春の雲は何処の雲~高浜虚子が見上げた欧州の空

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ほぼ毎週土曜日にツイートしている「今日のお空はどんな空」については、昨年11月にブログに書いている。↓の記事である。


2023年4月22日(土)のツイートで、スウェーデンのヴァイオリン・ソナタ集というセシリア・シリアクス(vn)とベンクト=オーケ・ルンディン(p)のアルバムを取り上げた。1998年録音、Phono Sueciaレーベル。シグルド・フォン・コック、ヒルディング・ルーセンベリ、メルケル・メルケシュのソナタを収録。1曲めのシグルド・フォン・コックのソナタ、これが非常に劇的でロマン的だ。まるで「北欧のドヴォルザーク」と呼ばれてもおかしくないのでは、と思った。呼ばれてはいないようだが。管楽器のファンには多少知られているであろう作曲家、エルランド・フォン・コックの父にあたり、39歳で亡くなっているとのこと。絵画も描くし小説や評論も書いたそうで、名家の出身、何でもできる才人だったそうだ。


そのときのツイートの余談として取り上げたのが、高浜虚子の句「宝石の大塊のごと春の雲」だ。4月22日の土曜日、天気は曇りだったので、「雲」が入った句、せっかくなら「春の雲」が入ったものを引用しようと思った次第。ただ「春の雲」という季語自体は、曇り空というよりももっと淡くてふんわりとして、優しい雲が空に浮かんでいる様を思い描く。この虚子の句では「宝石の大塊」と喩えられているので、それよりももう少し大きな雲、陽の光に当たりキラキラと煌く、しっかりとした大きさの雲なのだろう。だから曇りの日にこの句を挙げるのは違うような気もする……がしかし、これを挙げたのは天気とマッチングさせたのではなく、クラシック音楽ブログ的な理由があるのだ。


高浜虚子(1874-1959)は正岡子規の弟子で、『ホトトギス』の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱した俳人である。「春風や闘志抱きて丘に立つ」という句は、国語の教科書にも載っていた(多分今も載ってるんじゃないかな)ので、よく知られているだろう。友人でライバルでもある河東碧梧桐の自由な俳句に対抗せんと、その決意表明としての春の句であり、まあ、春だから頑張るぞー、という、非常に中学生とかに都合のよろしい句だと思う。これを春の句として一つ教科書で挙げてしまうと、もう他に教科書で虚子の春の句が紹介されることはないだろうし、結果、「流れ行く大根の葉の早さかな」が冬の句として紹介されるところとなる。そんな感じかな?

高浜虚子(1874-1959) 掲載元:Wikipedia

「宝石の大塊のごと春の雲」が収録されているのは、『ホトトギス』550号記念で昭和18年に刊行された虚子の自選句集『五百五十句』であり、ここには昭和11~15年の句がまとめられている。虚子はその「春の雲」の句に「四月十九日 箱根丸にて楠窓、友次郎と協議の末、米国経由帰朝のことを断念。午後、松岡夫妻、楠窓、町田一等機関士、章子、友次郎等とサンフリート村に花畑見物。」と付している。そう、この「春の雲」の句は海外、正確にはヨーロッパで詠まれたものなのだ。


ここで挙げられている友次郎というのはもちろん、虚子の息子でパリ音楽院に留学中の作曲家、池内友次郎のことだ。ブログでは取り上げたことがないが、曲は素晴らしいので聴いてみていただきたい。虚子がヨーロッパに行ったのはこれが初となる。昭和11年(1936年)2月16日、日本郵船箱根丸に乗り、パリ留学中の息子に会いに行くという目的で渡欧。表向きは息子の様子を見に、なのだろうが、実際はもう少し別の動機もあったのだろう。あまり外国に興味を示してこなかった虚子も、周囲に留学経験を持つインテリ文芸人が増えてくると、自身も見識を広めるべきか、と思ったのかもしれない。2月16日に出発し、6月15日に帰国するまで、4か月の旅の間に多くの句を詠んだ。Web版「有鄰」第450号に、虚子が渡欧した際ののエピソードや旅程も載っている。虚子の西洋への無関の無さも詳しく触れられているので、参照なさってください(リンクはこちら)。

さて、ここで気になるのは「春の雲」の句を詠んだという「サンフリート村」である。これはどこなのだろうか。とりあえず「サンフリート村」でGoogle検索してもヒットしない。sunfleet、sanfried、サンはもしかしてsaintかしら、などなど、色々当てずっぽうで検索してみても、全然わからない。ということで、『五百五十句』よりも詳しく書いてある、『渡仏日記』の方を参照してみる。『五百五十句』によればこの句を詠んだのは4月19日なので、『渡仏日記』のその辺りの日付を当たってみよう。すると4月19日は「ベルギー、アントワープ行」と題した章にあり、その章は4月18日から始まっている。4月19日は、アントワープから「松岡君の自動車二臺に分乗して、楠窓君、町田一等機関士、松岡夫妻、私達三人は約六里の距離にあるサンフリート村にヒヤシンス、チューリップ等の花畑を見に行った」とある。どうやらアントワープ近郊のようだ。

