最も崇高なものこそ、最も身近なもの――リヒテルの弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタについて、第31番を中心に

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(記事作成日:2025年11月19日)


リヒテルについてのエッセイを書くのはここ数年の僕のライフワークの一つのようになっていて、2020年にムーティとの話、2021年にインタビュー本、2024年には名盤紹介記事でシューベルトの「さすらい人幻想曲」の話と、オーマンディとの話をブログに書いている。別に毎年必ず何か書こうと思っているのではないが、今年はせっかくリヒテルの未発表ライブとしてドイツ・グラモフォンから新リリースがあったので、それに関連するような内容の話を書いておきたいと思ったのだ。


Twitterの方でも触れている通り、リヒテルは1964年9月にベートーヴェンのソナタ集プログラムでカナダ公演を行うと、それから1年近く各地でベートーヴェンを弾きまくっている。だからDGでリリースされたソナタ第18, 27, 28番の1965年9月2日ルツェルンLiveというのは、本当にリヒテルの全盛期でもあり、かつ1年近く弾き続けてきた熟達もあり、最高の演奏になる条件が揃っているのだ。なお9月2日のルツェルン公演では31番も演目にあったはずだが、ここで31番だけ6月29日トゥールLiveを入れてくるということはルツェルンでの録音は見つかっていないのだろう。


もちろん、1964年9月以前にリヒテルがベートーヴェンのこれらのソナタを弾くことはあったわけだけども、例えば第18番なら1960年以来のプログラム採用だし、そもそも1964年は9月までベートーヴェン自体をほとんど弾いてこなかった。1963年の秋冬には、後期三大ソナタ(第30, 31, 32番)をしきりに取り上げていた反面、年が明けるとすっぱり切り替えて、1964年はシューベルトとブラームス、そしてメンデルスゾーンがプログラムの中心になる。1964年6月のトゥール(というかグランジュ・ドゥ・メレ)ではプロコフィエフ、スクリャービン、ラヴェルを弾くソロコンサートと、バルシャイと共にバッハの協奏曲第5番のコンサートだし、1964年9月5日のルツェルン音楽祭ではメンデルスゾーン、ブラームス、ドビュッシー、ラヴェルを弾いている(余談だが翌日にはベーム指揮ウィーン・フィルがブルックナーの7番を演奏している↓)。9月21日のモントリオール公演からベートーヴェンのソナタ17, 18番をプログラミング。10月5日のモントリオール公演では18番に加え31番も登場、12月のモスクワで27番、さらに年が明けて1965年1月に28番を入れている。

Hindemith : Concerto for Woodwinds, Harp and Orchestra & Bruckner : Symphony No.7 / Vienna Philharmonic & Karl Bohm


なぜ1964年9月からベートーヴェンを弾き出したのか、はっきりした理由は語られていない。あくまで僕の予想だが、おそらく師ネイガウスが関係していると思われる。ネイガウスは1964年10月10日に亡くなっており、そのときリヒテルはカナダツアー中であるが、もしかすると師の死期が近い話が耳に入っていて、ベートーヴェンを再び取り上げなければならないと感じ始めたのかもしれない。DGのリヒテル未発表ライブ盤のブックレットにも掲載されているリヒテルの言葉を引用しよう。元はモンサンジョンがソースである。

私が心から弾きたくなかった唯一の作品がベートーヴェンのピアノ・ソナタ変イ長調Op.110です。これは音楽院1年生の時にネイガウスから練習曲として与えられたものです。彼は私に、この曲を無視してはいけない、多くの教訓を見つけるだろうと言いました。しかし私は学びたくありませんでした。最後のフーガをアリオーソで構成するのは、私にはほとんど過度に真正、ほとんど下品、ほとんど悪趣味に思えたからです。また、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲を弾く気にもなれませんでした。22曲弾けば十分です。それ以来ピアノ・ソナタOp.110をかなり頻繁に弾いているのは比較的弾きやすいからです。ネイガウスのクラスに来たばかりの頃に弾いたOp.101のソナタとは比べものになりません。この作品は恐ろしく難しく、Op.111よりも難しく、ハンマークラヴィーアよりもさらに難しい。とは言えこのような主張は多くの人には異端に聞こえるでしょうが。

しかしOp.110のソナタを通して、ネイガウスが私に歌うような音色、私がずっと夢見てきた音色を身に付けさせてくれたのは事実です。おそらくその音色は既に私の中にあったのでしょうが、彼は私の手を緩め、肩を開くように教えることで、それを解放してくれました。歌劇場でコレペティトゥールとして過ごした時間の遺物である騒々しい音色を彼は取り除いてくれました。


ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番Op.110はリヒテルにとってネイガウスとの繋がりが大きい作品なのだ。先述した10月5日のモントリオール公演から第31番を弾き始めたのも、全くの偶然とは考え難い。何しろネイガウスの亡くなる5日前である。


先述の通り、1963年12月10日と12日、リヒテルはモスクワ音楽院でベートーヴェンの後期三大ソナタの演奏会を行った。ネイガウスもその演奏会を聴きにきていて、いくつか演奏評を書いている。まずは12月15日のイズベスチヤ紙に載せた演奏会レポートを引用しよう。

最も崇高なものこそ、最も身近なもの

12月10日と12日、スヴャトスラフ・リヒテルはモスクワ音楽院大ホールでベートーヴェンの最後の3つのソナタ、第30番、第31番、第32番を演奏した。彼は最近このプログラムをイタリア、スイス、フランス、ドイツ、チェコスロバキアの20都市で演奏し、母国ではカリーニングラードとリガで演奏した。日曜日にはオリョールで演奏する。

こうして我々にとって忘れられない祝典となったこれらのコンサートには、数万人もの観客が詰めかけ、コンサートホールは満員となった。

これらの最後のソナタが創作されてから我々と隔てられた約1世紀半の歳月は、歴史の一瞬の時間に凝縮されている。我々の昨日ではなく、今日なのである! これは言わねばならぬことだと考える。なぜならば、例えばある現代の物書きはベートーヴェンに「型通りのメロディーと定型的な和声、しかも定型的な形式」しか見出せず、また別の物書きは傲慢にもショパンを「タイプライター」と呼んだからである。しかしショパンとベートーヴェンは生きている。リヒテルのコンサートで改めてそれを目の当たりにした(初日のコンサートではショパンのエチュードとノクターンをアンコールで演奏した)。

このリヒテルとはあまりにも有名で、彼について語るのは非常に難しい。ただ一つ言えるのは、ベートーヴェンの壮大な三大ソナタ(作品109、110、111)のより優れた解釈者を見つけるのは、不可能ではないにしても難しいと私は思う、ということだ。それに私はかなり年老いていて、亡くなったピアニストも存命のピアニストも、あらゆる有名なピアニストの演奏を聴いてきた。孤独で、全く耳が聞こえなかった偉大な作曲家であり思想家であった彼の高尚さと深遠さは、聴衆に直接伝わり、誰もが彼の音色と思考に惹きつけられた。注目すべきは、リヒテルは、例えば才能溢れるピアニスト、アルトゥール・シュナーベルのように、ベートーヴェン後期作品の「難解さ」を少しでも払拭し、より聴きやすくし、「大衆化」しようとはしなかったということだ。

崇高で、稀有で、「難解」であり、聴き手に一定の努力と労力を要求するものを、より「聴きやすく」「理解しやすい」ものにしたいという欲求――この欲求は、それ自体は確かに価値があり、尊いものかもしれないが、リヒテルには無縁である。なぜならそれは偉大な芸術家ではなく文化活動家の特徴だからである。リヒテルは最も完全に言葉通り、かつ最も深い意味での芸術家なのである。彼は聴き手に多くのことを要求するだけでなく、彼らを深く信頼している。聴き手は崇高な思考と純粋な感情を抱くことができると信じており、それを隠したり、別の名前で呼んだりすることに意味はない。リヒテルがどんな聴衆からも比類のない成功を収めているのは、まさにこの、時には肉眼では見えない人間の魂の最良の側面への信頼に根ざしているからだと、そのように私には思える。幾つか例を挙げる。

何年も前のことだが、ある日曜日、彼はホールでベートーヴェンのプログラムを演奏していた。その中には、非常に難解な「ディアベリのワルツによる33の変奏曲」Op.120が含まれていた。警官とその友人が私の近くに座っていた。彼らは次第に熱く盛り上がり、最後には熱狂的な拍手喝采を送り、アンコールを要求していた。彼らの会話から、彼らがそれまでリヒテルのピアノを聴いたことがなく「日曜日に何か面白いことがある」と知ってホールに来ただけだったことがわかった。またあるベテラン従業員はリヒテルのコンサートの後、嬉しそうにこう言った。「私にはピャトニツキー合唱団しか理解できないと思っていましたが、実は全て理解できるんです。私にも本当に音楽の素質があったんです!」と。リヒテルの最後のコンサートで共に座った指揮者のクルト・ザンデルリング(東ドイツからツアーで来訪したザンデルリングは現在モスクワで成功を収めている)は、リヒテルがベートーヴェンのウィーン・ソナタを演奏した後、これほどの成功と熱狂はライプツィヒで見たことがないと言っていた。ライプツィヒほどベートーヴェンをよく知る街は他にどこがあるだろうか!

