クック ピアノ三重奏曲:1940年のボエーム、里帰り、一番長い日と一時の静けさ

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クック ピアノ三重奏曲

クックと言えば誰だろう。普通はイギリスの航海者、キャプテン・クックことジェームズ・クック(1728-1779)を思い浮かべるかしら。クラシック音楽ファンは、もしかするとデリック・クック(1919-1976)が最初に出てくるかもしれない。マーラーの未完の作品、交響曲第10番を補筆完成させた「クック版」の作者として、多くのクラシック音楽ファンがその名前を見かけているはずだ。
僕はクックといえばまずアーノルド・クック(1906-2005)である。このブログにはあまり誰も見ないがプロフィールというページがあり、そこでもちゃんと好きなジャンルに「英国作曲家の音楽」と載せている。やれお気に入りはロシアだとかイタリアだとか言ってみたり、最近はスペインがどうのこうのと書いていたり、大体いつもブレブレなんだけども、イギリス音楽の開拓は地味に長く続けていて、結構好きになる作品も多い。僕のようなジェントルマンにはやはり英国音楽がよく合うのである。そうだろう、ワトソン君。

Arnold Cooke(1906-2005)、画像掲載元:Hyperion Records

ではなぜ今、アーノルド・クックを挙げたのかというと、先日Twitterの方でヒンデミットの話をしたからだ。ヒンデミットはクックの師である。Twitterでは若きヒンデミットが第一次世界大戦で従軍しているときに、まさに戦地アルザスで作曲した弦楽四重奏曲第2番を取り上げた。こちらの方もぜひ目を通してほしい。


ヨークシャーのゴマーサルという町に生まれたクックは幼い頃からピアノやチェロを弾いたが、大学はケンブリッジで歴史学の学位を取得。その後に音楽を志し、1929年にベルリン音楽アカデミーに留学。ヒンデミットに師事して3年間みっちり学び、学位を得る。曲にもよるが、クックの作品をいくつか聴いてもらえれば、それなりに音楽を知っている人であれば師ヒンデミットから影響を受けたであろうことはすぐにわかると思う。
もう一つ、なぜクックの「ピアノ三重奏曲」を挙げたいのかというと、これは僕がピアノ三重奏曲というジャンルを偏愛しているからという理由もあるが(色んなピアノ三重奏曲を聴き漁る中で未知の素晴らしい作曲家と出会うことは多い)、この曲はクックが第二次世界大戦で徴兵され、海軍として任に当たっている最中に作曲したものだからだ。そう、クックは師ヒンデミットと同じような状況下で、室内楽曲を書き残しているである。
なお、海軍でピアノ三重奏といえば、以前ブログに書いたジャン・クラ(1879-1932)のものもある。ヒンデミットやクックより上の世代であるクラは海軍軍医の子として生まれ17歳で入隊し、生涯軍人兼作曲家として活躍した人物で、徴兵されてやむなく戦地で作曲したヒンデミットやクックとは事情が異なる。クラのトリオについても読んでみください。

クックはベルリン留学から帰国するとケンブリッジ祝祭劇場の音楽監督を務め、その後マンチェスター王立音楽大学の教員となる。1938年にキャリアを積むためにロンドンへ移住。第二次世界大戦中に徴兵され海軍に入隊すると、航空母艦ヴィクトリアスに乗艦。またノルウェーの護衛艦との連絡将校として、オランダのタグボート「D.S.テムズ」号に乗船。ノルマンディー上陸作戦にも参加している。
もっとも、ピアノ三重奏曲の全てが戦場、というか船上で書かれたのではない。むしろ戦場とは縁遠いところでも書かれている。ハリウッドでフィッツジェラルドと共に脚本の仕事をしていた文芸評論家ジョン・ダベンポートは、製作会社からイギリスで新たな題材や作家を発見する任を受け、妻クレメントと共にグロスターシャー州マーシュフィールドの「モルティング・ハウス」を購入。コッツウォルズ南端に位置するこの地はマナーハウスのような古い建物が多く残る村で、 1940年、戦火を逃れる目的もあり多くの文化人がここに集い交流を深めた。クックはロンドンの自宅とヨークシャーの実家を何度か訪れた後、ダベンポートの招待で1940年夏から1年ほどこのモルティング・ハウスで過ごしている。ここで過ごしたクックの友人には作曲家のレノックス・バークリーや、前衛芸術の擁護者でブーレーズのキャリアを促した音楽評論家、ウィリアム・グロックもいる。
このグロックが後にダベンポートの妻クレメントと不倫関係となり、結婚にまで至る。ラ・ボエームの屋根裏部屋ではないが、ちょっとしたボヘミアンな関係が芸術家たちには刺激的であり、ここの客人たちはよく遊びよく創作したとのこと。クックもそんな風に色欲含めて遊び呆けたかは知らないけども、ここでピアノ協奏曲やチェロ・ソナタ、ソプラノのための歌曲を書き、創作に励んだようだ。ピアノ三重奏曲は第1楽章が完成したところで、1941年の秋に徴兵され海軍へ。1943年に一時休暇でヨークシャーに帰った際に第2楽章を書き、1944年の夏にD.S.テムズ号の船上で第3楽章を完成させた。どの楽章も全て異なる場所で書かれた珍しい作品でもある。戦後、1947年に初演された。


