もう1年経ったのか。早すぎる。この「牧歌、◯年末の喜びと感謝」は本ブログ恒例の年末ご挨拶記事である。ブログを読んでくださる皆様、Twitterを見てくださる皆様、いつもありがとうございます。昨年の牧歌のリンクも貼っておこうか。恒例……と言いつつテキトー人間なので抜けまくり、2008、2009、2010年と書いたあとは忘れてしまって、2021年に思い出して書いた。2022年にも書けたが2023年はまたしてもうっかり忘れ、2024年に書き、こうして無事2025年も書くことができた。これからは毎年書くぞ! 今年の田園の音盤はドラティにしました。先日Twitterの方で少し話題にしたので。上の画像のリンク先はLPではなくCDの全集です。
今年は諸々忙しくてブログがあまり書けないんじゃないかなと思っていたものの、結局、楽曲紹介記事は40記事くらい更新できた。それにプラスして他のテーマの記事もいくつか書いたので、案外そこそこ更新しているんだなあ。ただ、来年はさらに忙しくなりそうで本当にもうマジで憤懣やるかたなしなんですけど、それでも何とか、少しずつでいいからここに色々書き連ねていきたいと思っている。
クラシック音楽についての知識や情報も、検索したり質問したりすればAIが勝手に答えてくれる時代になってきた。なってきた、ではなく、なった、と言い切ってもいいのかしら? まったく、すごい時代だ。欲しい情報が載っているかどうかわからない個人のホームページをわざわざ参照する必要も減ってきているだろう。ある分野ではもう完全にAIの答えが人間を凌駕することもあろうが、残念ながらクラシック音楽に関してはAIが学習できる量がインターネット上では限界があり、そもそもそんなに需要がある話題でもないから先んじて開発しようとする人もいないし、まだまだかなって感じ。非デジタルな情報を学びまくったAIが登場すれば話は別だが、そこにたどり着くのはもっと先だろうね。たどり着かないかもしれない。だって金にならないから。やる人がいないよね、逆に金がかかるばっかりで。
それにしても、音楽や映像のクリエイティブな事柄における生成AIの技術は凄まじいものがある。もう僕にはわからん! 人間が作ったのかどうか判断できないレベルだよね。その辺のテクニカルなことは興味のある人にお任せすることにして、興味のない僕のような者はもう、確実に人が作ったとわかる時代のものをますます選ぶようになり、古いもの楽しむよりほかはない。きっと今後も、芸術の領域においてもAIが何かしら悍ましいほどのパラダイムシフトを起こしていくはずだが、さすがにちょっと、良い気はしないというか、興味持てないね、今のところ。人間が、もう少し正確に言うと「一人の個としての人間」が学べる範疇を遥かに超えたものを、個が何の畏れもなく我が物顔で扱うことに対する不信感はまだ拭えない。いや技術的には人類の叡智には違いないのだろうし、僕だって仕組みよくわかってない機器でこの文章を打っている訳だけども、単に「利便性」だけの話なら大いに結構だが、それを個の「創造性」だと認めろと言われると、僕には無理筋に思われる。もちろん、芸術の歴史をある程度学べば、新時代に対応できないと生き残っていけないということはよく理解できるのだけれど、ある時代というのは「これが新時代の芸術だ」と言い張る者と「そんなもの芸術じゃない」と言い張る者と両方がいて成り立っていたんだということもやはり理解できるので、僕は堂々と旧時代人として生成AIに反対の立場を取りたい。そもそも倫理的にもヤバいからね、勝手にパクってるし。あと子どもの頃から映画『ドラえもん のび太とブリキの迷宮』が好きだったから、その影響もあるかも。おお、怖い怖い。
ブログの話に戻すと、検索結果にAIが先に出てきちゃうのでブログのアクセス数はどうなるんだろうと思ったりもしたが、意外と減らない。というか微増している。まだAI君の興味のない分野なのと、結構ニッチな内容だからというのもあるだろうが、いや、やっぱりね、僕の人気があるからだよね! 面白いからだよね! ねー!
と、誰も褒めてくれないから自分で褒めている。うーん、嬉しくないな。皆さん、僕のこと、ブログのコメントとかTwitterのリプライとかで気軽に褒めて良いですからね、喜びますよ! なお家でも誰も僕のこと褒めないから自分で自分のことを褒めまくっている。ああ、仕事もして家でも一番遅くまで起きて家事も終わらせてパパはなんて偉いんだ、って。ブツブツ言いながら子どもたちの水筒洗っている。僕が小学生の頃は水筒なんて行事のときだけだったけど、今の子たちは毎日学校に持って行くんですよ。水筒洗うのってさ、面倒なんだよなあ!
褒めるほどのものではないとわかっているからこそ、こんなしょうもない個人の感想をダラダラ書くだけのブログ記事を読んでくださる皆様には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。でもまだね、AI君には僕のような文章は書けないでしょうから、このブログの読者諸氏には人工知能による完璧な答えとは程遠いところにいる不完全な人間の不真面目な面白さを今後も味わっていただきたいですね。AIだろうが何だろうが、どんなに知識や情報をインターネットで学んでも、僕のように(歪んだ)愛を持ち合わせることには到らないからね。そもそも、AIなんてどんだけ完璧な情報を与えてくれたとしても、まず聴いてすらいないですから。音楽を。バッハも、モーツァルトも、ベートーヴェンも。聴いてないんだもん、上辺だよ上辺、薄っぺらいのよ。そりゃあ大量に学習はしているかもしれないが、別にAI君は聴いて楽しんでいないからな。僕なんか日々楽しみまくりよ、まあいくら聴いても学習はしないんだけど……これじゃあどっちが上辺で薄っぺらいのやら。こんな冗談を言っていると、X年後には人工知能が学習ではなくてマジで楽しむためだけに鑑賞する時代が来るかもしれない。どうしよう(笑) まあまあまあ、まだセーフだ、AI君が僕と同じ土俵に乗るにはほら、アイカツ見てもらわないと、そうでないと話にならない。え、アイカツもクラシックも楽しむって? そしたらもうAI君さあ、ちょっとコーヒーでも飲みながら話そうよ。え、君、コーヒー飲めないの? せっかく良いカップで出してあげようと思ったのに。
このブログはこれからも読者がいる限り書き続けるつもりでいる。たとえ記事へのアクセスがAIのクローラーだけになったとしても、僕は最初にして最後の読者である自分がいる限り書くのかもしれない。飽きて突然やめるかもしれないけど、AI時代になっていけばいくほど、妙な対抗心が出てきているのも事実なのだ。集合知に対してどこまで個が張り合えるのか。普通は張り合えないが、たまたま張り合えそうに思えるジャンルに、自分は片足突っ込んでいるんだという自覚がある。シンプルに、自分の愛するものをAIに奪われたくないという思い。そう、円環の理からまどかを取り返す、これは叛逆の物語。
私のソウルジェムを濁らせたのは、最早『呪い』でさえなかった……あなたには理解出来る筈もないわね。インキュベーター。これこそが、人間の感情の極み。希望よりも熱く、絶望よりも深いモノ……愛よ。
「叛逆の物語」の正統なる続編、劇場版「魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉」、2026年2月公開! さあ、物語をつづけましょう。
Author: funapee(Twitter)都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more