私がこんなことを言うのは、明白な事実に喜びを隠し切れないからだ。最も崇高で、最も美しく、最も稀有なものこそ、まさに最も必要で、最も身近で、最も効果的で、最も力強いものなのだ! リヒテルのコンサートの後は、心が浄化されるような気分になるのだ。

リヒテルの卓越した技量や演奏能力についてここで語るのは、おそらく不要だろう。それは広大な主題であり綿密な研究と深い分析が必要になる。ただ一つだけ言わせてほしい。リヒテルが様々な作曲家の作品を演奏するとき、私はいつも、異なるピアノ、異なる音、異なる技法、異なる「表現」だけでなく、異なるピアニストを聴いているように感じるのだ。毎回、ピアニストが違うのである! これは卓越性の頂点であるだけでなく、創造的客観性の最高の表現であり、演奏家の最大の目標である作曲家への忠実さの実現でもある。


これは演奏会の直後の記事だが、もう少し時間を置いて、ネイガウスは雑誌『ソビエト音楽』1964年3月号にも演奏会評を載せている。長いので全て載せるのはよしておくが、ソナタ第31番Op.110に関する記述だけ抜粋して引用しよう。

リヒテルは、まだ私の「弟子」(誰に師事したか定かではないが公式には私の弟子と記録されている)だった頃、ピアノ・ソナタ 変イ長調 作品110(最後から2番目の作品)を演奏した。その後、彼はこの曲をコンサートで何度か演奏した。偉大なピアニストの解釈によって、同じ曲がどのように変化していくのかを辿るのは、実に興味深いことだ。それは、彼の「成長」と「発展」、そして時の法則に従って人生と魂に起こる変化を反映している。

リヒテルは学生時代、このソナタ(Op.110)を、すでに述べたように優れた音楽家として、プロコフィエフやリヒャルト・シュトラウスのような偉大な作曲家が演奏するのと同じように演奏したが、ソフロニツキーの演奏が非常に豊かだったり(そして私たちにとって非常に印象深い!)、遠い昔のパデレフスキの演奏(私は14歳のときに一度だけ彼の演奏を聴いた)のような、独特の演奏の魅力はなかった。

後のリヒテルの演奏では、あらゆる色彩が輝き、深みを増し、彫刻や絵画のようだった。Arioso dolenteは鋭く哀愁を帯び、ほとんど雄弁なまでに強調される。しかしコンセプトの完全性と演奏の形式的な完成度は常に揺るぎないものだった。リヒテルが48歳になった今でもそれらは変わらない。響きはさらに洗練され、テンポとダイナミクスの対比はさらに大きく、Arioso dolenteは(ベートーヴェンの指示Adagio, ma non troppoにもかかわらず)極めてゆっくりと演奏される。おそらく、これほどゆっくりと、そして説得力を持って演奏できるのはリヒテルだけだろう。そして全体としてより「難解」でより「近づきがたい」ものとなり、まるでソナタを海抜数百メートルの高さに持ち上げているかのようだ。

リヒテルの演奏の中で、このソナタが一番苦手だという聴衆もいた。少し前にモスクワでアニー・フィッシャーという素晴らしいハンガリーのピアニストが演奏していたが、残念ながら彼女はリヒテルの演奏を聴くことはできなかった。あるピアノ教師は、このソナタはフィッシャーの方が好きだと言っていた。おそらく多くの人が同じ意見だろう。私はフィッシャーを高く評価しており、彼女はリヒテルよりもソナタを素朴に、より人間的に、より分かりやすく演奏したと思う。「山の頂」に登る必要などない。結局のところ「静かな谷」の方がずっと心地良いのだから(アニー・フィッシャーのことを少しばかりも非難していると思わないでほしい。私は「静かな谷」も「山の頂」も同じように愛している)。

