フィリップ・グラファン(1964-)というヴァイオリニストをご存知だろうか。長い間埋もれてしまった知られざるヴァイオリン協奏曲を取り上げて録音するhyperionレーベルの名物企画「ロマンティック・ヴァイオリン・コンチェルト」で、名フィルの常任指揮者マーティン・ブラビンズやNAXOSの録音でお馴染みの指揮者デイヴィッド・ロイド=ジョーンズと、演奏機会の少ない協奏曲を録音しており、その名を耳にしたことがある人もいるかもしれない。そんなグラファンが、Gramophoneのブログに面白い記事を書いていたので、ここで紹介したい。本来のタイトルは“Why I don’t want to play the same six concertos all my life”というもの。元の記事はこちらから。
冒頭で語ったように、フィリップ・グラファンは今日ほとんど演奏されないようなヴァイオリン協奏曲を取り上げて演奏するヴァイオリニストである。定番の名曲というものはもちろん素晴らしいものだが、珍しい曲を聴く楽しさというのもあるし、またその曲が自分の心に残る感動的な曲だった場合、音楽との出会いの喜びもひとしおだ。グラファン自身も、今日の演奏会プログラムを見て、それが大体ほんのわずかな定番の作品ばかり……なんて現状を憂いている。ある有名な音楽家はグラファンに「ヴァイオリニストとしてキャリアを構成するために知る必要がある協奏曲は、基本的には6曲だけだ」と語ってくれたそうだが、彼にとってはこの文言は真実ではないし、「ヴァイオリニストとして残りの人生を6曲だけの協奏曲で過ごすだなんて……」とは、なんともお先真っ暗な話。
グラファンは今まで、レパートリーを広げるために本能の赴くまま忘れ去られた作品をただただ探し求めた。例えばフォーレの協奏曲、サミュエル・コールリッジ=テイラー(1875-1912, ロンドン生まれの作曲家。アメリカで活躍し「黒いマーラー」と呼ばれた)の協奏曲などを開拓し、新しい解釈を創造する。またそれだけでなく、存命中の作曲家と共に活動するという試みもスタートさせ、新作の委嘱などにも力を入れている。こうした現代の作曲家との共同作業プロセスは、過去の作曲家たちの名作とグラファン自身がどのように関わっていけば良いのかということにも大きく影響するのだと、彼はすぐに気づいた。今まさに生きている作曲家との対話、彼らと話し交流できる可能性というのは、過去の音楽家に対して言えば、未だ楽想は固まっていないものの、製作途中の音楽の何か大きなものをはらんでいるような状態へと立ち返り続けることだ。演奏家も研究者もそうだが、作曲初期段階の楽譜を見ることは、その曲を理解するための重要な手がかりとなることが多々ある。グラファンは、過去に演奏されたことのない室内楽版のショーソンの「詩曲」や、「詩曲」のソロ・ヴァイオリンのパートの幾つかの部分をイザイが書き換えたバージョンなどの楽譜を発掘したことがある。また、エルガーのヴァイオリン協奏曲の、クライスラーが初演に際しアドバイスを入れる前のバージョンについて研究もしているし、アルバート・サモンズ(1886-1957, イギリスのヴァイオリニストで、ビーチャムに見出され一躍脚光を浴びるようになった)の使用していたディーリアスの協奏曲の楽譜なども研究している。これら全ては「ヴァイオリニストと作曲家の対話」の形跡なのである。
最近のグラファンの大きな仕事として挙げられるのは、ロシアの作曲家ロディオン・シチェドリン(1932-)との共同作業があり、彼に新作を委嘱したり、共にプロコフィエフの「5つのメロディー」の管弦楽版の楽譜を研究したり、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の忘れ去られたカデンツァを発見するなど、これらもすべて、先ほど挙げたものと同様のプロセスである。
少し話が飛ぶが、ロシア=ユダヤ系のヴァイオリニストというと誰を想像するだろうか。オイストラフもそうだし、ミルシテインもそうだし、僕は個人的にコーガンを推すが、やはりハイフェッツであろう。エカテリーナ2世が作った、旧ロシア帝国の「居留地」(Pale of Settlement, ユダヤ人居留地のこと)の中の、ヴィルナ(現在のヴィリニュス)という都市で、世界で最も偉大なヴァイオリニストと言っても過言ではないヤッシャ・ハイフェッツは生まれた。「北のエルサレム」として知られ、ホロコーストでほとんどのユダヤ人が命を落としたこの都市だが、今は復活して、グラファンの最近の活動にとって重要な都市となっている。失われた世界と我々の世界のと間を繋ぐグラファンの音楽にとって、これ以上運命的な場所もあるまい。
