(記事作成日:2024年12月20日)
星野源の「ドラえもん」という曲が、2018年のドラえもん映画の主題歌となり、2019年に映画ではなくてテレビ放送のアニメドラえもんの主題歌になって、早5年。2024年11月2日の放送をもって主題歌としての使用は終了し、「夢をかなえてドラえもん」に戻ることとなった。
僕は幼い頃からドラえもんファンで、大人になって多少熱は冷めたものの、自分が親になって子どもが見るようになったので、まあアニメ放送も程々に見たり、映画に連れて行ったり家で一緒に映画見たりして楽しんでいる。この5年間は「どどどどどどどどどドラえもん」というフレーズが特徴的な星野源による主題歌で、子どもたちも楽しく歌ったり歌わなかったりしていたが、それもとうとう終わってしまった。変な曲だったが、子どもたちは「どどどど」言って楽しそうではあった。少し残念な気持ちもある。だが、子どもが「どどどど」言って楽しむ以外の点では、正直やり過ぎで胸焼けするような内容で痛々しかったので、まあ一旦封印してもらって良いと思う。お疲れ様でした。
星野源の「ドラえもん」は凄い曲だと思う。彼の音楽の才能が曲の至る所から溢れているし、ドラえもんへの愛も溢れている。確かに映画の主題歌で単発ならまあ「僕はこんなにも面白い曲が作れるんです、こんなにもドラえもんが好きなんです!」感があふれんばかりに全開に伝わってくるのも結構だが、毎週はしんどいよな、なんて思っていた。だがまあ、聴き慣れてしまえばなんてことはなかったのが事実。おなじみのオープニングとなった。星野源の「ドラえもん」って、「アニメのドラえもんの主題歌」というよりも、ドラえもんファンがドラえもんをテーマに作った歌、みたいな感じだよね。まあそういうところはもう批判され尽くしてきたんだろうけど、やっぱり公式がファンの気持ちの代表みたいな曲を堂々と毎回毎回提示していたような状況は、良くはなかったんだろうと思う。
「少しだけ不思議な」っていう冒頭の歌詞は藤子・F・不二雄の「SF」の定義として有名で、ファンとしては好きな表現だけど、その言葉をドラえもんの主題歌で聞きたいかというとまた話は別である。凝っているのはわかる。好きなのも伝わる。でも違う、決定的に違う。星野源のその態度は、こっち側の人間のそれであって、あっち側の人にやってほしいものでないのだ。だからせっかく、星野源が巧みな細工を施した楽曲も、全くもって喜ばしくないし、プラスに捉えられない。もったいない。いやプラスに捉えられないお前が間違っていると言われたら、まあそうかもね、はい、受け入れます。普通は「星野源の音楽の才能とドラえもん愛」だけを受け取って、満足したら良いのだと思う。僕は無理だってだけ。悪いのは僕です。僕が歪んでいるだけです。星野源と星野源ファンの皆さんは良い人たちばかりなんだと思いますよ!
でも僕はドラえもんの主題歌にそんなマニアックな小細工みたいなの求めてないのだ。だからせっかくの面白要素が全部裏目に出ているような、そんな感じに捉えてしまう。今まで書かなかったけど、もう終わったしね、吐き出させてほしい。ここからはもう文句ばっかりだよ、ごめんね。「落ちこぼれた君も、出来すぎあの子も」という歌詞はのび太と出木杉をすぐ思い浮かべる。だめでしょ出木杉をそんなすぐに出したら。違うんだって出木杉は。そういうポジションじゃないのよ……もうここで心の扉が閉じてしまう。この先何が来ても「ああ、この人、いきなりのび太と出木杉を出してくる人なんだ」って思ってしまう。百歩譲って、のび太はまだいい。しかし、ドラえもんよりも先に、しずかスネ夫ジャイアンより先に、出木杉か、と。そんな小さなことでケチ付けるなんてお前がおかしいだろと言われたら、はい、おかしいです。ですが、大事なんです。ドラえもんの単行本見てください。出木杉は表紙にいますか。なんなら、ジャイアンとスネ夫は、何回表紙に出てきましたか。F先生は何を思って描いたのか、想像できますか。落ちこぼれも優等生も、もっと言えば美少女もいじめっ子も金持ちも、みんな同じ雲の下だねとか、そういう解釈を出されると違和感がある。星野源がそう思うのは勝手だし、ただのドラえもんファンソングならむしろ美点であるが、主題歌だもんな……歌詞の都合とは言えドラえもんの主題歌で出木杉をそんなにすぐ出す人とは、ちょっと相容れない。
