チャイコフスキー ピアノ三重奏曲 イ短調 作品50「ある偉大な芸術家の思い出に」
僕はピアノ三重奏曲という編成の室内楽が大好きなので、色々聴くしブログでもしばしば取り上げているが、チャイコフスキーはこの「ピアノ、ヴァイオリン、チェロ」という組み合わせが好きではなかった。まあ結局、色々あって作曲することになるんだけども、絶対に書きたくないという旨をフォン・メック夫人に宛てた手紙で熱弁している。1880年、フォン・メック夫人はピアノ三重奏曲に熱中していた。フィレンツェの別荘でも様々なピアノ三重奏曲が演奏され、当時18歳のドビュッシーも招かれてピアノを弾いたそうだ。ドビュッシーはその年にピアノ三重奏曲を作曲している。フォン・メック夫人はチャイコフスキーに、なぜトリオを書かないのか、あなたのトリオが無くて毎日毎日悔やんでいますと書くと、チャイコフスキーは堰を切ったように手紙でピアノ三重奏について論ずるのである。長いので僕が超訳して書いておこう。ちゃんとしたの読みたい人は原文に当たってください。
「なぜ書かないかだって? ごめんなさい、貴女の願いを叶えたいけど私の力では無理です。聴覚的に、ピアノとヴァイオリンとチェロがソロで組み合わさるのは許容できません。音色が反発し合い、トリオのソナタを聴くのはシンプルに拷問です。生理的に無理。オーケストラとピアノとなるとまた別問題ですが、そこでも音色は合わない。ピアノはいわば、音塊に対して跳ね返る弾性のある音なので何とも調和しません。2つの等しい力、色彩豊かで強力なオーケストラと恐れを知らぬ小さき挑戦者が戦い、(才能があれば)打ち負かす。この戦いにも多くの魅力的な組み合わせが無限にありますが、ヴァイオリン、チェロ、ピアノという3つの楽器の不自然な組み合わせはどうか。3つのそれぞれの利点が失われます。弦楽の温もりある声は圧倒的利点、ピアノは負けじと歌えるのだと懸命に努力する。私の考えとしては、ピアノが使えるのは以下3つの場合。1つ目はソロ、2つ目はオケとの戦い、3つ目は伴奏つまり背景。トリオというものは、対等であり類似であることが前提ですが、独奏の弦楽器とピアノとの間にそんなものはありません。だからピアノ三重奏曲はいつも人工物みたいで、三者とも楽器の持つものではなく、作者が強いたものを奏でている。なぜなら、常にどう弾いたら良いかという問題に直面しながら奏でているから。私はベートーヴェンやシューマンやメンデルスゾーンのような作曲家の、その困難を克服する偉大な能力を評価していますし、優れたトリオがたくさんあるのも知っていますが、私はこの形式を愛していないため、何も書くことはできません。思い出すだけで不安になります」
これを書いた1880年は、あの名曲「弦楽セレナーデ」や大序曲「1812年」を作曲した年だ。それにしても、そんなに強く言わなくて良いだろってくらいピアノ三重奏にケチをつけているが、単に忙しくて言い訳で書いているのでもない、チャイコフスキーの信念あってこその言葉だと思われる。
実際にピアノと弦楽が組み合わさる室内楽曲は、学生時代に書いた作品を除くとヴァイオリンとピアノのための「なつかしい土地の思い出」しかない。これは手紙で触れているピアノの使用法の3番目、すなわち伴奏である。それだけ強く拒んでいたピアノ三重奏曲をなぜ書こうと思ったか、はっきりしたところはわからないけども、やっぱり何が嫌なのかを整理して明言したというのも、チャレンジするきっかけになったのかもしれない。そういうことって、別に芸術家でなくても、誰にでもあることではないだろうか。
1881年3月に作曲家のニコライ・ルビンシテインが亡くなり、チャイコフスキーも悲しみに暮れる。このピアノ三重奏曲に付された「ある偉大な芸術家の思い出に」というのは、ルビンシテインのことを指している。なお、チャイコフスキーには聖歌「聖金口イオアン聖体礼儀」という曲があり(2021年にブログで紹介している)、チャイコフスキーはこの聖歌をルビンシテインの葬儀で使いたいと思っていた。実際にそうしようという声も上がっていたそうだが、教会当局からは反対されて歌われることはなかった。そのこととピアノ三重奏曲の作曲とは直接関係ないと思うが、結果としてチャイコフスキーは、聖歌とは全く違った種類の音楽でルビンシテインを追悼することとなった。チャイコフスキーがピアノ三重奏曲を書いて以降、ロシアでは追悼音楽にピアノ三重奏曲を書くという不思議な伝統が生まれ、アレンスキー、ラフマニノフ、ショスタコーヴィチもそれに倣っている。後の作曲家たちがそうしたくなるほど、チャイコフスキーの作品の出来が良いということだ。