グラファンがシチェドリンと出会ったのもこのヴィリニュスで、2001年のことだ。ロストロポーヴィチが指揮するシチェドリンの作品「コンチェルト・カンタービレ」の演奏で招かれたのである。その後に、グラファンはシチェドリンに、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番を、ピアノをヴァイオリンに変えたものに編曲して欲しいと依頼した。シチェドリンは快く引き受け、その結果大変ユニークな作品、「コンチェルト・パルランド」が完成した。ウィットに富み、信念と情熱あふれ、そして何よりグラファンの夢が実現するどころか、夢を超えるような想像以上の作品になったとグラファンは語る。イギリス初演ライブの音盤はブログの最後の画像として掲載。
その少し後にグラファンは、友人であるチェリスト、ラファエル・ウォルフィッシュ(1953-)から、音楽出版社のブージー・アンド・ホークスがプロコフィエフの「5つのメロディー」の作曲者自身による第2曲のオーケストラ版の写本を持っているという話を聞いた。ウォルフィッシュは誰かこれを完全版にできないだろうかと考えていたところだった。「5つのメロディー」は、もともと連作無言歌としてプロコフィエフがアメリカにいる1921年に作曲し始め、 4年後にパリでヴァイオリンとピアノのための作品に書き換えた作品で、それぞれの曲が別々のヴァイオリニストの友人に献呈されている。グラファンは話を聞いてすぐにシチェドリンを呼び、楽譜を見るように頼んだ。プロコフィエフ自身による第2曲のオーケストレーションや使用楽器などを尊重しつつ、シチェドリンはこの上なく想像力にあふれた最高の連作として管弦楽版を仕上げた。
チャイコフスキーの協奏曲の録音も、グラファンは一味違う。グラファンも、世の多くのヴァイオリニストと同様、若い頃からこの曲を勉強し、特にイザイの弟子であるジョーゼフ・ギンゴールド(1909-1995, ポーランド生まれのアメリカ人ヴァイオリニスト、音楽教育家)から学んだ経験が彼にとって大きかった。ギンゴールドはまるで物語を語るようにこの協奏曲を弾くのがグラファンにとって印象的で、彼の演奏はたくさんの愛らしさと細部への気配りに満ちていた。ギンゴールドはチャイコフスキーのオリジナルのカデンツァを弾いていたが、イザイはそれを好まなかったのだとグラファンに語った。当時その話を聞いてグラファンは驚いた。というのも、オリジナルのカデンツァが唯一のカデンツァだと思っていたからだ。その話を聞いていたので、数年後にイザイによるもう一つのカデンツァの写本と出会ったときも、それほど驚きはしなかった。今回のグラファンの新録音はこのカデンツァを聴いてもらえる良い機会だと考えている。ウジェーヌ・イザイは大変に革新的なヴァイオリニストである。彼はまた非凡な作曲家でもあり、フランクやサン=サーンス、ショーソンなど当時の大作曲家たちも彼のために作品を書くほど、創作意欲をかきたてる卓越した音楽家であった。グラファンも当代随一の音楽への賛辞を送るつもりでイザイのソナタを愛奏している。このイザイ作カデンツァの書法は、はっきりとイザイのものだと認識できるものではあるものの、チャイコフスキーのコンチェルトの中で実に自然に純粋に響くものになっている。イザイはそのキャリアの初期に、スカンジナビア、ハンガリー、ロシアに演奏旅行に出かけ、ロシアにイザイを招聘したのは当時チャイコフスキーの師であった人たちやチャイコフスキーの昔のメンターたちであり、またちょうどチャイコフスキーの協奏曲が初演された時期(1881年)と同じ頃のツアーだった。イザイはそこでチャイコフスキーと会ったとの記録もあり、すぐにレパートリーに加え、そしてカデンツァを書いたとのことだ。これもまたヴァイオリニストと作曲家の対話がもたらしたものである。
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都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more
グラファン氏の紹介を読ませていただきました。
よく共演させていただいておりまして、大変嬉しく拝見しました。
イザイ音楽祭ジャパンが今年開催されまして、イザイの孫弟子のグラファン氏が音楽監督で招待されています。
彼は、10月20日には、東京文化会館にて出演します。
出演は、今井信子、加藤知子、小林美恵、岡本侑也、水本桂、
グラファンのユニークなプログラム、イザイの作品、献呈された作品、彼の先生の作品、初演した作品など、
また、弦楽器奏者全員のために編曲したイザイソロソナタの五番、近年発見されたビオラのソロ作品、日本初演のチェロの作品など、
ユニークプログラムです。最後はイザイが彼にカルテットで初演したドビュッシーのカルテットです。
もしご都合が会いましたらぜひお越しくださいませ。
詳細は音楽祭のホームページでご覧頂ければ幸いです。