ショスタコーヴィチ 交響曲第5番:コミュニティを形成する力

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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 作品47 (Schostakovich:Symphony No.5 / Mravinsky & Leningrad Philharmonic Orchestra) [日本語解説付]


ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 ニ短調 作品47


ソヴィエト政府は、ショスタコーヴィチの交響曲第5番を「正しい批判に応えて書いた、ひとりのソビエト芸術家の実際の回答」であると公表した。この批判とはもちろん、1936年1月26日に上演されたショスタコーヴィチの歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」に対して、上演2日後にソビエト政府が出した、いわゆる「プラウダ批判」である。
このプラウダ誌に掲載された批判とは、以下のようなものだ。「歌劇においては、ことさら調子はずれの、訳の分からない音の流れが、始まりの瞬間から聴衆を呆然自失させる。旋律の断片、楽句の萌芽は、轟きや、きしりや、金切り声の中に沈み、飛び出し、また消えてゆく。この『音楽』についてゆくことは困難であり、それを記憶することは不可能である。(中略)これは、古典的なオペラ音楽の何かしらさえ想起させないように、(中略)故意に『あべこべ』に作られた音楽である。(中略)そしてそれら全てが粗野で、原始的で、卑俗である。できるだけ自然にラヴ・シーンを描き出すために、音楽は喉を鳴らし、吐息をつき、息をはずませ、喘いでいる。(中略)おそらく作曲家は、ソヴィエトの聴衆が、音楽から何を期待し、何を求めているかに、耳を傾けようとしなかったのであろう。彼の音楽が、健康な趣味を失った唯美主義者や形式主義者にだけ理解されるように、彼は自己の音楽を故意に暗号化し、その中の全ての音響を複雑にしてしまったかのようだ。」
この批判によって、レニングラードやモスクワでは件の歌劇の上演を取りやめたり、ショスタコーヴィチの過去の交響曲をレパートリーから外したり、またショスタコーヴィチ自身も3ヶ月後に控えていた、当時制作途中だった交響曲第4番の初演を取りやめることにした。
第4交響曲の初演を取りやめてから4ヶ月経って、交響曲第5番の制作に取りかかる。この制作はかなり慎重を期して行われた。当時ソヴィエト政府に批判されるということは、芸術家人生の終わりを告げられること、もっと言えば「人生」そのものが終わってしまう可能性もあった。批判された「マクベス夫人」やソヴィエト政府の好みにそぐわなそうな「交響曲第4番」のような作品では、今度こそ粛清されてしまうかもしれない。
第1楽章を完成させたショスタコーヴィチは、フレンニコフやハチャトゥリアン、シェバーリンにスコアを見せたり、4手のピアノ編曲版を弾いてもらったりして、多くの音楽家からのゴーサインを得て後、ムラヴィンスキーと初演の準備を行ったそうだ。この初演は1937年の11月に行われ、大成功に終わる。ショスタコーヴィチは楽壇に見事復帰するのである。
では果たして、この作品はスターリンらソヴィエト政府に迎合する形で書かれたものなのだろうか。形式だけ見たら、いかにもヒロイックであり、また劇的で、響きも平易に作られており、完全にスターリンの音楽趣味・解釈に寄り添ったものだと言えるだろう。しかし、個性において随分譲歩したように思える彼の音楽的態度の中にも、ショスタコーヴィチという音楽家自身との深い繋がりが全くもって無くなっているとは言えないし、それはソ連でも、また欧米でも受け入れられたという事実が示している。ヨーロッパでは、当局のプレッシャーの下で作曲したのでは質が下がるだろうという考えが一般的だったと思われるが、既に1938年には、ロジェ・デゾルミエールによってパリで初演され、またアルトゥール・ロジンスキーによってアメリカで初演され、交響曲第5番はソビエトの作曲家による有名人気作品として大いに演奏されるようになる。ソ連以外でも愛されているのには、それなりの意味があるはずだ。
だから僕は、これはプロパガンダや聴きやすい交響曲風の作品を描いたというのではなくて、単に少々前衛の方向に行き過ぎだった第4交響曲を避けて、何かしら抽象的な音楽を演奏して今の流行りや人気の味に挑戦してみよう、というのがショスタコーヴィチの意図ではないか、という音楽学者ボリス・シュワルツの意見に賛成票を投じておきたいと思う。