アルトゥール・シュナーベルやアニー・フィッシャーを引き合いに出してリヒテルのベートーヴェンについて語るネイガウス。アニー・フィッシャーのコンサート履歴を見てもその頃にモスクワで演奏した記録は見つからないが、きっと小さい演奏会か何かがあったのだろう。ともあれネイガウスは、1963年12月のリヒテルのベートーヴェン演奏を称賛しているのは事実である。そうした事実と、ベートーヴェンを通して自身の音色を磨かせてくれた恩師ネイガウスの死とが、リヒテルに再びベートーヴェンのソナタを取り上げさせたと考えるのは、そう不自然なことではないだろう。
ネイガウスの死の直後、リヒテルは次のようなコメントを残している。ソースはErnst Zaltsbergの“Great Russian Musicians: From Rubinstein to Richter”という著作。

私は偶然、彼の生徒になりました。しかしながら、彼は教師だけでなく、第二の父でもありました。彼について話すと、その言葉によって彼の捉えどころのない美しいイメージの魅力やオーラを壊してしまうのではないかと心配になってしまいます。

リヒテルによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番Op.110の演奏史を概観しよう。そもそもリヒテルが人生で最初にリサイタルを開いたのが1934年、オデッサの海員会館にてショパンを演奏したのが記録に残っている。その次に演奏した機会となると、これはモスクワ音楽院のネイガウスのクラスの学生たちによる小ホールでの演奏会(ネイガウスの夕べ)であり、そこで1937年か1938年にベートーヴェンのソナタ第28番Op.101とソナタ第31番Op.110を弾いた、と記録がある。第31番の方は音楽院の試験でも弾いたとされている。
他にも同じ頃にバッハの平均律やベートーヴェンのソナタ第11番Op.22、シューマンのトッカータも弾いたとされ、これらの曲がリヒテルのキャリア最初期に弾いた楽曲。それ以降もネイガウスの夕べでは様々な作品を取り上げていく。そういうわけで、ベートーヴェンのソナタ第31番はリヒテルにとって、ネイガウスの教えに従って弾いた曲の中でもほとんど最初の曲であり、リヒテルの中で「第31番=ネイガウス」というイメージが強いのだろう。


その後のソナタ第31番Op.110の演奏としては、まず1945年にモスクワのリサイタルで取り上げた記録が残っている。録音があるものとしては1951年1月17日のモスクワ音楽院大ホールの演奏が最も早い(↓のSMC盤。リンク先はタワレコの商品ページ)。60年代になると上述の1963年12月から1965年10月10日まで演奏し、その後70年代に取り上げ(74年の来日公演でも演奏し録音もある。↓のDoremi盤に収録)、あとは最晩年の90年代まで弾いていない。
St-Laurent Studio盤で1966年3月(日付不明)の録音とされるものがあるが、演奏会記録にはないので怪しい。ただ、併録のショパンの舟歌だけは確かにこの時期によく弾いているので、なんとも判断のつかないところだ。

『モスクワ音楽院のリヒテル (1951~1957)』(5枚組)

Sviatoslav Richter Archives, Vol. 1 – Beethoven: Sonatas


1965年10月10日まで弾いた、というのが、実は重要なところである。10月10日という日付でわかる通り、この日はネイガウスの一周忌にあたる。この日にモスクワ音楽院大ホールで行われたコンサートはネイガウスを偲ぶコンサートであり、リヒテルはベートーヴェンのソナタ第17, 18, 27, 28, 31番を弾いた。録音もあり、リヒテル生誕100周年記念50CD箱のDisc7と9で全て聴けるし、27番以外はBrilliant盤でも聴ける(他にも音盤がある)。この日の演目は、この度DGからリリースされた同年9月2日のルツェルンLiveと全く同じである。言うまでもなくルツェルンの方の17番テンペストと31番はCDに未収録であり、前者は録音が存在するようだが未発売、後者は現段階では録音自体が未発見である。ちなみに、DG盤に31番のみが収録された6月29日トゥール(グランジュ・ドゥ・メスレー)でのリサイタルも、モスクワやルツェルンとほぼ同じプログラムだが、テンペストの代わりにモーツァルトのソナタ第2番K.280を入れている。

Sviatoslav Richter 100, Volume 9 (Live)

