モテット、詩篇を元にした典礼音楽を書いた。コランの作ったミサ曲は、ボローニャのサン・ペトロニオ聖堂や、トレヴィーゾ、トレド、さらにはグアテマラシティの教会でも写譜が見つかっており、16世紀のカトリック教会で相当な人気があったことがうかがえる。また、コランは自身の音楽を自費出版することにも熱心だったそうで、リヨンやパリで自作聖歌集とでも言うようなものを編纂して出版した。コランの生没年は不明だが、聖歌集は1554年に出版されている。その当時はこういうことを自分でする音楽家は多くなかったようだ。完全な形では残っていないが、志高い聖職者だったことは想像できる。


作風としては、イタリア後期ルネサンスの作曲家パレストリーナ(1525?-1594)に代表される、ルネサンス期の典型的なミサ曲のスタイル「パロディ・ミサ」が主で、要は世俗曲のメロディなどを用いたミサ曲である。パロディ・ミサ様式である「ミサ・アヴェ・グロリオーサ」という曲が先に挙げたCDに収録されているが、今回紹介したいのはパロディ・ミサとはまた異なる様式の音楽。「ミサ・エスタンス・アッシス」は、自作の聖歌「詩篇137」(Super flumina Babylonis)のメロディを用いて再構築したものであり、流行りの歌を使ったミサ曲よりもいっそう敬虔な態度であると言えるが、これもまた一筋縄ではいかない背景を持っている。少し解説しよう。

まずこの詩篇137「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた」というのは、バビロン捕囚の後、ユダヤ人たちがエルサレムを懐かしむという内容である。このラテン語テキストは多くの作曲家たちが歌にしており、16世紀ではパレストリーナやビクトリア、ゴンベール、もう少し後になるとシャルパンティエやドラランド、フォーレも学生時代に合唱曲を書いている。最も有名なのは、直接ではないもののヴェルディの歌劇「ナブッコ」の合唱曲「行け、我が想いよ」で、これは詩篇137が題材である。他にも多数あり、先に挙げた通りコランもラテン語テキストを用いて作曲、そのメロディを転用して「ミサ・エスタンス・アッシス」を書いた。


エスタンス・アッシスとは何か。「ミサ・エスタンス・アッシス」、原題は“Missa estans assis”、これはフランスのルネサンス期の詩人クレマン・マロ(1496-1544)による詩篇137の仏語訳から取っている。冒頭は“Estans assis aux rives aquatiques, De Babylon, plorions mélancholiques, Nous souvenant du païs de Syon”となり、そのはじめの2単語をタイトルに付けたミサ曲なのだ。

クレマン・マロ(1496-1544)。画像掲載元:Wikipedia


assisは「座る」だから良いけど、Estansは調べてもわからなかった。わかる人がいたらご教示願います。ワロン語由来だろうか。「エスタンス・アッシス」とラテン語っぽく読んでいるけど実際はどうかしら、HMVの商品ページでも日本語ではそう書かれているが、もしかすると発音が違うかもしれない。このマロによる詩篇の仏語訳は大きな影響力を持つようになり、ユグノー(フランスのカルヴァン派)たちの聖歌として盛んに歌われるようになる。1538年、ジュネーヴを追放されたカルヴァンはバーゼルを経てストラスブールへ赴き、そこで改革派たちが礼拝で詩篇聖歌を歌う様子を見て感動し、詩篇のフランス語訳を始める。1541年頃にマロの翻訳が出始めると、カルヴァンは自身の訳を全て破棄してしまうほどだったという。このマロ訳の詩篇は非常に高評価で、貴族たちも各々お気に入りの詩篇を歌い、これがフランスでの宗教改革を勢いづけたと言われるほどだ。マロが1544年に亡くなった後はプロテスタントの神学者テオドール・ド・ベーズによって翻訳が行われ、1562年に150篇の「ジュネーヴ詩篇歌」としてまとめられ、歌い継がれていく。
教会のミサでラテン語で歌うべきものだった聖歌を個人が母国語で歌うものにしようという改革と、カトリックの教会の聖歌隊を率いていた音楽家コランとは、立場的には反対のはずであるが、コランはマロ訳の詩篇をタイトルに付けてミサ曲を書いた。あくまでタイトルだけであって、この「ミサ・エスタンス・アッシス」の歌詞自体はキリエ、グロリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイという普通のラテン語典礼文のミサ曲である。別にコランがユグノーに寝返ったわけでもない。コランは次のように献辞を書いている。

「親愛なる読者よ、神の恵みにより、この古くて由緒あるオータン教会の良き領主たちの助けと好意を得て、私はここで聖書やその他の優れた書物に取り組む多くの優れた精神を発見した。彼らに倣って何かをしようと努力しなければ、私は自分の義務を立派に果たすことはできないと思った。それは神の栄光のためであり、善意を持つ全ての人々の利益と精神的再生のためでもある。この問題に対して、私は、神聖で王なる預言者ダビデの50篇の詩篇(クレマン・マロ訳)を、俗悪ではなく、私の力でできる限り楽器に適した音楽につけること以上に適切な解決策を一切見つけられなかった」

純粋な気持ちでマロ訳を称えるコラン。もう少し後になるとユグノー戦争も始まり、こんな寛容なことを言っている場合ではなくなってしまうだろうが、この頃はまだマロ訳の詩篇もユグノーの運動と結びついていなかったので、宗派を問わず優れた文芸に対して高く評価することができた。時代の産物である。と同時に、トリエント公会議(1545-63)で議論されたミサ曲のあり方に対する改革、例えばパロディ・ミサはやめなさいとか、長すぎるのではなく小ミサ曲のような形式にしたらどうかとか、そういう音楽的な面での対抗宗教改革の提案を先取りしたようなミサ曲でもある。
ということで、15分もない短い小ミサ曲、ぜひ気軽に聴いてみてほしい。クラシック音楽ファンの僕は「ルネサンスの音楽はバロックより凄いのだ、ギラギラして鋭くてエネルギーがあるのだ、この複雑怪奇なポリフォニー音楽こそがより豊かな音楽なのだ」のようなご意見も度々目にしてきて、僕も大体はまあその通りだと思うけれども、最近はこういう言い方が本当にルネサンス等の古楽を勧めるために発言しているのか、単にバッハやヴィヴァルディなど有名なバロックばかり目立つことに嫉妬し憤慨し逆恨みして言っているだけなのかわからないようなのもあって、なんだかなあという感じもしている。コランは「メロディーを小節に合わせて調整したため、誰もがフレーズの単語だけでなくフレーズ全体を聴き、耳はメロディアスな声に魅了され、同時に心はフレーズの本質を受け取れます」と語ったそうだ。これは明らかに複雑化しすぎる技法への批判と取れる。トリエント公会議の先取りなんて言ったが、こういう教会の音楽家がいたからこその公会議決定でもあるだろう。ぜひ、コランが大切にして気を配った、耳と心が受け取るものをこの曲で実感していただきたい。


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Author: funapee(Twitter)
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