ヴォーン=ウィリアムズ 音楽へのセレナード
初めて聴いたのはおそらくプロムスの演奏だったと思うが、そのときから本当にいい曲だなあと思っていた。優しく、慈愛に満ちた音楽。「音楽へのセレナード」(Serenade to Music)という題名に、ああ、これは紛うことなき、音楽に対する強い思いを込めた、本当に本物の芸術なんだなあ、と純粋に感動したものだ。音楽とは、やはりこういうものだ……そこまでは言わないにしても、セレナードの元の意味は恋人に歌う歌である。音楽という恋人を持っている人にとっては、おそらく心に響くものがあるだろう。
管弦楽と声楽のソリスト複数名ないしは合唱という、ちょっと変わった編成。歌詞はシェイクスピアの『ヴェニスの商人』の最後の部分をアレンジしたもの(歌詞はこちら)。あまり録音が多い訳ではないし、特に歌部隊は色々な編成演奏される。もちろん原典は原典としてあるのだが、いずれにせよ、これを奏でる者にとって(あるいは指揮者にとって)、最も愛を伝えられる編成をとってきた、と考えるのは考え過ぎだろうか。
原典はというと、1938年に初演された。BBCプロムスで長きに渡って指揮者を務めたイギリスのかつての名指揮者ヘンリー・ウッドに献呈された作品で、ヘンリー・ウッドの指揮者活動50年を記念したガライベントのようなコンサートで演奏された。
BBC響、ロンドン響、ロンドン・フィルのメンバーと、混声のソリストたちによって演奏され、歌詞の部分はかなり細かく分けられ、歌詞にはソリストたちのイニシャルが振られている。実に独特で、このような曲は(現代音楽を除いて)そうそうないだろう。
しかし、この独特の構成が、決して消えることのないハーモニーを生み出す。
『ヴェニスの商人』の最も美しいところとして知られる部分をもとに改変して歌詞が作られているが、ヴォーン=ウィリアムズは単にシェイクスピアを引用してその美と権威を借りようとしたわけではないのは当然のこと。
詩の内容は、音楽、特に「宇宙の音楽」(天空・天体・天球の音楽とも言う。Music of the Spheres)について話をしているというものであり、音楽へのセレナードという題にふさわしいものになっている。それほど難しい内容でもないので、ぜひ読んでみて欲しい。歌詞を理解すれば、この曲のセレナードとしての核心を見ることができるし、是が非でも夜に聴きたいと思うことだろう。
この曲は、こうした熱い思いや、不安、満足感、歓喜、快楽などをすべて包含して作られている。ヴォーン=ウィリアムズのこの曲にかける想いたるや、尋常なものではなかっただろう。
ソリストたちは朗々と歌い上げるも、決して起伏の激しい曲ではないし、十数分やや退屈に感じてしまう人もいるかもしれない。しかし、セレナードとはそういうものもあろう。日暮れに思いを伝える愛の歌は、いつもいつも劇的とは限らない。淡々としているようでも、“当人たち”にしかわからない言葉で、最も幸福な時間を過ごし、最も熱い気持ちを伝えているということもあるだろう。むしろそれが自然であるように僕には思われる。この曲はそういう意味で、“当人たち”でありうる聴者にはごくごく自然なのだ。
指揮者ワインガルトナーの語るところによると、彼は初演の会場で、自分の席の後ろにラフマニノフがいるのに気づき、演奏後にはラフマニノフは目に涙をいっぱいに浮かべていたらしい。
ラフマニノフはこのイベントに、ピアノ協奏曲第2番を演奏しに来たのだが、後にヘンリー・ウッドに語ったところによると、この「音楽へのセレナード」を聴いて、かつてこれほどまでに心を動かされた音楽は聴いたことがないと言ったそうだ。
ラフマニノフもまた、音楽に対する想いを強く持つ者の一人であることには違いない。僕もまた、そのひとりだと自負している。
“Become the touches of sweet harmony”という歌詞が出てくる。思わず唸る。今宵もまた音楽に思いを寄せるのだ。
Serenade to Music R. Vaughan Williams Hyperion UK |
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more