Historic Russian Archives : Sviatoslav Richter – Concert Recordings


6月のトゥール、9月のルツェルンと2つの音楽祭で演奏したベートーヴェンのソナタ集プログラムが、10月10日のネイガウス没後1年演奏会を想定した選曲だった、と断言することはできないけれども、可能性としては大いにありえる。少なくとも10月10日にモスクワで第31番Op.110を含むベートーヴェンのソナタ集を弾くことは決定事項だっただろうし、これらの公演以外でも上記のベートーヴェンのソナタは各地で演目に入れて弾き続けていた。例えば8月21日のザルツブルク音楽祭ではベートーヴェンのソナタ第18, 19, 20, 27, 28, 31番を選んで弾いている。また、7月は故郷ウクライナで演奏しており、キエフやハルキウでもベートーヴェンを演奏。7月27日にはクロピヴニツキー(キロヴォフラード)でネイガウス追悼演奏会を行い、そこでソナタ第17, 18, 28, 31番を選んで弾いている。6月、7月、8月、9月と、音楽祭や追悼演奏会のような特別なイベントでベートーヴェンのソナタ集を弾き、ネイガウス没後1年演奏会を視野に入れて予行練習をしつつ、弾くべきベートーヴェンのソナタを熟慮していたのかもしれない。

1965年10月11日、ネイガウス没後1年演奏会の翌日、リヒテルの演奏評がイズベスチヤ紙に載った。ここに引用しておこう。

リヒテル、ベートーヴェンを弾く

10月10日、音楽院ホールで、ソ連人民芸術家、レーニン賞受賞者スヴャトスラフ・リヒテルが、今シーズン最初のコンサートを行った。彼の師であるゲンリヒ・グスタヴォヴィチ・ネイガウスの追悼コンサートだった。

偉大な音楽家、世界最大のピアノ演奏学校の創始者であり、その最も傑出した代表者がS.リヒテルである。ネイガウスが亡くなってちょうど1年になる。そして今、リヒテルはベートーヴェンの5つのソナタを演奏する。非常にネイガウス的であり、また非常にリヒテル的なプログラムだ。

この夜演奏された各ソナタ(第17番、第18番、第27番、第28番、第31番)を分析するのはやめよう。私たちはベートーヴェンを聴き、リヒテルを聴き、私たち一人ひとりの中にある最高の何かに触れていたのだ。

S.リヒテルは非常に集中して演奏した。まるで、ベートーヴェンの音楽である人間性の世界に聴衆を引き込もうとしているかのようだ。ベートーヴェンのソナタは、その創作者の理想的な想像の中で鳴り響くかのように響き渡り、しかも時宜を得ていた。思想、感情、形式は一体となっていた。

かつてH.ネイガウスは、S.リヒテルによるベートーヴェン最後のソナタの演奏について「芸術と人生において最も崇高なものは、最も身近なものである」と書いた。リヒテルのコンサートは、この真理を改めて裏付けた。私たちは再び、リヒテルのピアニズムの最高の特質に出会った。作品の詩的なプログラム性の完全な具現化、感じ取れる明確な感情表現。オーケストラのような迫力、色彩豊かな演奏、指揮的、組織的な始まりは、聴く者を魅了し、従わせる。そして、生き生きとした変化を伴うリヒテル的リズムの論理と自然さ。どのフレーズも信じられないほど生き生きとしている。今回も、私たちはヴィルトゥオージティについて考えることはなかった。それは芸術的な意図、作品の「魂」を表現するための手段に過ぎなかった。ピアノ演奏の苦労を感じることもなかった。

音楽はリヒテル自身にとって巨大な体験であり、それを通して彼自身の個人的な感情を表現することもできる。彼は楽譜に細心の注意を払うだけでなく、それを輝かせ、解明することができるのだ。

S.リヒテルは再び、真の芸術家には「天井」がないことを視覚的、聴覚的に証明した。彼は変化し、生き、自分の中に新しいものを明らかにしている。

このコンサートは感動的だった。会場を出るとき、私たちは人間の精神の最高の現れに触れることで生まれる、楽観的な喜びを感じた。芸術家が、深遠で誠実、そして精神的に神聖な人物を形作る上で果たす偉大な役割について、深く考えずにはいられなかった。

この絶賛を読みながら、ぜひリヒテル生誕100周年記念50CD箱でその演奏を聴いていただきたい。なお同BOXには1971年10月10日のモスクワ音楽院のLive録音もある。そこでもリヒテルはベートーヴェンのソナタ第27, 28, 30, 31番を弾いている。ここまでに挙げた録音について、その演奏をどうこういうのは今回の趣旨に合わなそうなのでやめておくけれど(そもそも僕は演奏評が不得意なのもある)、ネイガウスを思って弾いたこの演奏が非常に素晴らしいことには間違いない。
以下、演奏評ではないが、各ソナタについて少しだけコメントしておきたい。


