シューベルト 弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」:真に輝くものは

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シューベルト : 弦楽四重奏曲 第13番「ロザムンデ」/第14番「死と乙女」


シューベルト 弦楽四重奏曲第14番 ニ短調 D810「死と乙女」


何度かシューベルトの楽曲をこのブログで取り上げており、その時いつも言っているような気がするのは、シューベルトは基本的にシャイなので、本当に彼が言いたいことは色々あるだろうけれども、音楽ではその全てを語りきっていないということ。
だから前提として、この曲でもおそらくシューベルトは彼の本心をあからさまにさらけ出すような真似はしないし、当然その本心が何なのかはわかりかねる。
この曲が紹介されるときは決まって、1824年(作曲年)のシューベルトの病の進行と絶望、そして「死」を意識したときの作品であると語られる。4つの楽章全てが短調で書かれ、2楽章にはかつての自作歌曲「死と乙女」から主題を借りた変奏曲があり、とにかくシューベルトのD810イコール死、死、死のオンパレード、この曲は死がテーマです、暗いです、悲痛な曲ですと言われる。
ちょっと言い過ぎたか。もう少し捻った文章になると、「いやいや歌曲の死と乙女では、死は悲痛なものではなく、永遠の安息として表されているのだ」とか「死を自覚したシューベルトは、その闇と対峙し戦っているのだ」とか書いてあるものもある。
こうした指摘はどれもある程度は正しいものだと思うし、『コベット室内楽事典』で名高いイギリスの著述家W.W.コベット(1847-1937)はその事典でこの曲について、1楽章で死と格闘し2楽章で死の言葉を聞く、3楽章で休息を得て4楽章で死から逃れようともがくのだという趣旨のことを言っている。まあ大体その通りだと認めた上で、僕個人としても主張したいことがある。
それは何故これほどまでに「死と乙女」における「乙女」の部分が顧みられないのか、ということだ。シューベルトが死を意識し始めた時期に作曲したのは違いないが、この曲を「死」という側面だけで解釈して鑑賞するのはあまりにも勿体無い。
美しさや若さ、人の命や生の賛美さえをも象徴する「乙女」、それと隣り合う「死」。ルネサンスから続く、いやもっと昔、ペルセフォネがハデスに略奪され、エウリュディケがあと一歩のところで冥府から“逃げ出せなかった”神話の時代から、芸術史上における非常に刺激的なテーマを副題として得た音楽なのだから、ちょっとは乙女のことも含めた観点から鑑賞しても良いのではないだろうか。
しかし、この弦楽四重奏曲第14番に「死と乙女」という名を付けたのはシューベルト自身ではないし、2楽章以外の楽章は音楽の内容としては歌曲と関係ない。それでもなお「死と乙女」というテーマにこだわって鑑賞して欲しいと願うのは、僕がより多くの人にこの曲を楽しんでもらいたいと思うからである。何度も言うが正解はシューベルトの心の内にしかない。


少し話は変わって、シューベルトの弦楽四重奏曲全体に言えることだが、その魅力の多くは「ウィーン的」なものに依拠していると言える。19世紀初頭のウィーンは後にも先にもこれを超えることはないであろう空前の“弦楽四重奏ブーム”があったし、特にシューベルトの作品はウィーンの薫り芳しい。ハイドンやモーツァルトが一生懸命レベルを上げて、ベートーヴェンが一大革命を起こしてくれたおかげで、シューベルトは自らこの弦楽四重奏というジャンルを開拓せずとも先輩たちに倣って扱うことができたし、自身の湧き出る旋律をその構造にはめ込み自由に表現することができた作曲家と言える。要はストレスフリーなのだ。
だからこそ、よくよくウィーン気質が現れるのではないか。つまり、美しいものを心から好んで醜いものは見せません、対外的には建前だけは愛想良くする、という街全体における雰囲気がよく反映されているように思う。
何が言いたいかというと、シューベルトはこの作品で「死」ばかり訴えアピールするような、そんな品のないことはウィーンっ子にはできやしないということだ。徹底的に可愛らしく誂えたものを提示するのである。この手法により、いかにも愛くるしいものが恐ろしい死と隣り合わさっているときにしか表出しない、おびただしいほどの興奮、エロス、そして美……この曲ではそんな魅力を生み出すことに成功しているのだ。


