アッテルベリ チェロ協奏曲:北の果て、魂の眠る地

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アッテルベリ チェロ協奏曲 ハ短調 作品21

先日は東京都美術館で開催されている「東京都美術館開館100周年記念スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」展を見てきた。素晴らしい作品が多く、とても興味深い内容で大満足。Twitterでも書いた通り、このアッテルベリのチェロ協奏曲とホルン協奏曲を収録したCPOレーベルのCDのジャケットに使われているカール・ノードシュトゥルムの『テューン島のホーガ盆地』の実物を見れた感激も大きい。撮影可の作品だったので撮ってみたが、なかなか写真では実物の色合いが出なくて悔しい。もっときれいですよ!

カール・ノードシュトゥルムの『テューン島のホーガ盆地』

このブログでクルト・アッテルベリ(1887-1974)の作品を取り上げるのはこれが3回めとなる。知名度の割には結構取り上げている方で、理由はシンプル、僕はアッテルベリが好きだから。ただ好きだからというより、好きになった時期が早かったので沢山聴いてきているから、と言った方がより正確かな。2013年に交響詩「川」、2024年に弦楽四重奏曲第3番、そして今回のチェロ協奏曲と、奇しくも3つともCPOレーベルになってしまった。もちろん他レーベルの録音も多いし、Chandosのネーメ・ヤルヴィ指揮による交響曲集も有名で素晴らしい演奏だが、それでも僕はCPOのアリ・ラシライネン指揮による演奏の方がより好みである。
この機会にCPOのアッテルベリ盤ジャケットに用いられている絵画の作者を調べてみた。アッテルベリはスウェーデンのイェーテボリに生まれ、ストックホルムを中心に活躍したスウェーデン音楽界の重要人物である。当然スウェーデン絵画が多いのかなと思っていたら、実はCPO盤の多くはハラルド・ソールベリ(1869-1935)というノルウェーの画家の絵だった。ちょっとがっかり。↓の交響詩「川」の絵もそうだ。Viksfjordというフィヨルドだそう。川じゃなくて海なのかよ。スカゲラク海峡に面したフィヨルドで、かなりスウェーデン寄りに位置する。ギリギリセーフにしておこう。弦楽四重奏曲の方のジャケ絵は有名なスウェーデンの画家、カール・ラーション(1853-1919)のもの。東京都美術館のスウェーデン絵画展にもラーション作品は目玉として展示されていた。

さて、素晴らしい絵画を堪能したので、このCDでブログを書くのは必然……と思いつつ、実はちょっとためらいもある。よりによってこれか、という(笑) チェロ協奏曲もホルン協奏曲もちょっと変わった曲だったよなという印象だったので、展覧会後に久しぶりに聴き直した。ホルン協奏曲は、管楽器の協奏曲というだけでレパートリーを求める奏者が多いためこれ以外にも録音が多くあり、また独奏ホルンに弦楽とピアノと打楽器という変わった編成なのもあってなかなか面白い。終楽章のシンバルなどちょっとジャズっぽい。アッテルベリはStockholms-Tidningen紙で長く音楽評論家として寄稿しており、ジャズの評なんかも書いていたそうだ。
チェロ協奏曲はさほど録音の数が多いとは言えない。いわゆるロマン派の大作協奏曲で、30~40分の演奏時間。ドヴォルザークエルガーの協奏曲を選ばずに敢えてこれを選ぶ奏者は少ないだろう、それ以外にも魅力的なレパートリーが豊富にあるジャンルだし。アッテルベリのチェロ協奏曲自体は非常に良い作品だと思うが、万人受けはしないだろうなとも思う。だからこそ、このブログではそういう方を選んで書きたくなるのである。僕は管楽器が大好きなのでホルン協奏曲も良いのだけど、今の気分はホルン協奏曲よりもスケールの大きなチェロ協奏曲なのだ。そう、このジャケットの絵画の空のよう、青空に浮かぶ大きな白い雲のように!


単一楽章の協奏曲で、大きく4部に分かれている。Andante cantabileとAllegroが1楽章、そしてAdagioから2楽章、再びAllegroで3楽章の伝統的な構成の枠内であると言えなくもない。どう取るかは人それぞれかもしれないけど、個人的には、協奏曲の伝統も意識しながら大きな一つの交響詩を構成しているというイメージ。
とにかく一聴してわかる、圧倒的なメロディの美しさ。どの楽章もそうだ。美しいメロディを作ることにかけては本当にずば抜けた才のある人物だったとわかる。チェロ奏者でもあったアッテルベリは、1923年の初演(於ベルリン、ベルリン・フィルの演奏)では指揮を務めたが、ストックホルム初演時には自らチェロ独奏を務めている。なおその際は1箇所しか間違えなかったと自画自賛(?)もしている。
曲の初めからそのスケールの大きさを感じる。ただ初めて聴いたときはあまり良い印象ではなく、聴き進めていてそれこそ誇大、冗長な感じがすると思ったはずだ。いったいこのスケール感は何なのだろう。例えばシューマンがシューベルトのグレートを冗長と言ったのは理由もわかるけれど、それとはまた少し違うニュアンスの「良くも悪くも冗長」なところがある。なんと言おうか……メロディは美しいのだけど、どこか無機的で、空っぽで、空疎とまで言うと違うが、空っぽであることによって大きく見えるような感覚である。僕の表現が悪いせいでディスっているみたいだが、悪意があって言うのではない。張りぼて、ハッタリと言うのも違うし。言葉で伝えるのって難しいなあ。まあ「空間的な広さ、大きさ」を感じる音楽だと言ってもいい。主題が有機的に絡み合ったり、展開していくことがあればそれは空間を埋めるだろうが、ここではそうではなく、非の打ち所がない美しいメロディたちが、単独でどんどん湧き出てくるだけである。それがつまらないと思うときもあるが、今の僕には心地よく感じる。この感覚は、スウェーデン絵画展を見た感想と近いものがある。北欧に行ったことはないけど、やはり独特の空気というものは音楽にも絵画にも共通して現れるのかもしれない。

