ブラームス 4つのバラードとロマンス 作品75
やっと秋らしくなってきたので、芸術の秋にふさわしい歌曲を取り上げよう。今回はブラームスの「4つのバラードとロマンス 作品75」、1878年に出版された4曲のデュエット集。このあまりにも素晴らしい4つの歌、ブラームスの傑作中の傑作だと言っても過言ではない。
クラシック音楽ファンの中でも、特にブラームスを愛好する人となると、交響曲から入る人が多いのではないだろうか。あるいは、ブラームスには室内楽の名曲も多く、弦楽器を用いた合奏ないしアンサンブル作品の濃厚で緻密な音楽は、ブラームス作品の最も魅力的なところだと僕も思う。合唱曲や歌曲の鑑賞は後回しにしがちかもしれない。
またプロアマ問わず歌手の人たちやドイツ・リートを愛好する人にとっても、この曲集はどうしても後回しになりがちだろう。というのも、4曲とも組み合わせの違うデュエットで、第1曲がアルト/テノール、第2曲がソプラノ/アルト、第3曲がソプラノ/テノール、第4曲がソプラノ/ソプラノとなっているため、この曲集をまとめて演奏、あるいは録音するのは結構大変なことなのである。個々の曲が様々な音盤に挿入されていることはあるが、ファンにしてみてもこのop.75をまとめて聴く機会は多くなかったと思う。今はサブスク配信でブラームス全集のようなものに簡単にアクセスできるので、ぜひ気軽に聴いてみてほしい。
抜粋も良いのだけど、僕は特に、この4曲をまとめて聴くのを推奨したい。4つの曲全てが対話による歌曲で、ブラームスの果てしない楽才を堪能することができるからだ。ブラームスの全ての歌曲の中でも最も劇的で傑作と言っても良い第1番「エドワード」で始まり、一転、明るくてちょっと可笑しな第2曲「良い忠告」と、ブラームスには珍しいリリカルでロマンティックなラブ・ソングである第3曲「こうして我らはさすらおう」を挟み、短いながらも激しい音楽で興奮を煽る第4曲「ワルプルギスの夜」で終わる。どれも本当に素晴らしい。歌詞はこちら。日本語訳がネット上に見つからないので、抄訳を載せておく。以下、少し感想と解説も書くので、鑑賞の助けになれば嬉しい。
第1曲「エドワード」、この「エドワード」というワード(あ、ダジャレになっちゃった)は、ブラームスのピアノ作品ファンならば「4つのバラードop.10」の第1番を思い出すだろう。おそらくop.10の中で最もポピュラーなバラードで、ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(1744-1803)による古いスコットランドのバラードである「エドワード」を基にしたピアノ独奏曲だ。このピアノ曲の解説ではよく「op.75-1で同じ題材によるデュエットがある」と紹介される。父を殺してしまった息子と、それを咎める母の対話。同じ題材でも、1854年のピアノ独奏曲と、1878年のアルト/テノールによる二重唱曲では、かなり音楽としては異なっている。重々しく緊張感のあるアンダンテで奏でられるピアノ独奏曲に対し、このデュエットは激しくてスリリングなストーリーテリング。ピアノ伴奏も激烈、C音の連続はさながらシューベルトの魔王、実際そのくらいのおどろおどろしさがある音楽だろう。母が呼ぶエドワードの名に当てられたC→Asと下がる音、音楽の切れ目に現れるアルペジオ、そして感情が露呈する「おお」、どれも非常に印象的だ。
同じ詩を用いて、ウェーバーやメンデルスゾーンと同時代のドイツ初期ロマン派の作曲家、カール・レーヴェ(1796-1869)が歌曲を作曲している。聴き比べるのも楽しい。
ブラームス:4つのバラード&2つのラプソディ
グレン・グールド (アーティスト)
第2曲「良い忠告」は、母が娘に忠告するという内容の対話。求婚者に追われて困る娘が母にアドバイスを求めると、母は娘に、自分の本当の気持ちを気づかせるよう上手に忠告する。しかし無心をされるとかなわないというところが面白い。ドイツ民謡のテキストを用いた歌だそうだ。第1曲がシューベルトなら、こちらはモーツァルトのような愛らしさと滑稽さを楽しむことができる。メロディの愛らしさに加え、生き生きとしたリズムも楽しい。
第3曲「こうして我らはさすらおう」、ブラームスにしては珍しい、シンプルでストレートな愛の歌。これはチェコ民謡のテキストだそうだ。ブラームスの愛好家は、それこそイタリア・オペラにあるような甘美な恋の歌を好まないイメージがあるが、それも当然、そういう作品がほぼないからである。その希少性も加味して、傑作の類と言えるだろう。こういうドイツ・リートならシューマンの専門領域と言っていいかもしれない。シューマン作品に勝るとも劣らない魅力に満ちている。優雅な旋律で美しい。最後に二人がハモるところでは、ソプラノが“So kann ich mit dir wandern, Nichts hindert mich im Gang.”、テノールが“So kannst du mit mir wandern, Nichts hindert dich im Gang”となっているところがミソである。諸君、そういうものなのである。
第4曲「ワルプルギスの夜」、どちらかと言えば第1曲よりもこちらの方がシューベルトの魔王のようではある。魔王ではなく魔女だが。ヴィリバルト・アレクシス(1798-1871)の詩で、これもレーヴェが歌曲にしているが、ブラームスのものとは若干詩が異なっている。母と娘の対話で、母が魔女であることが明らかになっていくという歌。こわい話だ。2拍子系で力強い歌に、8分の6で駆けるピアノが悍ましさを演出している。こういうピアノの雰囲気はソロ作品、ラプソディなどでも見られるが、ブラームスらしい独特の魅力だと思う。娘ソプラノ、母アルトという割り振りではなく、ソプラノが二人なのは、母親が興奮していき高音が必要になるからだろう。
この曲集の名称について、鹿児島国際大学の伊藤綾先生という方が書いた論文から一部抜粋しておこう。
「デュエット」という言葉はふたりの歌い手が一緒に歌うことを前提としてしまうが,ブラームスはふたりが一度も一緒に歌わないスタイルにより,劇的な効果と緊張感を生み出す二重唱曲も普いた。さらにはこのスタイルに「バラードとロマンス」という新しい名称を与えることにより,二重唱曲というジャンルの発展の可能性を探ったと考えられる。
二人の歌手はほとんど重なることなく、ハーモニーをなさない。そのことによる劇的な効果が非常によく現れた、傑作歌曲集だ。その効果が最大限に活かされている苦しい苦しい第1曲と、それに反して敢えてハーモニーを入れた甘い愛の歌である第3曲は、特に注目に値する作品だと思う。ぜひ聴いてみていただきたい。交響曲や室内楽に比肩する、密度の高い音楽。
【参考】
伊藤綾(2018), 「ヨハネス・ブラームスの二重唱曲における「新しい道」」鹿児島国際大学国際文化学部論集第18号, pp.351-357.
ブラームス:二重唱と四重唱全集[3枚組]
ユリアーネ・バンゼ (アーティスト), インゲボルグ・ダンツ (アーティスト), & 6 その他
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more