第17番Op.31-2「テンペスト」は有名なソナタで、僕も大好きな曲。2011年にブログに書いたときにもリヒテルの音盤を挙げた。1961年のアビー・ロード・スタジオでの録音だ。リヒテルは少年時代からこの曲を弾いていたとモンサンジョンの著作にある。第18番Op.31-3「狩」もリヒテルのお気に入り、これに関するリヒテル関連の言及はあまり見つからないのだが、リヒテルの気質に非常によく合う曲だと思う。

第27番Op.90、この曲もかなり早い時期(1940年代)から取り組んでおり、60-70年代に盛んに演奏した曲。1971年9月のザルツブルクでのレコーディング(↓の録音)はリヒテル本人も珍しく満足行くものだったと当時の手記にある。1974年の来日公演では東京・藤沢・浜松・名古屋・大阪・京都と、東海道ツアーのお供にしたソナタだが、その来日公演での演奏以降は封印してしまった。

Piano Sonatas 3 & 4 & 27
Sviatoslav Richter


第28番Op.101は上記のCD解説の通り、ネイガウスのクラスで初期に弾いている、これもネイガウスとの思い出がある曲だろう。録音こそ多くないものの、演奏回数はかなり多い方である。大変リヒテルの音楽性に合う作品だと思う。
第31番Op.110についてはここまで書いてきた通りだ。この曲はリヒテルの個人的な好みではないという旨が上のCD解説の引用でも触れられているが、それでも師の教えに従い、また弾きやすいという理由もあって、相当な回数を弾いている。後期三大ソナタとしてまとめて取り組むことも多かった。その3曲の中でも、第30番Op.109は演奏回数が少なく、3曲セットで取り組むときにだけ弾くことが多いし、第32番Op.111についてもリヒテルは「ひどい曲だ」等々、曲について文句を言っていたとネイガウスが証言している(そう言いながらも1983年には手記に「完璧に弾けたときもある」と書いている)。だから後期三大ソナタの中では、最も思い入れのある第31番以外は、さほど好みではなかったのかもしれない。まあ、第31番も思い入れだけで、作品としては特に好きではなさそうだが……それでもベートーヴェンの後期三大ソナタは、リヒテルが最晩年になってからもよく演奏していた。↓のDECCA盤は1991年10月17日の録音である。最晩年の巨匠が弾くベートーヴェンの後期三大ソナタということで、名盤の誉れ高いもの。称賛の声も多数見られる。これも10月の録音だ。
やはり月命日が近づくと、リヒテルは第31番を思い出すのだろうか。1991年も秋冬に取り上げており、例えば10月8日はドイツの街コンスタンツでリサイタルの最後の演目として、10月12日はドイツの小さな町ポリングの図書館のホールで30番と共に演奏している。10月27日にはキールにあるゴットルプ家の城趾のホールで演奏、幸運なことに録音が残っている(↓のLive Classics盤1つ目)。
1992年にも取り上げ、今は高騰している「巨匠リヒテルの遺産」シリーズのVol.5では1992年5月18日のブリュッセルLiveが聴けるし、その2日前、5月16日のミュンヘンLiveはサブスクでも聴ける(↓のLive Classics盤2つ目)。

スヴャトスラフ・リヒテル: ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ 第30番、第31番、第32番

Mozart & Beethoven: Sviatoslav Richter

Haydn, Beethoven, Chopin, Scriabin, Debussy & Ravel: Out of Later Years, Vol. III
スヴャトスラフ・リヒテル


リヒテルの弾くベートーヴェンの後期三大ソナタについて、ネイガウスが「最も崇高なものこそ、最も身近なもの」と書いたのは真に正しかった。リヒテルがそれらをどう思っていたにせよ、結局のところ最晩年まで弾き続けたという事実が、ネイガウスの指摘に説得力を与えている。第31番に関して言えば、ネイガウスは1963年12月の演奏を「山の頂」と表現したが、1965年10月10日のモスクワ音楽院での演奏が間違いなく最高峰の演奏で、ネイガウスが聴くことの叶わなかった本当の「山の頂」であると僕は思う。DGの未発表ライブ盤はまさに、リヒテルが高い山を登り続けてきて、ちょうど山頂が見え始めた頃の演奏だろう。晩年の挑戦については、今の僕にはなんと表現すべきものかわからない。一人の音楽愛好家である僕にとって、リヒテルの音楽が最高峰でありまた身近であるのと同じく、ベートーヴェンの最も崇高なソナタはリヒテルにとって身近であり続けたのだ。(了)


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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