しかし、僕は別にベルギーに詳しい訳ではないし、そもそもスペルがわからない。古い文章なので、本当にサンフリートという表現が現代の読みとして正しいのかも不明だ。大体、外国語の知識がクラシック音楽オタク方面に偏っているので、サン◯◯と言われるとサン=サーンスみたいにsaintなんじゃないかと疑ってしまうし、フリートと言うとジークフリートのfriedなんじゃないかと思ってしまう。でもそうじゃないらしい。他にフリートが付く名前などはないかと検索していると、アンドレ・ファン・フリート(André van Vliet)という指揮者に当たった。1969年、オランダのベンスホップ生まれ。オルガニストでもある。そうだ、アントワープはオランダ語圏、フリートはvlietなんじゃないかと。ここまで来ればあと一歩、サンフリートの「サン」はわからずとも、アントワープ近郊でvlietの付く地名を探し当てればいい。そしてついに、アントワープ近郊にZandvlietという地名を発見。サンはZandか……これはわからないよ、普通。アントワープ中心から24kmの場所にあり、ほぼ六里の距離にある。現在はアントワープ市に併合されているが、1958年までは独立した自治体だったそうだ。


この地図を見ると、Zandvlietは『渡仏日記』にある「ある處で其道が二つに分れて居るその右手の道を取れば和蘭のロツテルダムに行くのである」という記述にも合致しそうだ。ヨーロッパの空を眺めて詠んだ句は、クラシック音楽ブログが取り上げる俳句に相応しいでしょう。虚子が詠んだのは4月19日だそうで、僕がツイートしたのは4月22日、よし、良い感じじゃないか。

せっかくなので、このサンフリート村で詠んだ他の句も見てみよう。花畑で虚子の娘章子が写真を撮ったり、休憩所で花畑を見ながらビールを飲んだりと、楽しく観光したそうだ。

ベルギーは山なき国やチューリップ
ヒヤシンスチューリップ人過ぎて行く
ヒヤシンスラヂオは人に語り居り
給仕女も胸に挿したるチューリップ
世話人も客もかざせひチューリップ

そして花畑見物を終え、一行は帰路につく。そこで詠んだ(とされる)のが次の「春の雲」の三句である。

宝石の大塊のごと春の雲
春の雲の大塊の下小村あり
牧牛の広野の果ての春の雲

美しい花々を見た後は、雲も宝石のごとく見えたのだろうか……ともあれ、個人的には「ベルギーは山なき国やチューリップ」というのが気になった。確かにヨーロッパに行って思うのは、山がないので空が広く見えること。もちろん山間部に行けば別だが、僕は初めて行った海外がロンドンで、そこで空が広く大きく見えることに感動したものだ。日本は大体どこにいても山が見えるけれども、ロンドンの都市部でも、コッツウォルズの方でも、日本っぽい山の見える景色ではない。だから空が広く見える。大好きなターナーの絵は、こういう空を見て描かれたのかと思って、大変に納得した。虚子もまたそんな空を見たのだろう。ここでは「眞靑に打睛れた底深い大空に西日を受けた白い雲の大きな塊りがところどころにうづくまって居る様が荘厳で美しかった」と書いている。

先に挙げた「有鄰」の記事にも虚子の西洋芸術への無関心ぶりが書かれている。パリでは友次郎の下宿に住み込み、3週間の滞在中にルーヴル美術館やベルサイユ宮殿などを訪れなかった。ロンドンでもそうで、ナショナル・ギャラリーに行くには行ったが、ダ・ヴィンチやラファエロやミケランジェロなどを見ても「皆おなじように見えた」と興味なし。西洋の芸術に関心を持たない、あるいは敢えて無関心でいるのかもしれないが、そんな虚子が西洋の自然の風景をしかと捉えた「花鳥諷詠」が、まさにこの「春の雲」をはじめとした句ではないかと思う。非常に虚子らしい。

「春風や闘志いだきて丘に立つ」は春の句としてはもちろん良いものだが、やはり僕がこのブログで挙げたいと思うのは、そんな碧梧桐とのバチバチの対決をしようとする句ではない。そこまで気負ってブログ書いてないわ。それよりか、日本人がヨーロッパの空を見て感動した句の方が、この「ボクノオンガク」というブログにはぴったりかな、と思ったのだ。(了)


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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