「スイス・ロマンド管 100年の軌跡」というCD箱5枚組が出た。実はエルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管という組み合わせは結構好きで、クラシックを聴き始めた頃からよく聴いている。下手とかなんとか言われるし、アンセルメの古典派レパートリーの解釈は国内外問わず嘲笑されることも多いけど、甘い音色と時に見せる妙な凄みは好みだ。ということで、昨年出たこのCDもちょっと期待していた。もっとも、アンセルメは最後の1枚だけなのだが。
本題に入る前に、少しだけアンセルメ以外の収録演奏にも触れよう。Disc1はフランス音楽。色々な歴代指揮者の録音が入っているが、アンセルメ以降のロマンド管歴代首席指揮者史上稀に見る「OSRの良心」(僕が勝手にそう呼んでいるだけ)ことアルミン・ジョルダンによるデュカスの序曲「ポリュークト」、そしてラヴェルのダフクロ2組の録音は実に美しい。
Disc2はドイツ音楽。ヤノフスキ、スタインバーグ、サヴァリッシュ、ルイージが登場するドイツものはどれもパッとせず。Disc3の20世紀音楽は素敵だ。サヴァリッシュのリゲティは厳格なアプローチにオケの軽めの響きが不思議なミスマッチで聴いていて楽しい。ほかアイザック・スターンのヴァイオリンにクレツキ指揮でバルトークのヴァイオリン協奏曲第1番という、1961年の珍しい録音も良い。ほかツィンマーマンやホリガー作品など。
Disc4はロシア音楽と銘打つも、ラフマニノフの交響詩「死の島」とストラヴィンスキーのはレエ音楽「結婚」と「春の祭典」のみ。ホルスト・シュタイン指揮によるストラヴィンスキーの「結婚」は演奏者も精鋭なだけあってなかなか秀逸な演奏。ストラヴィンスキーとロマンド管の組み合わせはアンセルメ時代からのお手の物だ。「春の祭典」は今をときめくジョナサン・ノット指揮の2017年録音。オケの鋭さ不足とかそういうことは一旦置いといて、時折見せる金管のうっとりするような吠え方(?)や弦奏のゴリゴリした音、持久力はなくともそういう瞬発力で魅せてくれる。
さて、本題のDisc5はヒストリカル。エルネスト・アンセルメ指揮によるギュスターヴ・ドレ(同名のフランスの画家ではないので注意)の歌劇「羊飼い」全3幕、1943年1月1日、音響は良くても作業しづらい環境として名高かったジュネーヴのヴィクトリア・ホールでの録音。ドレって誰?(ダジャレじゃないよ、ダリって誰、みたいだね)という人がほとんどでしょう。レア作曲家のレア音源を収録してくれたことに大いに感謝しつつ、この録音がどうレアなのか、Bookletの記述も詳しくないしさらっと流しているので、補う意味でここにまとめておく。
そもそも、この5CD箱の販促に「100ページにものぼるブックレット」云々と書いてあったのだが、こういうのはご多分に漏れず、英語・仏語・独語で書いてあって、実質内容は3分の1以下になる。貴重な写真などはあったけどね。しかも5CDなので、1つの曲に充てている分量も少ない。僕も色々検索していたらたまたま見つけたのだが、知る人ぞ知るルクセンブルクのクラシック音楽レビュー誌“Pizzicato”でもエディターのレミー・フランクがこの箱のドレの歌劇について、ブックレットの内容が薄いと怒っていた(下の画像が元記事のリンクです)。歌劇の筋書きも書いてないし歌手データも詳しくないし、しかもネットで探しても見つからないからリスナーは全然わからんと。興味深い作品の珍しい録音なのにそれが残念だと。おっしゃるとおり。
歌劇「羊飼い」の作曲者であるギュスターヴ・ドレ(1866-1943)は、スイスのヴォー州エーグルの生まれの作曲家・音楽評論家。繰り返すが同名のフランスの画家ではないので注意。サン=サーンスがロマンス作品27を献呈しているギュスターヴ・ドレは画家の方だし、しかも画家の方のドレもヴァイオリンも弾けたというからややこしい。スイスの音楽家ドレの話に戻そう。ベルリンでヨアヒムに、パリでマスネらに師事。ドレの最も有名なエピソードは、1894年12月22日、パリの国民音楽協会にてドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」の初演した際、指揮を務めたのがドレであるという話だろう。演奏は大成功だったそうだ。
エルネスト・アンセルメ(1883-1969)については今更説明も不要でしょう。スイスのクラシック音楽界を代表する指揮者で、キャリア序盤からストラヴィンスキーやディアギレフに認められ、1918年ジュネーヴでスイス・ロマンド管を創設。ロマンド管の公式ページでは過去演奏会がすべて検索できるので、試しに第1回を見てみよう。検索ページへのリンクは↓。