もっとぶっちゃけて言うと「なぜこのような音楽性の協奏曲で、こんなに長大な必要があるのか?」という感想を持った、ということである。初演時のチェロ独奏を務めたハンス・ボッタームント(1926年からベルリン・フィルの首席を務めることになる奏者でもある)は、アッテルベリが不快に思うほど長い自作カデンツァを用意して初演に臨み、初演そのものは概ね好評だったがやはり長いと書かれたそうだ。確かにこの曲に長いカデンツァを足されたら蛇足も蛇足だろう。
音楽評論的に言うなら「ポリフォニックでない」と指摘するのが正しいのかもしれない。ピアノ伴奏のチェロ・ソナタならいざ知らず、これは大管弦楽編成であり、であればなおのことポリフォニックな要素は作品の説得力に繋がる。そうでもなしに、この空っぽの雰囲気であればもっとスパッと短く終わらせたら良いのに、なんてね。ただ、聴き直していて思ったのだ、この絵を見たばかりの僕にとって、そう、スウェーデンの島の風景を描いた絵を見て、大地と空を見て、思ったのだ、本当に心から、この曲はこれで良いのだ、これだから良いのだ、と。いくら伝統的な協奏曲とはえ、主題の複雑な重なりや発展など、長い帯のように広がる自然の色彩には似つかわしくないだろう。むしろ聴き手を圧倒する、理由のわからないほどの長大さ、人智を超えた誇大さ、冗長さがあってしかるべきだろう、と。


別に自然描写的な音楽だと主張するつもりはなく、ただこの音楽全体の雰囲気の話をしただけである。確かにCPOのシュナイダーとラシライネン指揮NDRの演奏は他の演奏と比べて情景的な方ではあるが、僕はジャケットの絵に引っ張られ過ぎるきらいもあると自覚している。このスケール感、何となく大河ドラマのオープニングみたいだなと思ったり。厳しくも美しい広大な北欧の地を彷徨い、ついにたどり着いた北の果て、そこは魂の眠る地。セロ弾きはその地で懐かしい人たちの魂と対話するという幻想……これだって今見てるアニメに引っ張られ過ぎな解釈だけども。交響詩的とまでは言い難いが、叙事詩的な雰囲気も持ち合わせている音楽と言って良いだろう。
特にAdagioは白眉だ。アッテルベリの真骨頂である、哀愁のメロディを噛み締めるように歌うチェロ。全体の雰囲気からは外世界の広大さを感じられるのと同時に、ここには人間の内的な世界における無限の深さもあると感じる。鎮魂と嘆きの歌のように始まり、徐々に高まっていく音楽。全体を通しても比較的掛け合いが少ない分、この実質緩徐楽章はチェロと管楽器との重なりも実に魅力的だ。懐かしい友の魂と穏やかに緩やかに会話するかのよう。特にホルンのメロディと重なる場面、ここはひときわ美しい。ソロの高音も絶妙である、信じがたいほどに繊細な瞬間。きっと生演奏で聴いたら鎮魂どころか、此方の魂が彼方に行ってしまいそうになるのだろう。
Allegroでいかにも終楽章フィナーレ的なムードを醸したかと思うと、そうはならない、即座にチェロの長い独白へ突入する。伝統的な3楽章と捉えると不自然な構成に思うが、そうではないのだからそれでいいのだ。バランス良く最後に総括をするような曲ではない。まだまだ終わりたくないのです、語りたいことがたくさんあるのですと、独白が終わってもオケが加わっても、チェロは雄弁で自由にひたすら歌い続ける。何を歌っているのか、怒りか悔しさか、哀悼か。最後の方には苦しみを乗り越えて未来を向くような凱歌らしきものも歌われるが、それもかりそめ。数々の場面や感情の片鱗が少しずつ見え隠れするようではあるものの、本当のところはよくわからない。多くを語っている音楽だと思うし、同時に、逆に意味を見出そうとするのは間違いなのかなとも思うような、喧しくもあり静かでもある音楽。空白なようで満ちているようで、やっぱり空白で……この曲の終わり方の不可思議さもそう。やはり変な曲だなあ。そして、その変なところがたまらなく愛しい。きれいにまとまっているようで、まとまっていないようで、いや、これも一つの完全性であり、ある意味では極致なのかもしれないな、なんて飛躍的思考すら出てきてしまう。
聴けば聴くほど味が出る、面白い曲だと思う。オーケストラの響きとしてはシベリウスの管弦楽作品にも近いものがあるし、どことなくコルンゴルトの協奏曲のような趣きもある。それらが好きな人はぜひ、この曲も聴いてほしい。

ATTERBERG CELLO CONCERTO
BRAHMS/ATTERBERG STRING SEXTET in G MAJOR
TRULS MØRK
The Symphony Orchestra of NorrlandsOperan KRISTJAN JÄRVI

Kart Magnus Atterberg
Cello Concerto/Cellokonzert Op.21
Cello Sonata Op.27
Werner Thomas-Mifune, Cello
Runfunk-Sinfonieorchester Berlin, Karl Anton Rickenbacher


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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