作曲しながらチャイコフスキーはフォン・メック夫人に、「驚かれるだろうけど、ピアノ三重奏曲を書いています」と報告している。書こうと思った動機は貴女を喜ばせたいから、困難に立ち向かうのだと、とも。そして完成後、チャイコフスキー本人はかなり気に入って、初演も信頼できる奏者たちに託している。ルビンシテインの一周忌に初演された。気に入ってたのと同時に、果たしてこれはピアノ三重奏曲に編曲した交響曲なのではないか、という自己批判も持ち合わせていた。
確かに、チャイコフスキーがそう危惧するのも不思議ではない。3つの楽器はかなりアンバランスで、ピアノが異様に難しく、ピアノだけ突出して目立つ時間も多いし、チェロはかき消されてしまう場面も多々ある。特に、古い録音を聴くとそう感じる。ピアニストは張り切り過ぎて常に全力で前に出ようとして少々やかましかったり、なんてことも。ヴァイオリンとチェロがユニゾンになるのも、あるいはチェロがピアノの低音をサポートしたりするのも、芸術的な意図というよりも、音量バランス的に仕方なく取った手段なのではないかとさえ思えてくる。それでもなお、多くの奏者たちや音楽好きたちに愛されているのは、この曲にはチャイコフスキー独特の魅力が溢れているからだ。それは普通の室内楽としてのソリスト同士の均整のとれたやり取りではなく、バランスを崩してでも全てを語り尽くしたいという、物語の持つエネルギーに他ならない。
50分近い大作で、2楽章構成。第2楽章の変奏曲は、最終変奏が長いので前後半に分けられると考えると実質3楽章のようなものだが、楽章で区切るというよりかは一本の線で繋がっているような印象だ。楽章ごとのコントラストのある構造物というより、様々なストーリーが集まって一つの長い物語を成すようである。1楽章は一応ソナタ形式、しかしあまり固いものではない。チェロの印象的な悲しいテーマを元に、それがどんどん発展していく。劇的だ。悲喜こもごもな音楽である。
第2楽章は主題と12の変奏曲からなる。この主題が極上の美しさを誇る。チャイコフスキーは民謡を元にして自作したそうだ。各々の変奏曲が、ルビンシテインとの思い出の日々を表していると言われる。初めの方の変奏はいたってオーソドックス。第4変奏で大きく雰囲気を変えると、第5変奏ではピアノがオルゴールのようなキラキラした変奏曲を奏で、第6変奏でワルツに。さすがチャイコフスキー、ワルツは圧巻である。コラールのようにピアノの和音が激しい第7変奏、そして第8変奏ではフーガに。なぜ突然フーガなのか全く謎だが、考えても仕方ないのだろう。第9変奏でテンポを落とすと、第10変奏ではマズルカ。それにしてもよく踊る追悼音楽である。その辺が実にスラヴ的、なんて言ったら専門家先生から叱られそうだけども、聖と俗の接近、ごく普通の生活と偉大なる芸術の間の壁の薄さというか。楽しい踊りと悲しい歌、軽快な舞曲と厳かな聖歌が隣り合わせにあることで、互いをより深め合い高め合うような、まさしく交わり響き合う「交響曲」的な様相を示す。これがチャイコフスキーの音楽の凄さであり、また本人が「ピアノ三重奏」を書くなどありえないと考え、書いた後にすら交響曲を編曲したようなものなのではと問う、それらの理由もわかるというものだ。
第11変奏で一旦締めくくり、最終変奏はまるでこれだけ単独の作品であるかのような大スケールで繰り広げられる。ドゥムカのような濃密な民族風の音楽。あふれんばかりの生命の律動を感じるやいなや、1楽章の主題に返り葬送音楽として終わりを告げる。ある芸術家の思い出を、あれやこれや何でも持ってきて、壮大に描いた音楽。ロシア文学とも通じるところがあるだろう。調和しないと言い切った音色を巧みに用いて、さながら人生を描き出したチャイコフスキーのオリジナリティあふれるピアノ三重奏曲。
TCHAIKOVSKY Piano Trio in A Minor Op. 50
Swiss Piano Trio
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more