「二次元」、「暮らした次元」、「四次元」、うんうん、わかる。漫画やアニメは二次元、みんなの暮らす三次元、ドラえもんは四次元ポケット。それはさ、見てる人(子ども)が思うことであって、主題歌でそんな風に「ほら、次元ってのがね、こうなってるんだよね~!」みたいな、種明かしみたいなことしないでほしい。テレビの側から聞きたい言葉じゃない、こっちがドラえもんを見て思うことなの。あと「機械だって」って言葉もさ、軽々しくドラえもんの主題歌で「機械」って出さないでくれよ。これはバギーちゃんのことを言ってるの? 「機械だって涙を流して」って。主題歌でバギーちゃんの話するの? ドラえもんより先に? もうさ、ほぼ100%、見てる子はドラえもんのことだと思うよ、ドラえもんのことを「機械」って呼んでるように思うよ? 「勇気を叫ぶだろう」ってのも、映画なら、勇気を叫ぶこともあるよ。だから言ったじゃん、映画の主題歌ならいいけど、毎回の日常話向けじゃないんだって。「世界を救おう」も。ドラえもんってそんな毎回世界救わないから。最初から星野源に、毎週のアニメ放送の主題歌向けって話でオファーがあれば、そんなことにならなかったでしょう。違うでしょドラえもんは、普通の人が世界救う話じゃないでしょ。むしろもっと、身近なところ、小さなことろ、弱いところ、世界ではなく人間に目を向けられるような話でしょうが。
「いつか時が流れて必ず辿り着くから君に会えるよ」は、そうだよね。うんうん。頑張って2112年まで生きたいよね。とファンは思う。星野源もそうでしょう、一緒だよ、ファンなんだよ。これだってさ、「ああ、2112年まで生きたら、ドラえもん誕生に立ち会えるかな……」って、自発的に思うに至るから、ドラえもん見る面白さがあるんであって、公式が主題歌で説明しないでくれよと思ってしまう。なんかね、全体的にテレビのスピーカーから聞きたい言葉じゃないんだよね。そういう意味じゃあ、この「どどどどどどどどどドラえもん」って、良いと思うよ。これはドラえもんのストーリーや設定から引っ張ったものじゃなくて、星野源の音楽的なセンスで生まれたものだろうし。耳に残る天才的なフレーズである。すごい。音楽の才能あるよなあ! いやあ、さすがっす。星野源、あなたは出木杉くんだねえ!!
2番って放送では流れないから、フルコーラス聴かないとわからないし、まあ毎週聴かせるものではないとしよう。だけども公式がドラえもん主題歌でね、この「赤い血の流れる」ってのもね。そう言われたら、確かにドラえもんにドラえもんには赤い血は流れてないけどさ、流れてないんだけど!さ!なあ! なんでそんなこと言うかな。いらんこと。やっぱり主題歌じゃないんだよこれ。ドラえもんファンの一解釈なんだよな、それは見てる人が勝手に気づくから良いんであって、そっちから言われるのは勘弁してくれって、はあ。まあいいや。「拗ねた君も、静かなあの子も、彼の歌も、誰かを救うだろう」がもうね、ごめんね、無理。もうドラえもんの歌じゃないんよ。もう、これは完全なるドラえもんファンの歌なんよ。わかる、やりたくなるよそういう言葉遊び、入れ込むセンスというか、能力というか、才能があるとさ、やりたくなるんだよ。そういうミュージシャンいっぱいいるじゃんね。もうスキあらば全部入れてやる、みたいな。スネ夫、しずか、ジャイアン、入れたくなるわな。でもさ、そういうのって、やれば良いってもんじゃないじゃん。僕だってさ、他の色んな歌で、そういう巧みな言葉の扱いに「うわー、痺れる!」って思うこともあるよもちろん。でもこれは無理だ。理由は簡単。この3人より先に出木杉を登場させたから。もうその段階で無理なの。出すなら1番で全員出す、そうでしょ? もし出木杉を出すなら他のメンバーを出してからなの。それか、出木杉は出さなくてもいいの。わかる? 「台風だって心を痛めて」とか。わかったわかった、もうドラえもんファンなのはわかったから。十分、わかったから。フー子はいい話だし。もういいからね。小細工はもうお腹いっぱい。まだ星野源の口からドラえもんの話聞いてないな。どどどどってのは聴いたけど。もしかして、出木杉やバギーちゃんやフー子は好きだけど、ドラえもんは好きじゃないのか? あれか、マニアックになってサブキャラばっかり好きなる的なやつか?
