音楽の好みは年を経ていくうちに変わっていくもので、クラシックを聴き始めたかなり最初の頃から傾倒していたドビュッシーやブラームスのおかげか(どうかは知らないが)、昔はワーグナーに対してはアンチ気味な態度を取っていたのだが、今は普通に聴く、というか観る。ワーグナーの世界は、他の多くの音楽に影響を与えており、オペラだけでなく管弦楽や器楽作品などもそうだ。ということで、元々好きだった他の作曲家の音楽の理解が増したのも、ワーグナーを聴けるようになったことの賜物だと思う。
だがしかし、未だにそこまでワーグナーに傾倒できないのも事実だ。こう見えても一応僕も働く二児の父で、貧乏暇なし、オペラだってそんなに頻繁には見れない。たまに見れる時間的余裕があれば、どうしても自分の好きなイタリア・オペラに偏ってしまう。このブログでも、ワーグナーについて書いたのは2011年にジークフリート牧歌で更新したときの一度だけで、それも大した内容じゃないし、今年「精神性」についての記事を書いたとき、ドイツ文学者が音楽評論を書く際に用いがちな「ドイツ精神性」という観点ではなく、ハンスリックをネタにして書いた自分を振り返っても、いかにワーグナーが自分にとって重要でないかというのがわかるというものだ。
それでも、他の作曲家について調べているとワーグナーの話が出てくることは多いので、傾倒せずとも教養として知っているくらいには聴いてきたので良かったなと思っている。それは僕の大好きな作曲家であるヴァンサン・ダンディについて調べていたときもそうだ。ダンディはマイナーな作曲家かもしれないが、このブログでは2009年に「フランス山人の歌による交響曲」を、2017年に「弦楽四重奏曲第1番」を取り上げた。ダンディはワーグナーを非常に尊敬していた。だから僕もワーグナーを聴いてみてもいいかなと思った、なんて言っても過言ではない。ポップスでも、自分の応援するミュージシャンが尊敬しているミュージシャンだからという理由で遡って聴いて、世代より上の流行歌やルーツ・ミュージックにたどり着いたりすることもあり、それは良いことだと思う。
だいぶ関係ないおしゃべりが過ぎたようなので、本題に入る。「パルジファル初演とヴァンサン・ダンディ」ということで、タイトルのまんま、パルジファルを初演を見に行ったヴァンサン・ダンディの話。なぜこれを書こうかと思ったかというと、ステイホームだしたまにはワーグナーのDVDでもと思って、ティーレマン/シュターツカペレ・ドレスデンのザルツブルク復活祭2013年のパルジファルをたまたま引っ張り出したのがきっかけ。なおパルジファル自体はそこまで好きな方でもない。なんならトリスタンとイゾルデやリングの方がずっと好き。
パルジファルの初演は1882年7月26日、バイロイト祝祭歌劇場にて。ダンディは1876年のニーベルングの指環の初演もバイロイトで観ているワーグナーの熱狂的な信者だが、信者かどうか関係なく多くの音楽家たちが気にして見に行くのがワーグナーである。
1882年の夏、ダンディがバイロイトに到着すると、そこには帝政ドイツの旗がデカデカと掲げられ、非常に祝祭的な外面をしている一方で、地元の人たちは皆そんなことには無関心、ダンディはそのギャップに嫌気が差したそうだ。外国人観光客への歓迎ムードはなく、食事も不味いし(この辺はさすがフランス人)、ワインも不味いし(さすがフランス人)、宿泊施設も低水準のおもてなしでテンション上がらず。しかもワーグナーは劇場関係者と外国人客との口頭のコミュニケーションも禁じていた。
それに加えて、リハーサルと開幕公演がパトロンのみの公開というところにも、外国人たちは猛抗議したそうだ。ダンディにとってはそんな最悪なムードで迎えたパルジファルの初演であったが、まあ蓋を開けてみればなんとやらで、パルジファルの初演に触れたダンディは、それまでの外国人への屈辱的な扱いもすっかりと忘れ去り、その美しさにただただ圧倒されるしかなかった。飲み会もキャンセルし、余韻に呆然としながら友人たちと森の静けさの中へ立ち入るのであった。
そんな森の中の話かどうかは定かではないが、ダンディは、同じく初演に来ていた先輩作曲家であるレオ・ドリーブにも感想を求めた。そのときドリーブは「第2幕がいい。若い娘がいる、若い娘がいりゃいつだって楽しいものだ」と言い放ち、その不遜な発言に若きダンディは激怒したという。ダンディは真面目なワグネリアンで、ドリーブは陽気な悪戯好きなのだ。
ドリーブという作曲家は僕も大好きで、コッペリアやシルヴィアなどのバレエ音楽で知られる、「フランス・バレエ音楽の父」とも呼ばれる存在である。ダンディより15才も年上。気さくで明るい小太りの男性で、グノーのような高潔な雰囲気でもなければマスネのような神経質なところもない、いつもニコニコ上機嫌で、ちょっといたずらっぽいところもある、そういう人柄だったそうだ。おそらく敬虔なワーグナーの信者であればダンディのような反応になるだろう。あの神聖なバイロイトで、あの神聖なパルジファルのプレミアである。でも上に書いたのでわかるように、僕のような不敬虔なやつはドリーブと同じような感想を持つんだな。パルジファルの演出を見ても、花の乙女たちの衣装が綺麗だったり可愛かったりエロかったりダサかったりするのばっかり気になってしまうダメなやつである。
もちろんドリーブ自身はワーグナーの音楽を愛好していた。だがドリーブはワーグナーの音楽が自分を熱狂させてくれることに感謝しつつも、「聴き手としてはドイツの巨匠に深い感銘を受けはするが、作り手としては彼の真似はしたくない」と断言している。一方のダンディはというと、1897年に「フランスのパルジファル」とでも言えるような歌劇「フェルヴァール」を作曲するが、これは当初パルジファルのパスティーシュだと酷評された。他の作品でもあからさまなワーグナーの影響がわかる。別にどちらが良いとかそういう話ではないが、どちらもワーグナーを敬愛していたのは確かだし、自身の創作にどう影響したかというのが非常に対照的で面白い(ドリーブの話については、オペラマガジンの過去記事に詳しくあるので、興味のある方はそちらもどうぞ。リンクはこちら)
パルジファル初演時、バイロイトでワーグナーは外国人と会うのを拒絶していたのだが、結局ダンディはフランツ・リストの紹介があったおかげで直接ワーグナーに会うことに成功した。「フランスでもワーグナー作品は支持され、好まれています」という旨を伝えると、ワーグナーは「フランス人は私のことをよく理解してくれていますが、ドイツにはユダヤ人がいて、私の音楽が広く知られるのを妨げています」と答えたという。
というのが、あまり日本で話題にならないけど好きなエピソード。特にこのドリーブの発言は、ドリーブ本人だけでなくダンディの人柄もうかがえる面白い話なので、海外では色々な本やサイトやCDのライナーなどで書かれていますね。僕が参考にしたのはダンディの伝記、Andrew Thomson の Vincent D’Indy: And His World です。
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more