1楽章の冒頭のあの印象的な主題でさえ、本当にシャイな語り口だと思う。なぜこれほど印象的な主題を、わざわざ第2ヴァイオリンとヴィオラという内声が奏でるのか、にわかには信じがたい。もし本当に死というテーマを死のままに直球勝負で聴衆の耳に投げつけたいのなら、ユニゾンでもなんでも出来ただろうし、19世紀なのだし少なくとも第1ヴァイオリンには弾かせるのではないか。ここでは第1ヴァイオリンとチェロは、オーケストラで言うところの天国のラッパと地をはうベース・ドラムのごとく、上下ともD音で旋律を挟み込む。こんなにしてまで隠したいのか、いじらしい。悲しみも高ぶるけれど爆発はしないのはシューベルトらしい。特に良いのは、16分音符の連続でもう悲しみが破裂しそうと思う瞬間にチェロがふとFAGFFとメジャーに転ずるところだ。たまらない。
2楽章は歌曲「死と乙女」の伴奏部分を用いた主題と5つの変奏からなる。「主題」や「テーマ」というのはなんとも紛らわしい言葉であり、あくまで変奏曲の主題に用いられているという意味だが、この「死と乙女の主題」という言葉がリスナーに与え続けてきた物語的な影響ははかりしれない。重苦しく胸を締め付ける主題、ここでは旋律ではなくハーモニーでシューベルトは表現する。あの歌曲の王が、である。これをシャイという言葉で片付けるのも気が引けるが、実際そうなんだと思う。ベートーヴェンのOp.130を知っている人なら、5楽章カヴァティーナで現れる“beklemmt”(息苦しく・重苦しく)という表現がぴったりだと思うだろう。
最も注目すべき点は、基本的な構成を全く変えずに、まるで自分を追い込むようにストイックな型をキープしつつ曲を展開している点だ。そうすることで変奏を繰り返すごとに音楽の力は増して行き、さらに歌曲は構造へと、独墺的な様式美に昇華する。死そのものが美しいのではなく、死と居合わせる乙女が美しいのだと、ムンクやレンキェヴィチュの絵画などを見ればすぐわかるが、ここで今一度言いたい。一応音楽的な部分にも言及しておくと、やはり聞き所は第2変奏、チェロが旋律を奏でて第1ヴァイオリンが連続する3音で伴奏するところか。この曲ではまだはっきりしていないが、シューベルトが室内楽でチェロを特別扱いし始めるのはこの頃からである。弦楽四重奏曲第15番では明瞭だし、ピアノ三重奏曲、チェロ2本を使う弦楽五重奏曲なども後に生まれる。
2楽章の転用のおかげであまり触れられないが、3楽章は「12のドイツ舞曲」というレントラー集の第6曲の転用である。こういうシューベルティアーデで皆が集まって踊るような曲にあまり直接的な悲劇のイメージを結び付けられないし、コベットだけでなくこの楽章を箸休めのように扱う人は、全楽章が重苦しくマイナー調で云々と語ることと矛盾するように思うのだが、どうだろうか。当然この短調の曲を転用したことに意味もあろうが、この楽章がウィーン風味を一段と増す役を担っているのも事実である。
4楽章プレストはロンドソナタ形式のタランテラないしサルタレロ風の音楽。タランテラは毒蜘蛛に噛まれたときに治すために踊り続けるものとか、踊り狂って死ぬとかそういう逸話があるが、いわゆる「死の舞踏」や、あるいは3連符による第2主題が歌曲「魔王」を彷彿とさせるという「死」のイメージ先行には一言物申したいところ。何度か実演にも触れて思うに、生き急いでいるような、命を削ってでも輝こうと、必死に生を全うしようと全力疾走しているようにも感じる。それはそれは、死の恐怖こそ念頭にあろう。だが少なくともここで輝いているのは、あるいは際立っているのは、今ここにある「生」だ。
オクターブのユニゾンで始まる第1主題がカッコイイ。主題の後半で微かに差し込む光の如く長調へ転ずるのもしびれる。こんなにカッコイイのに、フェルマータの休止があってすぐに強い第2主題が殴り込んできてしまう。こんなにカッコイイのに。カッコイイのに、第1主題は1回しか再現されない。不思議だ。これもすぐに変ロ長調になった第2主題に取って代わられる。コーダも存外に短い。プレスティッシモでさらに速度を上げて駆け抜ける。最後の最後で、コーダの短さを埋め合わせるような、4人による四重音で計16音フィニッシュ。
まだまだ言いたいことがあったろうに、シューベルトは語り切らない。だからこそシューベルトの音楽はシューベルトらしい。同じ録音を何度でも聞きたくなるし、色々な違う演奏にも触れたくなる。その度に、僕もシューベルトの語りたいことを想像するのだ。


【参考】
Cobbett, W.W.(ed.), Cobbett’s Cyclopedic Survey of Chamber Music, Oxford University Press, 1929.
Newbould, B., Schubert: The Music and the Man, University of California Press, 1997.

シューベルト : 弦楽四重奏曲 第13番「ロザムンデ」/第14番「死と乙女」 シューベルト : 弦楽四重奏曲 第13番「ロザムンデ」/第14番「死と乙女」
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団,シューベルト

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