2番が終わると間奏で「ぼくドラえもん」が流れる。いいじゃん。やっぱりドラえもんも好きなのかな。ちょっと「どどどど」要素入れるのが鼻につくけど、まあそれはね。「君が遺したもの探し続けること、浮かぶ空想からまた未来が生まれる」も、ソラミレドで終わるフレーズ。ドラえもんじゃん、良いよね。残したじゃなくて「遺した」って、誰が死んだの? F先生のこと? メタなこと言わんでほしい。最後の「君をつくるよ」は最悪だ。これがもしメタな発言と繋がってて、空想から生まれた未来でドラえもんみたいな楽しいものを「つくる」っていうことなら、そういうことを主題歌で言わないでほしいし、まあないと思うけど、時が流れてのび太たちがドラえもんを作る的な話してるんだったら、昔の二次創作を公式に場に出す暴挙であり、絶対にやめてほしい。二十何年前か? 懐かしいな。ドラえもん最終回とかな。あったよな。いや、公式に絶対出しちゃだめだろ。どんな意味にせよ「ドラえもんを作る」という概念が歌われる主題歌は到底受け入れられない。そういうのは深夜アニメ、新番組「オトナドラエモン」とかの主題歌でやっとけばいいんじゃないかな。
あ、歌詞以外は、いかにも星野源っぽい感じで、普通に良いと思います。ちょっと抜けてる感じの音楽でかっこいいよね。まあ星野源に罪はないでしょう。映画向けにオタクの二次創作みたいなものを単発でバンと出して、これ毎週OPにするねって言われたら、僕だったら断るなあ……なんてね、断れるわけないだろ! ドラえもんの主題歌だぞ! 自分からアニメの主題歌にしてくれって言ってるんだったら、星野源は本当にドラえもん見て育ってきたのか?とか今までの主題歌が何を歌ってきたか、聴いてたのか?とか、そういうの聴いて今のドラえもんファンの自分らがいるんだろ?とか言いたくもなるけど、もし偉い人に主題歌に使わせてくださいって頼まれたんだったらまあ、普通断れないよね。名誉あることだし。めちゃ流行るし。せいぜい、こんな僕みたいに歪んだ大人がブーブー言うくらいだろうしね。なんせ曲としては出木杉なんだから。でも違うんだよな、ドラえもんの主題歌に求めてるのは。「ドラえもんのうた」しかり「夢をかなえてドラえもん」しかり。そこだよね。
子どもにとってはまあ、正直どっちでも良いんだとは思う。5年間星野源の「ドラえもん」で楽しくどどどどしたけど、「夢をかなえてドラえもん」の方も子どもたちはそれなりに聴く機会があり、うちの子以外の子たちもみんな知っていて、両方ともよく好まれ、よく歌われていた。星野源の「ドラえもん」も別に特段に難しい歌でもないし、今の子どもたちはどんな歌でもすぐ歌えちゃうんだよね。別に星野源のドラえもんが子どもにふさわしくないなんて思っていないし、説明くさい歌詞もまあ、今の子たちってほら、全部説明してあげるみたいな方が流行るんでしょ? まあそれはともあれ、「夢をかなえてドラえもん」は本当に良い曲だからね。やっぱり、これだよ、これこれ。こういうのを主題歌にしてほしいのよ。ドラえもんという作品への愛は歌わなくて良いから、みんなにとって夢のある、だけど少し不思議な「ドラえもん」という素敵な存在について歌ってほしい。うちの上の子が小学1年のときに「夢をかなえてドラえもん」をピアノで弾いて、確かクラスか何かのクリスマス会とかかな、そこで披露して、皆が一緒に歌ってましたって先生から報告あったんだった。想像できるよね。温かい雰囲気だ。どどどどではそうはいくまい(笑) ちなみに、うちの子たちに、星野源の「ドラえもん」と、「夢をかなえてドラえもん」と、どっちが好きか聞いてみた。ついさっき、ほんとに今日聞いてみた。小3息子も小1娘も、どっちも好きと前置きした上で、「夢をかなえてドラえもん」の方が好きだと言っていた。パパもどっちも好きだけど、どっちかって言ったら「夢をかなえてドラえもん」かなと言っておいた。ママには聞かなくていいや、わかるから。家族みんな同じ好みで笑える。でもまあ、どっちも良い曲なのは本当にそう。どっちも良い曲だということはとても大事なことだし、だけどどちらかといえば、というのも大事なこと。
ということで、大人の悪ふざけみたいな5年間のオープニングも終わったことだし、ブログに書き記すことにした。さようなら、どどどどどどどどどドラえもん。またテレビで流れる機会があるかもしれないね。そのときは……うれしくない。またずうっとどどどどどどどどどドラえもんを聴きたくない!
テレビ朝日系アニメ「ドラえもん」主題歌 夢をかなえてドラえもん
ドラえもん、のび太、しずか、ジャイアン、スネ夫
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more