ロッシーニ 小荘厳ミサ曲:まじめにふまじめかいけつサクレ

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ロッシーニ 小荘厳ミサ曲

ジョアキーノ・ロッシーニ(1792-1868)は歌劇「ウィリアム・テル」を作曲すると、それを最後にオペラ界から引退する。37歳の若さである。その後はレストランを経営するなど大好きな「食」の世界に没頭。それでも時々、自宅サロンで披露する用に小品を作曲しており、特に晩年(1857-68)に作曲したプライベートな小品集を「老年の過ち」と名付け、声楽や合唱、室内楽、100曲以上のピアノ曲を計13巻にまとめている。オペラこそがロッシーニの本領であるが、こういう小品をリラックスしながら鑑賞するのもまた楽しいものだ。
ロッシーニが「私の最後の老年の過ち」とスコアの表紙に記したのが、今回取り上げる「小荘厳ミサ曲」である。1863年の作曲で、実際には小品集「老年の過ち」の最後の作品には該当しないようだが、他の小品と同様、こちらのミサ曲も「小」と付くだけあってプライベートで小さい編成の音楽だ。4人のソリストと12人の合唱、2台のピアノ、ハーモニウムという編成。曲の長さは全く持って「小」ではなく1時間を超える大作で、後にロッシーニ自身が管弦楽伴奏版に編曲している。元の小さい編成の方も、管弦楽伴奏版の方も、どちらも録音は多数ある。また日本でもアマチュア合唱団が演奏会で取り上げることもあるようだ。


人気の曲なのでインターネット各所に歌詞(典礼文)や和訳、解説があり、その中でも某愛好家のサイトのものが非常に詳しく日本語で書かれていたのでそちらを紹介しようと思ったら、リンク禁止と書かれていた。残念。今どきリンク禁止かよ!と、古いインターネット時代の片鱗を見た気持ちになってちょっとだけ嬉しくもあるけど。まあ、検索すればすぐに見つかるでしょう。その某サイトでも引用されいるロッシーニの言葉で、そしておそらくはそのサイトを参考にして他の紹介文でも引用されているのが、↓のロッシーニが楽譜に付したという文章である。

神よ、これは老人の最後の大罪です。ここに貧しい小さなミサ曲を書き終えました。私は聖なる音楽を書いたのか、呪わしい音楽を書いたのでしょうか。(略) ほんの小さな作品ですが、ほんの少し心を込めました。私を祝福して下さい。そうすればあこがれの天国に行けます。それで満足です。

これが何の本や解説を元にした訳文なのか不明であるが、「これは老人の最後の大罪です」というのは僕も最初に書いた通りスコアの表紙の文言から抜粋したもので、残りの部分はスコアの最後に記された文言の抜粋である。2枚の画像を貼っておこう。

スコア表紙の文言
スコア最後の文言


スコアの最後の文言の中でも、«Est-ce bien de la musique Sacrée que je viens de faire ou de la Sacrée musique ?»は訳し難い部分だ。上記の日本語訳では「私は聖なる音楽を書いたのか、呪わしい音楽を書いたのでしょうか」としている。Sacréeという言葉は名詞の前に付くか後ろに付くかで意味が変わるので、前半のla musique Sacréeは「聖なる音楽」(いわゆる宗教音楽のこと)であり、後半のla Sacrée musiqueは「ヤバい音楽」(良い意味でも悪い意味でも、とんでもないということ)という、言葉遊びである。こんなところでもユーモアのセンスが炸裂している。
実際にこの小荘厳ミサ曲を聴いてもらえればわかるが、音楽も非常にユーモラスであり、およそ宗教音楽らしくない部分も多々ある。スコア最後の文言の中でも、ロッシーニは神への言い訳のように「私はオペラ・ブッファのために生まれました、それはよくご存知でしょう」と書いている。テノール独唱によるグローリアのDomine Deusの部分など、ピアノ伴奏もぴょこぴょこ跳ねるし、伸びやかに楽しげに歌われるニ長調のメロディはまるでオペラ・アリアのようだ。これぞロッシーニ節。ソプラノ独唱のCrucifixusなども、十字架にかけられる場面だというのに、なんとも言えぬポップさが感じられる。逆に凄い。
今挙げた箇所だけではなく、常に聖と俗を行き来するような音楽である。時代を先取りしているとも言える。僕はこういう「真面目なフリした不真面目」とか「不真面目なフリした真面目」が大好きだし、とても共感できる。畏まるタイミングにどうしてもふざけたい、みたいなね。でもこういう人は絶対に、性根のところは、心の奥底から音楽を愛しているのだと僕にはわかる。なぜなら、他ならぬ僕自身がそうだからだ! あ、これ別にふざけてないですからね……。ロッシーニだって、終始ふざけてふざけてふざけ倒そうとしているわけではないのは一目瞭然。特にクレドとサンクトゥスの間の宗教的前奏曲を聴いてもらえれば納得だろう。
合唱という観点なら、言うなれば悪ノリしたハイドンであり、プーランクの先取りである。そういう曲に「荘厳」と付けてしまうロッシーニはさすがだ。それでも、最後のアニュス・デイではdona nobis pacemと歌うメロディなど、ベートーヴェンの荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)の最後の最後のdona nobis pacemのメロディに似ていると感じてしまう。ロッシーニがベートーヴェンを引用したと明確には言えないだろうが、そういうことができてしまうあたり、この人の音楽は本当にSacréeなのだということだ。


ロッシーニの逸話の一つに、ワーグナーの楽譜を逆さまに置いてピアノで弾いて「こんなにも素晴らしいとは思わなかった……」と語り、楽譜が逆ですよと指摘されると「いやさっき反対に置いたら余計ダメだった」と答えたというものがある。ふざけている。好きだなあ。あ、ワーグナーを批判しているから好きって訳ではないよ(笑) ワーグナーは1860年、各地を訪問した際にパリでロッシーニの元も訪れている。短い訪問だったが様々な音楽談義をしてロッシーニの元から離れたとき、二人の間を取り持った作曲家ミショットにワーグナーはこう語った。

「ロッシーニが徹底した音楽教育を受けていたなら、そして何よりも、イタリア人らしくなく、懐疑的でなく、自分の芸術の神聖さを内に感じていたなら、どんな作品を生み出せなかっただろう……私はこう言わねばならない。私がパリで会った音楽家たち(オーベール、アレヴィ、トマ、グノーら)の中で、真に偉大なのは彼だけだ」

つまりロッシーニは正規の音楽教育を受けていなくて(これは事実)、ワーグナーいわくイタリア人らしくて疑い深くて、自分の芸術の神聖さを内に感じていない、それがロッシーニだということになる。ワーグナーに作品を称賛された際もロッシーニは「私のオペラはハイドンやモーツァルトに比べたら気の抜けたビールみたいなものです」と答えている。確かに自分の芸術の神聖さを感じてなさそうな答えだ。しかし、実際はどうだっただろう。ぜひロッシーニのオペラに加えて、彼のSacréeな音楽も聴いてみていただきたい。

ワーグナーとロッシーニ 巨星同士の談話録: 1860年3月の会見
エドモン・ミショット (著), グザヴィエ・ラカヴァルリ (解説), 岸 純信 (監修, 翻訳)

Rossini: Petite Messe Solenelle
Antonio Pappano


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