しかしまあ、第4交響曲と比較すれば、そこで発表しようと思っていたものを第5交響曲でほとんど除外したというのは驚くべきことだ。音色だってかなり優しくなっているし、ハーモニーもクラスターでなくてトライアドだというだけでも大きな違いである。それでも、いわゆるドイツ交響曲的な、音楽が継続していく、流れていくためのドミナントではないのだが。
楽章ごとのコントラストも明確だ。1楽章にはブルックナー顔負けの広がりがあり、あの出し抜けなピアノの動き、ブラスのテヌート、まるで戦いのための音楽ような場面も。一転、2楽章では気立ての良いユーモアさえ見られる。3楽章の神々しい程のシリアスさ。常に慎重で、静的で、どこか確信的な態度さえ感じる。4楽章は言わずもがな。最後のほんのわずかな凱旋の心地よさ。
全体に漂う悲壮的な雰囲気は、さっきは抽象的な音楽と言ったが、もしかすると何か具体的な悲劇を性格付けられているかもしれない。このあたりは、近年頓に行われているショスタコーヴィチの人間性や生涯などの研究からのアプローチによって、また面白い演奏が出てくるかもしれない。
第4交響曲との比較で見えてくるのは、楽風の方向転換ではなくて、今までの音楽にあったものがここで昇華している、ということだ。彼が築きあげてきた「様式」や「構造」、例えば常に整えられている旋律法や意義深い対位法の使用、そして何よりマーラーの音楽から学んだ管弦楽法・音楽語法が、第5交響曲ではもっともっと具体性を持って、「コンテンツ」という概念に化けたのだ。
ショスタコーヴィチがマーラーに傾倒していたことは、第4交響曲や、もちろん第5交響曲でも、第2楽章の中間部のレントラー風のワルツや、第3楽章での「大地の歌」の引用など、明らかであるが、そうした細々した仕掛け以上に、もっとマクロな点でマーラーの影響が見て取れる。
それは、ドイツの音楽評論家パウル・ベッカーがマーラーの交響曲について語る際に用いた、“gesellschaftsbildende Kraft”(コミュニティを形成する力)が、ショスタコーヴィチの第5交響曲にもあるということだ。この力は、聴衆を一つにし、高揚させ、一つの感情に支配された音波が全ての人間の知的な制限を押し流し、人々を動かしてしまう力だ。
もっとも、このパウル・ベッカーの表現を当てはめたいという意見もボリス・シュワルツのものなのだが、確かにこの曲を聴いたときに湧き上がる感情のことを思い出してみると、納得できるというものだ。
そしてこれはショスタコーヴィチだからこそ可能だったのである。マーラーの交響曲から、特にこの“gesellschaftsbildende Kraft”を自身のものにするというのは、もしかすると単なるパクリ(なんといってもショスタコーヴィチは引用転用の大家である)、もとい画一主義に陥るリスクもあるだろうし、ワンパターン化・エピゴーネンのリスクもあるだろう。
ショスタコーヴィチが真の作曲家たる所以は、その巨大な力を、この力の広い広い効用をきちんと算出した上で、先に述べたような芸術家人生がかかっている状況というこれ以上ない絶妙のタイミングで用いたことだ。これをやってのけた、だからこそ、現代でもこれほどに愛されるのだ。
ベッカーが「社会学的な前提条件がより多彩で内容豊かであるほど、それは創造者により力強い摩擦面を提供し、一層意味深い個性がそこから生じてくる」と書いたのは1916年だった。ショスタコーヴィチの交響曲第5番はそれから20年ほど後の作品だが、この曲以上に、この文言が相応しいと思える曲があるだろうか。「多彩で内容豊か」かどうかはともかく、摩擦面の強さは、音楽史上で最強なのではないか。

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 作品47 (Schostakovich:Symphony No.5 / Mravinsky & Leningrad Philharmonic Orchestra) [日本語解説付] ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 作品47 (Schostakovich:Symphony No.5 / Mravinsky & Leningrad Philharmonic Orchestra) [日本語解説付]
ショスタコーヴィチ,ムラヴィンスキー,レニングラード・フィルハーモニー交響楽団

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