https://www.osr.ch/en/orchestra/concerts-since-1918
第1回定期演奏会は1918年11月30日、ヘンデルの合奏協奏曲やニトクリスのアリア、モーツァルトのプラハ、ベナーやジャック=ダルクローズのスイス作曲家の作品を取り上げ、メインはリムスキー=コルサコフのシェヘラザード。100年前のスイスのオーケストラが旗揚げコンサートでやったと考えると、なかなかいいプログラムではないかしら。攻めてるよね。
アンセルメはロマンド管の専制君主と言われており、彼のやりたいことをやるために集められたメンバーで、実際にアンセルメのやりたいことを実現した。また、前衛を拒否したモダニストなんて言われたりもする。確かにセリー音楽をめぐってストラヴィンスキーとは決別しましたが、それでも当時の最新の音楽を積極的にコンサートで演奏した。ロマンド管ではいわゆる古典の名曲に加え、得意のフランスものやロシア5人組の作品、それらにあわせてスイスの作曲家や初演作品・初演されたばかりの曲もよく取り上げていたようだ。
そういうアンセルメのやりたい放題に見えていたプログラムに対して、実は常に批評的にアドバイスをして支えていたのが他ならぬドレだということが、資料として残っている。
上にも画像を上げたが、スイスの歴史投稿サイトnotreHistoireに、ドレが書いた第1回定期のレビューとプログラム写真が上がっている(元記事リンクはこちら)。貴重な資料だ。1918年12月7日のジャーナル・ド・ジュネーヴ紙(notreHistoireにはトリビューン・ド・ジュネーヴと書いてあるがミスではないかしら)にて。演奏評ももちろんあるけれど、旗揚げ直後の演奏についてあまりとやかくは言わないというスタンス。しかしドレは、今までのスイスのオーケストラコンサートにおける日和見主義的なプログラムはなんとしても改革する必要があると強く訴えている。アンセルメの本能を信じろ!という。
またドレは、第一次大戦終結の気配感じる1918年7月7日、ロマンド管創立の直前だが、ジャーナル・ド・ジュネーヴ紙の1面にて、スイスのフランス語圏において政府主導でない民間オーケストラがどれほど重要なものか、チューリヒやベルンなどのドイツ語圏のオケに頼りっぱなしではいけないと、力説している。そうした歴史あるドイツ語圏のオケには感謝をしつつ、フランス語圏も負けてられないぞと発破をかけているのだ。
ドレは当時のスイスにおいて、ドビュッシー作品の初演者という強い称号と、フランスの芸術アカデミーの会員でもあるという、もう音楽関係者であれば誰もが羨むような地位と評価を得ていた。だからこそ新聞の1面に、ロマンド管設立に関する彼の意見記事が出るわけなのだ。アンセルメの先輩であり、本当のところ良きライバルでもあったのではないかと推察される。推察というのも、この二人の関係が直接書かれた資料はほぼ見当たらないのだ。スイスのサイトを色々見てみると「関係が曖昧」とか「今まで忘れられていた」という表現もある。少なくとも関係が悪いということはなく、1919年にはドレもロマンド管を指揮しているし、その後もアンセルメは何度かドレ作品を指揮している。ホールでも紙上でも、関係の良さはうかがえるだろうし、ドレの文章を読めばアンセルメとロマンド管の行く末に期待を抱いているのがわかる。
歌劇「羊飼い」はドレの出世作だ。1906年11月11日にアルベール・カレ支配人時代のパリのオペラ=コミック座でフランソワ・ルールマンの指揮によって初演され、ドレの最大の成功作となった。ドレは1943年4月に亡くなり、追悼として9月18,19日にジュネーブ大劇場で歌劇「羊飼い」の公演を行った。その指揮をしたのはアンセルメである。そして、この「スイス・ロマンド管100年の軌跡」に収録されている録音は同年1月1日のもの。1月にドレの体調がどうだったかとか、なぜこれが1月に録音されることになったかという経緯は明らかにはされていない。しかし、状況証拠的なものだけ見ても、アンセルメがドレの歌劇、あるいは音楽家としてのドレを高く評価していたのは間違いないだろう。ということで、この音源がどれだけ意味のあるものなのか、少しでも理解の助けになれば嬉しい。
One Century of Music (1918-2018)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more