緩やかな序奏から始まる第1楽章は、すぐにAllegroへ。ブラームスのピアノ四重奏曲第3番の開始の仕方に似ている。記事冒頭に貼ったCDにはクックのピアノ四重奏曲も収録されているが、それを聴いてもブラームスらしさは感じられるし、意識はしているのかもしれない。常に対位法的なテクスチャで、どこか不安げな雰囲気は曲の終わりまで変わらずに存在する。芸術家たちの集う家ではなく、既に戦地で作られたかのような趣きだが、それが戦時中というものか。その辺りはこちらの勝手な想像に過ぎないのだけども。2楽章は緩徐楽章、しかし癒やしはない、常に力んでいるようで、緊張感が途切れることはない。心癒やすような瞬間も垣間見えるが、それも現れるとすぐに消え去ってしまう。
第3楽章は特徴的なリズムに乗って駆け抜けるような終曲、この楽章こそ戦場で書かれたというのに、少し緊張感は和らいでいるような気がする。もちろん推進力があっていかにも伝統的な室内楽曲の終楽章らしさはあるが、ここでも幾分ヒンデミットよりブラームス寄りな音楽ではある。もっともモダンでない、と言おうか。割とわかりやすくメランコリックな感じがする。劇的な幕切れもいい。最後だけメジャーな響きで終わることに少し安心してしまう。なおCD解説によると、D.S.テムズ号の船上の“quiet spell”(静かなひととき)に書かれたとある。そんな時なんてあるのか。まあ、そんな時だってあるのだろうが、船にピアノを持ち込んで弾きまくったジャン・クラや、音楽好きの上官に恵まれてアルザスの山地でもカルテットを組めたヒンデミットよりは忙しいのではないか。一次大戦と二次大戦の違いもある。静かなひとときの前後には、兵隊たちにとって「一番長い日」があったのも事実。


ヒンデミットの影響はもちろん、曲によってはこうしてブラームスに似た雰囲気や、バルトーク、ショスタコーヴィチの音楽にも近い雰囲気を持つ、クックの室内楽作品。多作だったがその作風の晦渋さ(というか、20世紀前半のイギリスで求められたであろういかにも田園的で愛国的な英国風の音楽性が少ない点)のせいであまり顧みられてこなかったのだけれども、当時からクックを高く評価する人たちも多く、今は徐々に録音が増えてきている。彼がモダニストだったのは間違いないだろうが、いわゆる英国らしい牧歌的なフレーズや、叙情的で穏やかな美学も実は持ち合わせているところも、クック作品に惹かれるところだ。現代であれば、ロマン派のような甘美なメロディとハーモニーに飽き飽きした人や、最先端の現代音楽に食指が動かないような人にとっては、それこそヒンデミットのように絶妙な時代の前衛であるクックの音楽は楽しく聴ける人も多いだろう。
音楽評論家マルコム・マクドナルドは、クックがヒンデミットから本当に吸収したのは、幅広い技術体系と方向感覚、すなわち音楽を生きたポリフォニックな存在として捉える視点と、J.S.バッハの実践に遡る個々の楽器への感覚だったと指摘する。また機会があれば別の曲についても取り上げよう。
クックも見たであろう、ブランデンブルク門と戦勝記念塔と飛行船ツェッペリンの描かれた戦前ドイツのイラストのジャケットを見ながら聴くのもまた味わい深い。夕日に染まっているような色合いも良いじゃないか。両大戦の戦間期、クックの目にベルリンの黄昏はどう映っただろう。彼がイギリスに帰国してほどなく、ドイツではヒトラーが首相に就任。ナチス・ドイツと戦う船の上で書かれた音楽を、ぜひ聴いてみていただきたい。


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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